おびやか)” の例文
異体の知れねえのにおびやかされて、雲を霞と逃げたとあっちゃあ——第一、七兵衛兄いなんぞに聞かせようものなら、生涯の笑われ草だ。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
続きに続いた親しいものの死から散々におびやかされた彼はたしてもその光景によって否応いやおうなしに見せつけられたと思うものがあった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それが狂念となって潜んでいるが、時としては表面にあらわれてかれをおびやかした。遺伝というものが心頭しんとうからみついていて離れない。
この送話器は、船橋に通じていて、もし本船の安全をおびやかすような事件が近づくと看取された暁には、間髪をいれず船長に報告される筈だった。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
おびやかされた当の巡査自身のように、サアベルをげ長靴でもはき、ぴんと張った八字ひげでも撫上げながら、「オイ、コラ」とか何とか言いそうな
虎狩 (新字新仮名) / 中島敦(著)
日頃から物に騒がない本間さんが、流石さすがに愕然としたのはこの時である。が、理性は一度おびやかされても、このくらいな事でその権威を失墜しはしない。
西郷隆盛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
唯継ただつぐの金力を以て彼女をおびやかしたらんには、またかの雅之を入獄の先に棄てたりけんや。耀かがやける金剛石ダイアモンドけがれたる罪名とは、いづれか愛をくの力多かる。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
僕はふと夫人が第三者の為に土蔵の中へとじこめられているという想像におびやかされて、錠前の鍵を持って来る様に頼んだが、女中はそのありかを知らなかった。
悪霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
自分の声をセルギウスに聞かすまいとして、小声で云つてゐるが、その癖語気は鋭く、おびやかすやうである。
その詮索し方の凄まじい周到さとはたしかに「あはよくば又頭をもたげる時機も」と思つてゐた諸侯の心事をおびやかし、その野望を断念せしめて行くには効き目は著しかつた。
今や世を挙げて西洋模倣の粗悪なる毒々しき色彩衣服に書籍に家屋に器具に到処いたるところ人の目をおびやかすにつけて、わずか両三年ぜんまではさほどにも思はざりける風土固有の温和なる色調
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ゆるらかに幾尺の水晶の念珠ねんじゅを引くときは、ムルデの河もしばし流をとどむべく、たちまち迫りて刀槍とうそうひとしく鳴るときは、むかし行旅こうりょおびやかししこの城の遠祖とおつおや百年ももとせの夢を破られやせむ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
むかし僧正遍照へんじょうは天狗を金網の中へ籠めて焼いて灰にしたというが、我らにはなかなかそのような道力はないから、平生いろいろな天狗におびやかされて弱っている、俳句天狗や歌天狗
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
竹のステッキで足もとの草をぎ倒し、歯がみをしている太宰の姿よりは、「夜ふけと梅の花」の中の、電信柱の下で前後左右によろめきながら、自分をおびやかす質屋の番頭の幻影に対し
井伏鱒二によせて (新字新仮名) / 小山清(著)
豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ちたぎつ水の音、ひたすらことなかれと祈る人の心を、有る限りの音声おんせいをもっておびやかすかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。
水害雑録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
これにぎよつとしながら、いま一祈ひといのいのりかけると、そのきのこかさひらいてスツクとち、をどりかゝつて、「ゆるせ、」と𢌞まは山伏やまぶしを、「つてまう、つてまう。」とおびやかすのである。
くさびら (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
父親が非常におほきな身体をしてゐて、力もこの周囲をとりまいてゐる夜の深いおびやかすやうな印象をふせぐには十分だと云ふあの子供つぽい切ないやうな信頼の感じ、それをまざまざと思ひ出してゐた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
昂奮こうふんたたったのか、寒い夜気がこたえたのか、帰途につこうとしていた清逸はいきなり激しい咳に襲われだした。喀血かっけつの習慣を得てから咳は彼には大禁物だった。死のおびやかしがすぐ彼には感ぜられた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼の平静な安易な生活をおびやかすごとく、彼の前に出現したのである。
青木の出京 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
おびやかすあらば彼必ず神を詛わん
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
パアンふとおびやかしぬれば
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
その出動がはからずも、紙屑買であり、焼跡せせりであるところの、のろま清次の仕事をおびやかす結果になったとは自ら知らない。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
おびやかそうというのか。貴様はよっぽど大馬鹿者だぞ。おれは、やろうと思えば、帝国の最新鋭艦でも、なんの苦もなく坐礁させるという恐しい力を
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
おびやかすやうな定まりない体温、肉体の動揺と不安、悲しい幻滅……色の白い繊弱きやしやな姉さんと違ひ、もと/\夫人はそんな風に成りさうも無かつた人で
灯火 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
それがはげしい雨の音と共に、次第に重苦しく心をおさえ始めた時、本間さんは物におびやかされたような眼をあげて、われ知らず食堂車の中を見まわした。
西郷隆盛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
我の愛か、死をもておびやかすとも得て屈すべからず。宮が愛か、なにがしみかどかむりを飾れると聞く世界無双ぶそう大金剛石だいこんごうせきをもてあがなはんとすとも、いかでか動し得べき。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
常に美しいとばかり思っていた面貌の異様に変じたのに驚いて、はだあわを生じたが、たちまちまた魘夢えんむおびやかされているのではないかと疑って、急に身を起した。女が醒めてどうしたのかと問うた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さんざん耳からおびやかされた人は、夜が明けてからは更に目からも脅される。庭一面にみなぎり込んだ水上に水煙を立てて、雨はしのを突いているのである。庭の飛石は一箇ひとつも見えてるのが無いくらいの水だ。
水害雑録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
彼はヒョイとおじぎをしてテーブルの側を離れると、人々が怪むのも構わず、部屋の出口の方へ走って行って、彼をおびやかしたあの顔の持主を物色した。併し、いくら探してもそんな顔は見当らないのだ。
幽霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
おびやかかりよそほひに松明たいまつほのほつづきぬ。
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
しかし、よく見れば道庵の鼻は完全に付いているし、四方あたりを見ても、何物も道庵をおびやかしに来たものの形跡を認められない。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
忽ち多くの病室へつたはつて、患者は総立そうだち。『放逐してしまへ、今直ぐ、それが出来ないとあらば吾儕われ/\こぞつて御免を蒙る』と腕捲うでまくりして院長をおびやかすといふ騒動。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
よるになると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆きょうちょうのように彼をおびやかしたからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
期におよびて還さざらんか、彼はたちま爪牙そうがあらはし、陰に告訴の意を示してこれをおびやかし、散々に不当の利をむさぼりて、その肉尽き、骨枯るるの後、く無き慾は
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ことに開けると爬虫たちの生命をおびやかすことになるという話のあった鴨田研究員苦心の三本のタンクみたいなものも、此際このさいどうしても開けてみなければまされなかった。
爬虫館事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
この卒は数年前に、陳が払暁に咸宜観から出るのを認めたことがある。そこで奇貨くべしとなして、玄機をおびやかして金をようとしたが、玄機は笑って顧みなかった。卒はそれから玄機を怨んでいた。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
極度に千代子をおびやかすのでした。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そのはず、今朝江戸を出て来たものとすれば、子供の足で七里の道、足がれ上って動けないらしい、そこを悪者どもにおびやかされたものと見えます。
が、この鷺の影を除いては、川筋一帯どこを見ても、ほとんど人をおびやかすような、明い寂寞が支配していた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
母体が肺結核はいけっかくとか慢性腎臓炎まんせいじんぞうえんであるとかで、胎児たいじの成長や分娩ぶんべんやが、母体の生命をおびやかすような場合とか、母体が悪質の遺伝病を持っている場合とかに始めて人工流産をすることが
恐しき通夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
併し理を以てせば、これが人世じんせい必然のいきほひだとして旁看ばうかんするか、町奉行以下諸役人や市中の富豪に進んで救済の法を講ぜさせるか、諸役人をちゆうし富豪をおびやかして其私蓄しちくを散ずるかの三つよりほかあるまい。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ふと何かにおびやかされたやうな心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時いつの間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、しきりに窓を開けようとしてゐる。
蜜柑 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
大垣の兵にさえぎられて北国へ転じ、ついに一族三百余人が刑場の露と消えたのは誰も知っているはずであるに拘らず、その幽霊が、かくもこの辺の人心をおびやかしている。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ふうん、そんな鞄がどんどん現れて管下一円かんかいちえんおびやかすことになれば、わし達は鞄狩りに手一杯となり、他の仕事が出来なくなるだろう。とにかく怪談にせよ引力にせよ、一大事件だ。
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ふと何かにおびやかされたような心もちがして、思わずあたりを見まわすと、何時いつにか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、しきりに窓を開けようとしている。
蜜柑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
こちらの船頭が舟の舳先へさきで、あわただしくこう叫んだのが、また一座の沈黙の空気をおびやかしました。
その時お君さんの描いた幻の中には、時々暗い雲の影が、一切いっさいの幸福をおびやかすように、底気味悪く去来していた。成程お君さんは田中君を恋しているのに違いない。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
火事よりもこの方が人をおびやかしたものでございました……ところがその翌年の丙午ひのえうまですな、その正月がまた大変で、これは夕方から始まりましたが、小石川片町から出まして
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今まで私をおびやかしたのはただ何とも知れない不安な心もちでございましたが、その後はある疑惑ぎわくが私の頭の中にわだかまって、日夜を問わず私を責めさいなむのでございます。
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかし道庵としては、かくうろたえるのがあたりまえで、ただいま投げ込まれた投げ文なるものは、確かに道庵に向って、生命をおびやかすに足るべき果し状同様なものでありました。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)