麻痺まひ)” の例文
私は身動みうごきもせず、私の聖師の手の下に立ちつくしてゐた。私の拒絶は忘られ——恐怖は征服され——私の爭ひは麻痺まひしてしまつた。
予は即座に自殺を決心したれども、予が性来の怯懦けふだと、留学中帰依きえしたる基督教キリストけうの信仰とは、不幸にして予が手を麻痺まひせしめしを如何いかん
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そして属名の Narcissus は麻痺まひの意で、それはその草に含まれているナルキッシネという毒成分にもとづいたものであろう。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
八が頭の中は混沌こんとんとしてゐる。飲みたい酒の飲まれない苦痛が、最も強い感情であつて、それが悟性と意志とをほとんど全く麻痺まひさせてゐる。
金貨 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一部の神経が麻痺まひして腰が立たなくなったり、何病とも知れない病人同様の状態になって蒲団ふとんを頭からかぶって寝込んでしまったりする。
鎖骨 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この悪に麻痺まひした狂人が短刀を持っている——それは中田に取って、恐るべき事実であった。中田は思わず飛び立って遁げだそうとした。
自殺 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
重吉は人のうわさ、世間の出来事、日常見聞する事にその例を取って、努めて良心を麻痺まひさせ廉耻れんちの心を押えるような方法を考えた。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
自分のうちに二つの流れを流しつつ、それが相剋する本質であるということについて感覚が麻痺まひしているようなもののありように対して。
ツマリ頭ノ中ノ、人物ヤ物ノ名称ヲ伝達スル神経ガ麻痺まひシタノミデ、知覚ヤ伝達ヲツカサドル組織全部ガ麻痺シテシマッタワケデハナイ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
冬の夜の美しい女スリの肌のぬくみや友禅の夜具のおりに、いかにあの頃の、血を荒しもだえたことか。良心と麻痺まひとの境に悩んだことか。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
というか、それとも何もかも、あまりに赤くて、全体的な赤さが、僕の赤に対する感覚を麻痺まひさせてしまったという方がいいかも知れない。
人体解剖を看るの記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
○ジャズの麻痺まひ、映画の麻痺、それで大概の興味は平凡なものに思える。始終しじゅう習慣的に考えているのは「何か面白おもしろいものは無いか知らん。」
現代若き女性気質集 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その他、数人の同行者が一時におかされたるの例あり。結局は空腹に乗じて、人体内に一種強力の麻痺まひを与うる空気のためなるべし、云云うんぬん
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
自分がどんな奴隷どれいだか知らずに、働けば楽になると思って働く。労働者たちは、皆この感受性を麻痺まひさせられてしまったのだ。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
心は連絡を——原因と結果との関連を——確立しようと努め、それができないので、一種の一時的な麻痺まひ状態に陥るんだね。
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
反覆による麻痺まひだろうけれど、見ていると根本的に彼らの道義感を疑いたくなる。私は、無意識のうちに牛の肩を持っている自分を発見した。
ただほんの一瞬間、本能的な恐怖のために判断が麻痺まひする。次の瞬間には命を賭する気持ちになれるにしても、最初は思わずわれを忘れて逃げる。
地異印象記 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
道徳上の厳格主義が人の身振りを麻痺まひさせ声をふさぐことが多ければ多いほど、謝肉祭の数日間、ますます身振りは大胆になり声は解放された。
文明は人の神経を髪剃かみそりけずって、人の精神を擂木すりこぎと鈍くする。刺激に麻痺まひして、しかも刺激にかわくものはすうを尽くして新らしき博覧会に集まる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
肉躰にくたいも精神もすっかり麻痺まひして、自分がいまなにをしているかも、どうしてそんなところに立っているかもわからなかった。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
だが、それははなはだしく不気味であったにも拘らず、同時に怪しくも彼女の道念を麻痺まひさせる力を持っているかと見えた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼女の心臓は激しく鼓動して、今にも麻痺まひしそうな気がした。もうたまらなくなってきた。彼は死人のように青ざめた顔を、女の方へふり向けた。
その夜は別に苦しみという事はないけれどもやはり足も手も麻痺まひしてしまって感覚のない事は以前もとの通りであります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
常々心臓がるくて近年は家から一歩も出ない主人である。この寒さに麻痺まひでもおこしてたおれているのではなかろうか——常にはこの不安があった。
(新字新仮名) / 楠田匡介(著)
彼は際限なき暗黒のうちにおける死屍しかばねめしいたる冒険を考える。底なき寒さは彼を麻痺まひする。彼の両手は痙攣けいれんし、握りしめられ、そして虚無をつかむ。
おもてむきは、心臓麻痺まひという事になっているけれども、たしかに自殺だ。うちで使っていた色の黒い料理人と通じて、外聞がいぶんが悪くなって自殺したのだ。
春の枯葉 (新字新仮名) / 太宰治(著)
私の背後で、病人のすこししゃがれた声がした。それが不意に私をそんな一種の麻痺まひしたような状態から覚醒かくせいさせた。
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼等の四肢は麻痺まひしてきだした。意識が遠くなりかけた。破れ小屋でもいい、それを見つけて一夜を明かしたい!
渦巻ける烏の群 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
もつと疲れ切つて、何も彼も麻痺まひしてしまひたかつた。ゆき子は、少しづつ心細くなつて来てゐる。夜の雨は、光つて、汚れた硝子窓に降り込めてゐる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
穏かに眠れる妻の顔、それを幾度かうかがって自己の良心のいかに麻痺まひせるかを自ら責めた。そしてあくる朝贈った手紙は、厳乎げんこたる師としての態度であった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
その頃ショパンはリストに対して「群衆が私を威嚇いかくする。その息で窒息させられそうだ。私は不思議な光景に麻痺まひさせられ、見知らぬ顔の海が私をつんぼにする」
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
揺つてみても正体がないので、それから大騒ぎになつたのですが、継子さんはもうそれぎり蘇生いきかえらないのです。お医師いしゃの診断によると、心臓麻痺まひださうで……。
げに夜深よふかくして猛虎の声に山月の高き島田の気合に、さしも新徴組の荒武者が五体ピリピリと麻痺まひします。
したがって、そこひの人のごとく、たとい眼球はあっても、視神経が麻痺まひしておれば、色は見えませぬ。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
あの深夜に独り床上に坐して苦痛を苦痛と感ずる時こそ麻痺まひして自ら知らざる状態にあるよりはより多く生くる時であると考えたような自分の身のどんづまりの方へ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
星田が捕まった事さえも当然の事と思えるくらい麻痺まひしてしまった頭の片隅で、ただ無意味に「サイアク、オククウ」という言葉を考えながらヨロヨロとよろめき退いた。
いくらなまめかしく縋りつかれたからとてそんな恐怖のタダ中で、味な気なぞが起るものか! そんなバカをしたら、恐怖とアレが入り交じって、心臓が麻痺まひしてしまうであろう。
雷嫌いの話 (新字新仮名) / 橘外男(著)
不作法ぶさはふ言辭げんじ麻痺まひして彼等かれらはどうしたら相互さうご感動かんどうあたるかと苦心くしんしつゝあつたかとおもやう卑猥ひわいな一唐突だしぬけあるにんくちからるとの一にんまたそれにおうじた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
神経の麻痺まひしたその腕は、なんの痛痒つうようも感じないと見え、引っ込まそうとはしなかった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
また決して閏土のような苦しみと麻痺まひとの生活をするようになることをも願わない。
故郷 (新字新仮名) / 魯迅(著)
十七日の月が出てきて、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明たいまつの淡い明りに鳥辺野とりべののほうが見えるというこんな不気味な景色けしきにも源氏の恐怖心はもう麻痺まひしてしまっていた。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
これをあざけるのはその心霊の麻痺まひを白状するのである。僕の願はむしろ、どうにかしてこの問を心から発したいのであります。ところがなかなかこの問は口から出ても心からは出ません。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
女は恐ろしさに麻痺まひしたようになっている。そののどからは自分にもほとんど聞えない位な、咳嗄しわがれた叫び声が出た。顳顬こめかみほおとをしっかり抑えられていて、頭を動かす事が出来ない。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
やがて愛らしい花嫁となる処女むすめが、祝言しゅうげんの前晩に頓死とんしするのもある、母親の長い嘆きとなるのも知らずに。麻痺まひしたしんの臓のところに、縫いかけた晴れ着をしっかり抱き締めたりしてな。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
天賦的に引込思案ひっこみじあんな者ではなく、男子専権の社会に圧迫されて、自主的に行動する意気を麻痺まひし、もしくはわざと遠慮気兼をして、万事に控目な依頼主義を取っているに過ぎないのですから
新婦人協会の請願運動 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
麻痺まひの状態からわれに返って、わたしは準備をした。そして機を待った。
の非道横着にして、人をしいたげ世を逆して、みずから慚死ざんしするあたわざる者の如きは、これ良心の麻痺まひ病にかかりたるなり、彼らが大胆は強盗殺人者の大胆なり、未だ剛勇を以て許すべからざるなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
昨日も彼はリュックを肩にして、ある知りあいの農家のところまで茫々ぼうぼうとした野らを歩いていた。茫々とした草原に細い白い路が走っていて、真昼の静謐せいひつはあたりの空気を麻痺まひさせているようだった。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
菓子は餓えた味覚を麻痺まひさせながら舌の上で解けていった。
動物園の一夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
「肺臓麻痺まひを伴う脳溢血のういっけつ」之が医師の診断であった。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)