干乾ひから)” の例文
彼女は赤ん坊のくなくなになった頸筋や、黄ばんで干乾ひからびた皮膚を見ると、もはや自分の力ではこの子を育ててゆけないと思った。
小さきもの (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
井戸のわきを通ると、釣瓶も釣瓶たばも流しに手繰り上げてあツて、其がガラ/\と干乾ひからびて、其處らに石ばいが薄汚なくこびり付いてゐた。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
最も干乾ひからびた心をもち、あらゆる詩趣や深い慰悦の情などに最も乏しくはあったが、クリストフの音楽から肉感的な魅惑を受けた。
これはうれしい。はだの細かな赤土が泥濘ぬかりもせず干乾ひからびもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色けしきほどありがたいものはない。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
乞食より汚穢きたな婆々ばばあです、さうして塩茄子しおなすびのように干乾ひからびておりますよ。おお、胸の悪い、私が今参りました時は死骸の懐中をしらべておりました。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
烏瓜の実の朱い色が凍み亘りその色が黒ずんでゆく、しまひに吊柿のやうな色になり干乾ひからびて種が鳴るやうになる。
冬の庭 (新字旧仮名) / 室生犀星(著)
どこを歩いても昔の香が無い。三島が色褪いろあせたのではなくして、私の胸が老い干乾ひからびてしまったせいかもしれない。
老ハイデルベルヒ (新字新仮名) / 太宰治(著)
露や土にまみれ、にじみ出た血しおはうるしみたいに干乾ひからびている。——あまつさえ、十数日を経ているので、異臭をもってきたことは、いうまでもない。
そこからは落寞たる歓楽の絃歌が聞こえ、干乾ひからびた寂しい笑ひ声が賑やかに洩れて来る。——それは普通和蘭屋敷オランダやしきと呼ばれてゐる「出島の蘭館」である。
干乾ひからびてコチコチになった、子熊ほどもある大猫の死骸だったのです。しかもそればかりではありません。
亡霊怪猫屋敷 (新字新仮名) / 橘外男(著)
鶴見がなつかしがるのは、これがその正体である。明治八年三月十五日出生隼男と明記した包の中から干乾ひからびて黒褐色を呈したものがあらわれる。へそである。
猊下げいか様、わたくしは自分の茶番がうまくいかないなと思うと、その瞬間は、両方の頬が下の歯齦はぐき干乾ひからびついて、身うちがひきつってくるようなんでございますよ。
私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、たとえて見るなら丁度干乾ひからびた烏瓜からすうりだ——その烏瓜が細い生命いのちつるをたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その薄黒い、落ち窪んだ両眼は、老人のように白々と弱り込んで、唇が紙のように干乾ひからびていた。
白菊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
七月の中旬、午後からの曇り空が、降るともなく晴れるともなく、そのまま薄らいで干乾ひからびてゆき、軽い風がぱったりと止んで、いやに蒸し暑い晩の、九時頃のことだった。
電車停留場 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
日が、トップリ暮れてしまった頃から、あらしますます吹きつのった。海はしきりに轟々ごうごうえ狂った。波は岸を超え、常には干乾ひからびた砂地を走って、別荘の土堤どての根元まで押し寄せた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
というのは、何だかこう干乾ひからびてしまったといった感じがするほど痩せ細っていて、ちょっと年格好の見当がつき兼ねたからであるが、よく見ると上品な細面の相当綺麗な顔立なのだ。
消えた霊媒女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
「別段学校へ入りたいということはありません」と、干乾ひからびた切口上きりこうじょうで答えた。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
二つの眼を四つに映し、顔の代りに煎餅みたいなものを見せてくれる鏡、それから最後に、聖像の後ろへ束にして差しこんであるにおい草と撫子なでしこだが、こいつはすっかり干乾ひからびているので
おれたちのくちびる歓呼くわんここゑさけぶにはあまりに干乾ひからびてゐる
あはれ、また、わが立つ野辺のべの草は皆色も干乾ひから
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「おっしゃるとおりかもしれませんわ。そしてまた、あまり苦しんでもいけませんわね。度が過ぎると、魂が干乾ひからびてしまいますのね。」
年歯としより早く老けた。年歯より早く干乾ひからびた。そうして色沢いろつやの悪い顔をしながら、死ににでも行く人のように働いた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ、なんぼ北京軍ほっけいぐんの総帥でも、この干乾ひからびたご時勢に、年々十万貫もの財宝を、女房の実家さとみついでるってえなあ、たいした大泥棒でございますぜ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その眼には極度の衰弱と、極度の興奮とが、熱病患者のソレの如く血走り輝やいております。その唇には普通人に見る事の出来ない緋色ひいろが、病的に干乾ひからび付いております。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
この問には、三吉はひど狼狽ろうばいしたという様子をして、咽喉のど干乾ひからび付いたような声を出して
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
嬰児あかんぼてのひらの形して、ふちのめくれた穴が開いた——その穴から、件の板敷を、向うの反古張ほごばりの古壁へ突当つきあたって、ぎりりと曲って、直角に菎蒻色こんにゃくいろ干乾ひからびた階子壇……とおばかり
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
干乾ひからびてはいたけれど、それでもこの顔はやはり美しかった。
「風が吹けば浪が騷ぎ、汐が滿ちれば潟が隱れる。漁船は年々殖えて魚類は年々減りつゝあり。川から泥が流れ出て海は次第に淺くなる。幾百年の後にはこの小さい海は干乾ひからびて、魚の棲家すみかには草が生えるであらう。……」
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
背が高く、強壮で、その顔は、顳顬こめかみや額のほうは狭くてせ、下の方は広く長く、あごの下がれていて、ちょうど干乾ひからびたなしのようだった。
槍の柄にも、具足にも、干乾ひからびた血は、うるしみたいに黒く光っている。——そして、どの顔もどの顔も、汗とほこりにまみれ、ただぎらぎらした眼のみが続いて行った。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうしてこの感情が遠からず単に一片いっぺんの記憶と変化してしまいそうなのをせつに恐れている。——好意の干乾ひからびた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感ずるからである。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
嬰兒あかんぼてのひらかたちして、ふちのめくれたあないた——あなから、くだん板敷いたじきを、むかうの反古張ほごばり古壁ふるかべ突當つきあたつて、ぎりゝとまがつて、直角ちよくかく菎蒻色こんにやくいろ干乾ひからびた階子壇はしごだん……とをばかり
霰ふる (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
怒ったふり気取けどられたくないと、物を言おうとすれば声は干乾ひからびついたようになる、たん咽喉のどへ引懸る。わざせき払して、可笑おかしくも無いことに作笑つくりわらいして、猫を冠っておりました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ところがその悪酔いが次第に醒めかかって、呼吸が楽になって来るに連れて福太郎は、自分の眼の球の奥底に在る脳髄の中心が、カラカラに干乾ひからびて行くような痛みを感じ初めた。
斜坑 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「風が吹けば浪が騒ぎ、潮が満ちれば潟が隠れる。漁船は年々殖えて魚類は年々減りつつあり。川から泥が流れでて海はしだいに浅くなる。幾百年の後にはこの小さな海は干乾ひからびて、魚の棲家すみかには草が生えるであろう。……」
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
そして今まで干乾ひからびていたその植物は、ジェリコの薔薇ばらは、突然花を開き、生長し、強烈な芳香を空中に充満させる。
たれの呼吸も奄々えんえんと見えぬはなかった。からだじゅうに干乾ひからびた黒い血や生々と濡れ光ッている鮮血は負ッていたが、どこが痛いと知る感覚はなく、ただもうせつない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうとは知りながら余は好意の干乾ひからびた社会に存在する自分をせつにぎごちなく感じた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
軒前のきさきに、不精たらしい釣荵つりしのぶがまだかかって、露も玉も干乾ひからびて、蛙の干物のようなのが、化けて歌でも詠みはしないか、赤い短冊がついていて、しばしば雨風をくらったと見え、摺切すりきれ加減に
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
子供の時分に私はよく鼻液はなが出ました。それを兩方の袖口で拭きましたから何時でも私の着物には鼻液が干乾ひからび着いて光つて居りました。そればかりでなく、着物の胸のあたりをも汚したものです。
おのれの干乾ひからびた身体とおのれのうちにある暗夜とを、ただいたずらにうちながめながら、地上に孤独のまま埋もれてる無益なる存在者こそ、にも不幸である。
ほこりを立て、わらわら、ここへ群れてくる人々の眼には、一滴の水でもいい、何ものでもいい、心のやすみばを——心の息づきを——干乾ひからびきった魂のかてとなるものならばと
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうして不思議にもそれが普通のありふれた作物のように、くだくだしくならないのです。いくら微細な心的現象の解剖でも、又は外観からくる人間の精密な描写でも、決して干乾ひからびていません。
木下杢太郎『唐草表紙』序 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
すももでも色づかぬうちは、実際いちごと聞けば、小蕪こかぶのように干乾ひからびた青い葉を束ねて売る、黄色な実だ、と思っている、こうした雪国では、蒼空あおぞらの下に、白い日で暖く蒸す茱萸の実の、枝も撓々たわわな処など
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まさしくこのアンナはだれをも愛していないのだった。祗虔主義ピエティスムのために干乾ひからびてしまってるのだった。
騎馬と騎馬の上で、笑い合う声までが、干乾ひからびて、ほこりせそうになる。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余は好意の干乾ひからびた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感じた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
けれども身をかがめて採掘しながら生を送って、そこからようやく出て来ると、身体は干乾ひからび、背骨とひざとはこわばり、手足はゆがみ、夜の鳥のような眼になって視力が曇ってるのだった。
血の干乾ひからびた雛妓おしゃくの小指が、はいっていた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)