母屋おもや)” の例文
その離れは母屋おもやから庭を隔てて十間程奥に、一軒ポツンと建っている小さな洋館であったが、母屋から真直まっすぐに長い廊下が通じていた。
火縄銃 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし泉太も繁もこの下宿へ移って来たことをめずらしそうにして、離座敷から母屋おもやの方へ通う廊下をしきりにったり来たりした。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
行燈あんどん草双紙くさぞうしのようなものを読んでいた。それは微熱をおぼえる初夏のであった。そこは母屋おもやと離れた離屋はなれの部屋であった。
水面に浮んだ女 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
階下は母屋おもやと廊下でつながつて、六疊と四疊半の二た間。四疊半は物置同樣で、六疊は用心棒の力松が夜晝の別なく頑張ぐわんばつて居るのです。
家主は別の母屋おもやに住んでいたが、男らしい者は一人も見えず、三十ぐらいの容貌きりょうのよい女と唯ふたりの女中がいるばかりであった。
毎朝、彼が母屋おもやの中央の贅沢な呉蓙ござの上で醒を覚ます時は、身体は終夜の労働にぐったりと疲れ、節々ふしぶしがズキズキと痛むのである。
南島譚:01 幸福 (新字新仮名) / 中島敦(著)
おおそうそう、宵に母屋おもやの律師さまから頂いた大根の葉の煮ものがここにある。これを菜にしてかく箸に口をつけてご覧なさい。
ある日の蓮月尼 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
今ノ母屋おもやデモ家族全部ヲ収容スルノニ狭過ギルト云ウコトハナイガ、予ガイロ/\トたくらンデイル悪事ヲ実行スルノニハ少シ不便デアル。
瘋癲老人日記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼は、植込の間から見えるシヤトオ風の母屋おもやのフアサードをひとわたり見渡したが、窓といふ窓には鎧戸がおろしてある様子であつた。
(新字旧仮名) / 岸田国士(著)
火の手は納屋から母屋おもやに攻め寄せたらしく、煙がしばし空に絶えたかと思うと、間もなく真白になって軒の間からむくむくとふき出した。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
あの広間はひろびろとしたところにあって、おまけにほんとうの母屋おもやや醸造所とは、たった廊下一つで、つながっているだけですものね。
母屋おもやと、仲間部屋とは、遠く隔っているので、主従の恐ろしい格闘は、母屋に住んでいる女中以外、まだだれにも知られなかったらしい。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
母屋おもやの御祝言の騒ぎも、もうひっそり静かになっていたようでございましたし、なんでも真夜中ちかくでございましたでしょう。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
おゝい、おゝい、母屋おもやつどへる人數にんずには、たらひたゞ一枚いちまいおほいなる睡蓮れんげしろはなに、うつくしきひとみありて、すら/\とながりきとか。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その家というのもほんの名ばかりのような小屋から、もと私達の住んでいた母屋おもやとその庭は、高い板塀いたべいさえぎられて殆ど何も見えなかった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
と与八がむせび上って、悄々しおしおと道場の真中へ戻って来たが、また飛び上って廊下伝いに、今度は母屋おもやへ向けて一目散に走りました。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
西は武相それから甲州の山が見える。西北は野の風、山の風が吹く。彼の書院は東京に向いて居る。彼の母屋おもやの座敷は横浜に向いて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その小川は、はんの木や小さな柳のあいだをさらさらと流れている。母屋おもやのすぐそばに大きな納屋なやがあり、教会にしてもよいくらいだった。
母屋おもやの縁先で何匹かのカナリヤがやっきにさえずり合っている。庭いっぱいの黄色い日向は彼らが吐きだしているのかと思われる。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
ジャン・ヴァルジャンは母屋おもやにも表庭にもいなかったので、彼女には、花の咲き乱れた園よりも石のいてある後ろの中庭の方が好ましく
いつ苔香園たいこうえんとの話をつけたものか、庭のすみに小さな木戸を作って、その花園の母屋おもやからずっと離れた小逕こみちに通いうる仕掛けをしたりした。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
帰るにも帰られず——お次は母屋おもやにいて、そこへ、握り飯を運んだり、表へ来る借金取りの云い訳に、手をついていたりした。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今の物音は源十郎達のいる母屋おもやには聞こえなかったらしいが、はなれの連中が気をつめ、いきをらしていることはたしかだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
なぜって、母屋おもやにつくまでに、風のために二どまでも、吹きとばされてしまったのです。一どなどは、水たまりの中に吹きたおされました。
表通りで夜番よばん拍子木ひょうしぎが聞える。隣村となりむららしい犬の遠ぼえも聞える。おとよはもはやほとんど洗濯の手を止め、一応母屋おもやの様子にも心を配った。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
枕元の障子をすこしずつすこしずつ音を立てないように開けて廊下に出て、足音をぬすみ窃み渡殿わたりどの伝いに母屋おもやの様子を窺った。
笑う唖女 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
さいはひ美吉屋みよしやの家には、ひつじさるすみ離座敷はなれざしきがある。周囲まはり小庭こにはになつてゐて、母屋おもやとの間には、小さい戸口の附いた板塀いたべいがある。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
母屋おもやの方から人声はしたが、こっちへ人の来る気配はない。二人は文字通り二人きりであった。すぐに来るのだ恋の約束が!
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
足を爪立つまだてるようにして中二階の前の生垣いけがきのそばまで来て、垣根しに上を見あげた。二階はしんとしている。この時母屋おもやでドッと笑い声がした。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
近ごろ長屋と母屋おもやとの間に大竹の矢来をい廻して、たとい長屋の方へ打入られても、母屋へは寄りつかれないようにしてあるといううわさも聞くが
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
庭を隔てた母屋おもやの彼女の部屋には何んと、唯一つのカンテラがともっているだけでした、そして彼女の草鞋の横顔を、かすかに照しているのでした。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
中村家の隠居、——伝法肌でんぽふはだの老人は、その庭に面した母屋おもや炬燵こたつに、頭瘡づさうを病んだ老妻と、碁を打つたり花合せをしたり、屈託のない日を暮してゐた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
奥深い母屋おもやはずれにある笹村の部屋は、垣根を乗り越すと、そこがすぐ離房はなれと向い合って机の据えてある窓であった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
もっと母屋おもやとは別棟になった茶室のような離れで、食事も運んで来てれるし、身のまわりの世話はすべてやって呉れるので、その点はまあ便益があった。
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
戸を開け放すと、房子は思い出したように急に窓のところへ行って、そこから母屋おもやの方へ向って小間使のお志保を呼んだ。そして手真似で何かを命じた。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
離れの一閑張いっかんばりからは左手の指紋ばかりしかあらわれなかったに反し、母屋おもやの金庫に残っていた指紋には左右両手のものがあったので、母屋を襲った凶賊は
祭の夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
小路こうじの角で、母屋おもやの見える庭では、もう、梅が枝をはじいて咲いていた。難波ではまだつぼみも固かったのに、みやこの日の暖かさを思わずにいられなかった。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
翌日はさっそく母屋おもやの屋根のペンキ塗りや、壁のお化粧がはじまって、オーレンカは両手を腰にひじを張って、庭をあちこち歩きながら采配を振るっていた。
可愛い女 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
それはこの日珍らしく未亡人が気分のいゝ顔付で母屋おもやに出て来たので、信徳は若夫人に云ひつけて家中で一番居心地のいゝその部屋の煖炉だんろに石炭をくべさせ
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
離れと母屋おもやとをつなぐ廊下を勢よく行つたり来たりして遊んでゐるのを、鳥羽は卯女子をかへり見て「あいつは母親を知らんのだからな」と言つたことがある。
鳥羽家の子供 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
旅客用の部屋は母屋おもや鍵形かぎがたになつた離室はなれの方で、二階二間、階下二間、すべて六疊づつの部屋なのです。
樹木とその葉:33 海辺八月 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
で、母屋おもやを貸切って、ひさしで満足して、雪江さんの白いふッくりしたかおを飽かず眺めて、二人の話を聴いていると、松も饒舌しゃべるが、雪江さんも中々負ていない。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
母屋おもやからはずっとはなれて昔のお城の濠にじかづけにたってるので、しずかでもあれば、珍しいも珍しい。
妹の死 (新字新仮名) / 中勘助(著)
おそらくは城の母屋おもやの塔であり、単調な円い建物で、その一部はきづたによってうまく被われていた。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
そのまま急いで母屋おもやのほうへやって来ると、そこでまごまごしていたキヨをとらえて早速切りだした。
白妖 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋おもやの屋根の上には、いま出たばかりの満月まんげつしずかに青空に上がっていた。
そこは六畳と四畳半のはなれで、二メートルほどの長さの廊下一つで、母屋おもやとつながっていました。
柿の木のある家 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
族長カボラルの話を聞いて以来、コン吉は何の因果か、とかく夜中真近くなると上厠繁数じょうしひんすうの趣きであったが、これがまた不幸なことには、かわや母屋おもやから遠く離れた裏庭の奥の
おっかさんは林太郎の手をとって丘へ上がると、今わたってきた入江の方へ見返ってためいきをつきました。それから米倉の前を通って母屋おもやの庭へはいっていきました。
あたまでっかち (新字新仮名) / 下村千秋(著)
第一殿下が、そんな母屋おもやの二階へなんぞ、お上りになられるわけがないと言ってられるのですがね、ロヴィーサさん、何かあなたの思い違いじゃないのでしょうかね?
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)