家並やなみ)” の例文
旧字:家竝
徳之助とお富は、死ぬはずの身を忘れて、町の家並やなみに傾く桜月の薄明りの中に、江戸第一番の御用聞と言われた平次の顔を見直しました。
足がもつれるほど走りつづけて、ようやく岬の家並やなみを見たときには、松江のひざはがくがくふるえ、かたと口とでいきをしていた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
よしのがは、下市しもいちゆくと橋こえず、かなたはるかに上市かみいちの、川ぞひ家並やなみ絵とかすむ、車峠の大坂や、車にちりぬ、山ざくら花。
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
家並やなみも小さくまばらになって、どこの門ももう戸が閉っている。ドーと遠くから響いてくる音、始めは気にも留めなかったが、やがて海の音と分った。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
のきかず、またまどかずみせかずみち段々だん/\のぼるやうで、家並やなみは、がつくりとかへつてひくい。のき俯向うつむき、屋根やね仰向あふむく。
飯坂ゆき (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
宿になる家をとうと呼び、家並やなみかまたは帳面で順がきめてある。一年の始めか終りの一度だけは、やや大きな会をする。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そういう古びた、小さい家並やなみが一斉に門松を立てている。一陽来復いちようらいふくの気はおのずからそこに溢れているが、この句の中心をなすものは全く古びた格子である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
屋根の上から下を見ると、家並やなみはそこで尽きて足許は二の廓の堀の水。屋根から垣へ足をかけた米友の姿は、これもどこかの闇へ消えてしまいました。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
往来繁ゆききしげき町を湯屋の角よりれば、道幅その二分の一ばかりなる横町の物売る店もまじりながら閑静に、家並やなみ整へる中程に店蔵みせぐら質店しちやと軒ラムプの並びて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
秋の半ば過の朝霧が家並やなみの茅葺屋根の上半分を一様に消して了ふ程重く濃く降りた朝であつた。S——村では、霧の中で鶏が鳴き、赤児が泣き、馬がいなないた。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
時には寒いあをい色をした小さな沼のほとりの路に見えた。時には川添かはぞひの松原のさびしい中に見えた。かと思ふと、ある小さな町の夕日を受けた家並やなみの角に見えた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
菊川の家並やなみ外れから右に入って小夜さよの中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う無間山むげんざんこと倶利くりだけの中腹に、無間山むげんざん井遷寺せいせんじという梵刹おてらがある。
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
また半里行きて家並やなみがあり、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
向うの家並やなみうしろからは、遠く青い麥の畠が續いてもや/\と陽炎ふ中に、菜の花が黄色く煙つてゐる。四月といへば晝もよるも、女を考へ入るのに似合つてゐた。
赤い鳥 (旧字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
陰気ではあるが家並やなみの悪くない抜け道にあったが、家はまったくめ切って、窓に貸間の札もみえない。
ところどころ草の生えた空地あきちがあるのと、家並やなみが低いのとで、どの道も見分みわけのつかぬほど同じように見え、行先はどこへ続くのやら、何となく物淋しい気がする。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二人は肩を並べるために、忙しく行き違ふ人をけながら、片側の家並やなみみを銀座の方へと歩き出した。
散歩 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
表通りは吉原の日本づつみにつづく一と筋道で、町屋まちやも相当に整っているが、裏通りは家並やなみもまばらになって、袖摺稲荷のあるあたりは二、三の旗本屋敷を除くのほか
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この汽車は甲武線の電車の様に、街の中を行きながら家並やなみよりは一段低く道を造つた所を走るのである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
壁つづきに出来た家並やなみの中に住んでいますと、壁のすぐ向うの物音に、つい気をとられるものです。
わが求名ぐみょうの村は、森のかっこうや家並やなみのようすに多少変わったところもあるように思われるが、子供の時から深く深く刻まれた記憶きおくのだいたいは、目に近くなるにつれて
落穂 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
ところが、やがて三十分も尾行が続いた頃、愛之助はふと車外の家並やなみに注意を向け、アア見覚えがあるなと気づくと、ある恐ろしい考えが、ギョッと胸につき上げて来た。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
下る身はならはしの者なるかな角摩川かくまがはといふを渡りて望月もちづき宿しゆくるよき家並やなみにていづれも金持らしこゝは望月の駒と歌にも詠まるゝ牧の有し所にて宿しゆくの名も今は本牧ほんまきと記しあり。
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
そこは壊れた敷石の所々に、水溜りの出来ている見窄みすぼらしい家並やなみのつゞいた町であった。玄関の円柱はしらに塗った漆喰しっくいが醜くはがれている家や、壁に大きな亀裂ひびのいっている家もあった。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)
汽船はその島を左手に残して、速力をゆるめながら、その島にちなんだ名の、せまい港をぬけて進み、かたのところへくると、ごたごたとみすぼらしい家並やなみに面して、完全に停止した。
月が天心にかかっているのは、夜が既に遅くけたのである。人気ひとけのない深夜の町を、ひとり足音高く通って行く。町の両側には、家並やなみの低い貧しい家が、暗く戸をとざして眠っている。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
何でも花曇りのひるすぎで、川すぢ一帯、どこを見ても、煮え切らない、退屈な景色だつた。水も生ぬるさうに光つてゐれば、向う河岸がし家並やなみも、うつらうつら夢を見てゐるやうに思はれる。
世之助の話 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
山をめぐって秋の田が一面に色づいて居る。街道は断続榲桲まるめろな村、林檎の紅い畑を過ぎて行く。二時間ばかりにして、岩木川の長橋を渡り、田舎町には家並やなみそろうて豊らしい板柳村に入った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
軌道の向う側は高い崖、崖の上には家並やなみがある。家並の向うは往来なのである。塵埃ほこりと人間と色彩と、事務所と印刷所と弁護士の家と、そうして肉屋と憲兵隊本部……などの立っている往来である。
奥さんの家出 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
同時に、ピカリ、と凄まじい稲光り、灰色に沈んだ町の家並やなみが、カッと明るくなると、乾ききった雷鳴かみなりが、ガラガラガラッと頭の上を渡ります。
音に聞く都の島原を、名にゆかしき朱雀野すざくののほとりに訪ねてみても、大抵の人は茫然自失ぼうぜんじしつする。家並やなみは古くて、粗末で、そうして道筋は狭くて汚ない。
……と見て通ると、すぐもう広い原で、屋敷町の屋敷を離れた、家並やなみになる。まだ、ほんの新開地で。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私が幼い頃の元園町は家並やなみがまだ整わず、到るところに草原があって、蛇が出る、狐が出る、兎が出る。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そこでも土産物やたべものの店がならんでいた。のきの低い家並やなみに、大提灯おおぢょうちんが一つずつぶらさがっていて、どれにもみな、うどん、すし、さけ、さかななどと、太い字でかいてあった。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
しかし今もかすかに記憶から呼び起されて来たやうに、山には、川には、またこの温泉場には、町のところどころに颺つてゐる白い湯気には、石段の両側に並んでゐる混雑こんざつした家並やなみには
父親 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
それ以来自分が気をつけて見ると、京都界隈かいわいにはどこへ行つても竹藪がある。どんなにぎやか町中まちなかでも、こればかりは決して油断が出来ない。一つ家並やなみはづれたと思ふと、すぐ竹藪が出現する。
京都日記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
月が家並やなみの後ろの高いかしの梢まで昇ると、向う片側の家根がろんできた。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
両側の家並やなみは低く道は勝手次第にうねっていて、ペンキ塗の看板や模造西洋造りの硝子戸ガラスどなぞは一軒も見当らぬ処から、折々氷屋の旗なぞのひらめほかには横町の眺望に色彩というものは一ツもなく
大芸術家の夫人が窓越しに弟子の話すのを許すと云ふさばけた所作しよさをさう思ふのであつた。此処ここからはずつとむかうが見渡される。起伏した丘にあるムウドンの家並やなみや形の陸橋をかばしなども見える。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
両側の家並やなみがスーッスーッと背後へ飛んで行った。幾度いくたびとなく往来の人に突きあたって顛覆てんぷくし相になった。それをあやうく避けては走った。今何という町を走っているのか無論そんなことは知らなかった。
夢遊病者の死 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
過ぎ曲折して平地にいづれば即ち長久保ながくぼなり宿しゆく家並やなみよく車多し石荒坂にて下駄黨も草鞋派も閉口したればこゝより車に乘る此邊平地とは云へ三方山にて圍ひ一方は和田峠に向ツて進むなれば岩大石ゴロタ石或ひは上り或は下る坂とまでならねど凸凹でこぼこ多く乘る者は難儀なれど挽夫ひくものは躍るもガタツクも物とは
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
同時に、ピカリ、と凄まじい稻光り、灰色に沈んだ町の家並やなみが、クワツと明るくなると、乾ききつた雷鳴かみなりが、ガラガラガラツと頭の上を渡ります。
先刻さっき中引けが過ぎる頃、伸上ってしとみを下ろしたり、仲の町の前後あとさきを見て戸を閉めたり、揃って、家並やなみは残らず音も無いこの夜更よふけの空を、に引く腰張の暗い板となった。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こんな話をしながら辻のところへ来ると、家並やなみの角に一つの辻ビラがありました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
下町の方から景気よく車を駆つて溜池の広い通を来る紳士があると仮定なさい、道幅が二十間もある坦々たる道、右は溜池、左は家並やなみ、そして桜と柳が左右に並んで植込んである中を車は飛ぶのです。
夜の赤坂 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
深川ふかがはや低き家並やなみのさつき空
自選 荷風百句 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)