取柄とりえ)” の例文
番頭の宇之助からも、これ以上は引出せさうもありません、四十恰好の、少し貧乏臭い男ですが、正直者らしいところが取柄とりえです。
銭形平次捕物控:260 女臼 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
その信雄が、もう少し、どうにか取柄とりえのある人物だと、この二人の人知れぬ苦労も少ないだろうが、いかにせん凡庸ぼんようはもう定かだ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、御安心ごあんしんください。——ゆきなか跣足はだし歩行あることは、都會とくわいぼつちやんやぢやうさんが吃驚びつくりなさるやうな、つめたいものでないだけは取柄とりえです。
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
取柄とりえは利慾がまじらぬと云う点にそんするかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒じょうしょは常よりは余計に活動するだろう。それがいやだ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ残念がった彼——彼の眼から見るとじっさいこの池には取柄とりえがなかったのだ——そして水をさらって底の泥を売りとばしかねなかった彼。
今ではいっそう年もとり、光のうすい身の上になっていて取柄とりえはないでしょうが、安心のできる親代わりとして私にください。
源氏物語:46 竹河 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ただわずかに取柄とりえといえば、思想と実行とが一致に近く、そうしてそれが健全で、決して浮世を乱さない——と云うことぐらいのものだろう。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
与八の取柄とりえといっては馬鹿正直と馬鹿力です。与八の力は十二三からようやく現われてきて、十五になった時は大人の三人前の力をやすやすと出します。
願って、ほんの粗末なロシア式の玉菜汁シチイだけですが、まあ、心のこもっているのが取柄とりえでしてね。さあ、どうぞ。
彼にたゞ一つの取柄とりえと云えば、非常に健康に恵まれていたことで、肉体的精力がりんを絶していたであろうことは、そう云う高齢で二十何歳と云う夫人をよう
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
見はらしがよいというほかには取柄とりえのない場所なのですが、見れば、もうその茶店も店を閉じて終ってガランとした広場には、暮れるに間のない赤茶けた日光が
算盤が恋を語る話 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
単純な何の取柄とりえもない薫より、世の中をずっと苦労して来た貝原にむしろ性格のたの甲斐がいを感じるのに、肉体ばかりはかえって強く離反りはんして行こうとするのが
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
わたしのやうにまはりはこと/″\心得こゝろえちがひばかりで出來上できあがつて、ひとつとして取柄とりえこまものでも、こゝろとしてをかしたつみいほどに、これ此樣このやう可愛かあいらしいうつくしい
この子 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
歯の綺麗きれいなのが取柄とりえで笑顔にちょっと愛嬌あいきょうのあるところがよかったのか、る日の雨宿りが縁になって、人は見かけにらぬもの、縁は異なもの、馬鹿ばからしいもの
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
蟒は醉へば醉ふ程蒼ざめて、それが此の女の取柄とりえともいふ可き澄んだ眼が、どんよりとすわつて來た。
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
ファーンディーンのやしきは、森深く隱れた、よほど古びた、餘り大きくもなく、建築上の取柄とりえと云つて別にないやうな建物たてものであつた。その家のことは以前に聞いてゐた。
季節に頓着なしに感じの上から、新蕎麦を持って来たところが詠史の句としては取柄とりえである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そう云う臆病おくびょうものをあがめる宗旨しゅうしに何の取柄とりえがございましょう? またそう云う臆病ものの流れをんだあなたとなれば、世にない夫の位牌いはいの手前もせがれの病は見せられません。
おしの (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ほかにこれといった取柄とりえもないとあきらめているかれは、しょっちゅう彼女に結婚けっこんを申込んで、ほかの男の言うことは、要するに空念仏からねんぶつに過ぎないと、ほのめかすのであった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
おまけに昔のように早くは書けなくなったので、まるで取柄とりえがなくなってしまった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「然うして戴きます。取柄とりえのない男ですけれど、堅いこと丈けは確実ですから」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
三人の百姓の生れた村というのは、それはそれはさびしい小さな村で、秋になると、山が一面に紅葉もみじになるので、城下の人たちが紅葉を見に来るほか、何の取柄とりえもないような村でありました。
三人の百姓 (新字新仮名) / 秋田雨雀(著)
『水滸伝』中には、鶏を盗むを得意とする時遷じせんのような雑輩を除いても黒旋風こくせんぷうのような怒って乱暴するほかには取柄とりえのない愚人もあるが、八犬士は皆文武の才があって智慮分別があり過ぎる。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
わたくしというものは御覧ごらんとおなん取柄とりえもない、みじかい生涯しょうがいおくったものでございますが、それでも弟橘姫様おとたちばなひめさまわたくし現世時代げんせじだい浮沈うきしずみたいしてこころからの同情どうじょうせて、親身しんみになってきいてくださいました。
真紀 (坐りながら)あれだけがあの人の取柄とりえ
みごとな女 (新字新仮名) / 森本薫(著)
ただ、形の大きいところが取柄とりえであろう。
氷湖の公魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
とはいえわしも大身ではない。織田信長様の家来、木下藤吉郎という者。知行ちぎょうは低いが、まだこの通り、若いのが取柄とりえといおうか。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大店おおだなの主人らしい闊達かったつさはありますが、弟の悧巧りこうさを自慢にする人の良さ以外に、この荘太郎には大した取柄とりえのないことがよく判ります。
俺は柔弱、しかも無学、取柄とりえといえば美貌ばかり、仕官することは出来なかった。だがそのうち路金が尽きた。仕官しなければならなかった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あの子のたったひとつの取柄とりえは、からだじゅうに数限りもなく、非常に深いこまやかな陰影があることだ。
鏡地獄 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
なすったお方だけに、届くところはなかなか届くんでございますから、あそこのところだけは感心でございますがね、あれがまあ、苦労人の取柄とりえでございましょうな
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一つ取柄とりえがあると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪戯いたずらをしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥をきそうなきわどい時になると、ぴたりととめてしまうか
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「そうでしょう? 心がこもっていますからね。でも、あたしの取柄とりえは、アンマ上下かみしも、それだけじゃないんですよ。それだけじゃ、心細いわねえ。もっと、いいとこもあるんです」
女生徒 (新字新仮名) / 太宰治(著)
貧苦に打ちちひとかどの名人となる程の者は生れつきから違っているはずこんと熱心とばかりでは行かぬあの子は厚かましいだけが取柄とりえで芸の方はさして見込みがあろうとも思えず貧を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
大抵の婦人は自惚鏡うぬぼれかがみに向って、私はこれで目丈けは千両だとか額丈けは富士額ふじびたいだとかと何か取柄とりえを見つけ出します。そうしてその一個所に重きを置いて、他のところは忘れてしまいます。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
さうして假令たとへ、私が多くの缺點を持ち、何んの取柄とりえもないやうな不束ふつゝかな人間だとしても、ヘレン・バーンズに飽きることは決してなかつたし、これまで私の心を勵ましてくれた他のどんなものよりも
悪い歌でも早いのが取柄とりえであろうと書いて小君に返事を渡した。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
熱い味噌汁をすすりながら、八五郎は肩をそびやかします。この男の取柄とりえは、全くこの忠実と、疲れを知らぬ我武者羅がむしゃらだったかも知れません。
ひと口にいえば、夫婦とも陰険で強欲ごうよくなんです。賄賂わいろずきの金持ち泣かせ、貧民いじめというやつで、取柄とりえなしの文官だ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いやナニ鏡葉之助殿、これは南蛮茶と申しましてな、日本ではめったに得られないもの、たいして美味でもござらぬが、珍らしいのが取柄とりえでござる」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ああ、おれは、どこに取柄とりえがあってあんな恥知らずの、貧乏娘と仲よしになったのだろう。
木馬は廻る (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「その辺が君達の好いところだろう。ほかは何も取柄とりえはないけれど」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「ガーツルード。芝居の通人つうじんは、そんなわかり切った事は言わぬものです。さあ、皆もお坐り。うむ、なかなか舞台もよく出来た。ポローニヤスの装置ですか。意外にも器用ですね。人は、それでも、どこかに取柄とりえがあるものだ。」
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
崩さないところだけは取柄とりえでしょう
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
封建的で、階級的で、迷信的で、一つも取柄とりえはなかったようであるが、一方からはこんなのんきなのんびりした時代はなかったようでもある。
江戸の昔を偲ぶ (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
このしなびた小男のどこに取柄とりえというものも見出されなかったが——何というすずやかな、そして意志のたくましい、無限に広い視力をもっている眼だろうか。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「不器用だけれど、誠意がある。そこが君の取柄とりえだ」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
この男の取柄とりえかも知れない。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「そいつは上出来だ、そう言っちゃ悪いが、自分のあまり賢くねえことを、よく知り抜いているところが、手前てめえ取柄とりえさ」
一益殿の取柄とりえといえば、新しい武器に精を入れてよく用いるぐらいなところじゃろ。だから射術には明るく、滝川勢といえば、鉄砲撃ちはみな巧者じゃ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)