いっ)” の例文
わが手のかぬ先にわが失えるものはすでに多い。わが手筆を持つの力を得てよりいっするものまた少からずと云ってもうそにはならない。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
長蛇ちょうだいっした伊那丸いなまるは、なおも、四、五けんほど、追いかけてゆくのを、待てと、坂部十郎太さかべじゅうろうたの陣刀が、そのうしろからしたいよった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょっと向うがこちらの気に負けて静止した時をいっせずねらわなければげてしまう。この感じは、実は研究全体についてもいえるのである。
実験室の記憶 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
好機いっすべからずとて、ついに母上までもあざむき参らせ、親友の招きに応ずと言いつくろいて、一週間ばかりのいとまを乞い、翌日家の軒端のきばを立ちでぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
こんなわけで、折角せっかく生捕いけどったたった一匹のルナ・アミーバーでありましたが、惜しくも天空てんくういっし去ってしまったのです。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
多くのすぐれた句を書いているのは、彼の気質が若々しく、枯淡や洒脱を本領とする一般俳人の中にあって、範疇はんちゅういっする青春性を持っていたのと
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
基経は先刻から黒鶫くろつぐみの去らぬこずえの姿を見ていたが、この機会をいっしてはならぬと、突然、基経は鶫を指差していった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
大浦自身の言葉によれば、彼は必ずしも勇士のように、一死をしてかかったのではない。賞与を打算に加えた上、とらうべき盗人をいっしたのである。
保吉の手帳から (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ひとり三年は単純であるかわりに元気が溌剌はつらつとして常軌じょうきいっする、しかも有名な木俣ライオンが牛耳をとっている
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
矢田はこの機いっすべからずと、あたりを見廻したが、折悪おりあしく円タクが通らないので、二人はそのまま立止った。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それにしても、井関さんの今度のいたずらは、彼が井上と私との親密な関係を、よく知らなかったとはいえ、殆ど常軌じょうきいっしていると云わねばなりません。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼は「えい!」と一声叫ぶと、パッと右手めてへ身をいっしたが、そこは芒の原であった。甚三の馬が悠々と、主人の兇事も知らぬ顔に、一心に草を食っていた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その怯懦きょうだと愚鈍からみすみすそれをいっし去ったのは、すくなくともこの場合、当然身をていして警察と公安を援助すべき公共的義務精神の熱意と果敢さにおいて
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
はたして外国人に干渉かんしょうの意あらんにはこの機会きかいこそいっすべからざるはずなるに、しかるに当時外人の挙動きょどうを見れば、別にことなりたる様子ようすもなく、長州騒動そうどう沙汰さたのごとき
彼はどこかこのあたりの別荘へ来ている者だろうと思ったきりで、それ以上べつに好奇心も起らないので、女のことは意識の外にいっしてその土手を上流かみての方へ歩いて往った。
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
近く論ずれば今の所謂いわゆる立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理のほかいっすることは叶わず、独立の外にる所なしとうべきこの大切なる一義を
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
竹敷たけじきを出た上村艦隊が暴雨のために敵をいっして帰着したということが書いてある。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
しかし十五分もたつとすでに、かれは、自分の知る限りでの最も味わいがいのあるこの境遇を、こんなふうに心で見すてて、つまらない仕事でいっしてしまうのは、もったいない気がした。
暗くなっては敵をいっするおそれがあるので、一時も早くからめ捕ってしまおうと、御用の勢は、各自手慣れの十手を円形につき突けて——さて、駈けあがろうとはあせるものの、高処こうしょの左剣
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
なんとなく思想発表の好機をいっするような心持ちを禁じえぬゆえ「煩悶と自由」の終りに特に一篇を書きそえた例になろうて本書にも新たに一文を書きつづって巻末に追加することとした。
我らの哲学 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
それだけでせば、おそらく誰も気の付くものはなかったでしょうが、一度銀簪の誘惑に負けて血を見ると、常軌をいっしたお才の頭は果てしもなく狂って、自分より若くて美しい女さえ見れば
ずっと前の事であるが、ある人から気味合きみあいみょうはなしを聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間りんかん焚火たきびの煙のように、何処どこか知らぬところにいっし去っている。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
褒められる機会があれば決していっさない。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そのあいだに、天野あまの猪子いのこ足助あすけなどが、鉾先ほこさきをそろえてきたため、みすみす長蛇ちょうだいっしながら、それと戦わねばならなかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしそれがために、私は機会をいっしたと同様の結果におちいってしまいました。私は自分について、ついに一言いちごんも口を開く事ができませんでした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そしてかの美貌の男か、美女か、小山すみれかに行逢ゆきあえば、直ちに補えるつもりでいたけれど、結局この重要なる三人の人物をむなしくいっしてしまった。
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
常子はこの馬の脚に名状めいじょうの出来ぬ嫌悪けんおを感じた。しかし今をいっしたが最後、二度と夫に会われぬことを感じた。夫はやはり悲しそうに彼女の顔を眺めている。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ことに犯罪には常軌じょうきいっした馬鹿馬鹿しい事がつきものです。そういうものを馬鹿にしないことが犯罪を解く者の秘訣ひけつです。……こんなことを外国の有名な探偵家がいいのこしていますよ
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
云いながら好機いっすべからずと彼は山吹の手をとった。それからそっと腰をかける。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
之を喩えば音楽、茶の湯、挿花の風流を台所に試みて無益なるが如し。かのみならず古文古歌の故事は往々浮華に流れて物理の思想に乏しく、言葉は優美にして其実は婬風にいっするもの多し。
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
おかげでもう一歩というところであたら長蛇ちょうだいっしたのは、すべてお藤のしわざで、ひっこんでいさえすれば、見事若造を斬り棄てて坤竜丸を収め得たものを! さ、いったい全体だれに頼まれて
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
世にもい、それが意のごとくにならないところからまた、よけい常軌をいっした言動になったりするふうの見える文覚であった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
したがって、それを利用できる時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の経験として教えて上げる機会を永久にいっするようになります。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
無辜むこのものを罪に陥れ、有罪者をいっすることがあるといっていますね。
心理試験 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
の目たかの目で珍ダネを探している新聞記者がいっする筈はなかった。
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「まずいっする心配はない」
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
(かくの如き時は生涯二度とはありませぬぞ。秀吉とて明日はこの世の者でないかも知れず、かかる時をいっして悔いを千載せんざいにのこし給うな)
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「艦隊ハ午後九時二十分北緯四十度東経百三十七度ノ洋上ニおいテ、高度約二千メートルヲ保チ、南東ニ飛行中ノ敵超重爆撃機四機ヲ発見セリ、直チニ艦上機ヲもっテ急追攻撃セシメタルモ、天暗ク敵影ヲいっスルオソレアリ」
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
従って誰も彼も、立居振舞たちいふるまい常規じょうきいっしています。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
隊伍をととのえて駈け出ようとした時では、たとえ駈けつけて行っても、時間として、信長を救うべき機はすでにいっしていたものといってよい。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尚更なおさらいっすることのできない話である。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「いたずらに、大事をとって、上方の戦況を、にらみ合せていたのでは、ついに機をいっすばかりか、逆に鎌倉方の先手を食うかもしれませぬ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「うるさい。うるさいっ。下司げすめが、まだえおるか。……ええ、時遅れては大事をいっす。源右衛門、こやつを、引離せ」
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正隆まさたか、正遠、正光らもおるな。いっしはしたが、尊氏もきもにこたえたはず、直義とて同様。このうえは雑軍ぞうぐん端武者はむしゃの手を待って死ぬはおろか」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『——われわれは、まんまと、その下手人に、たばかられたのじゃ。折角、御城内にいたものを、いっしてしもうたのだ』
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
組々の親方どもは、人夫達の気もちを充分にわきまえておるであろう。このときをいっしては、汝らの願い事を、殿のお耳へじかに聞いて戴く折はないぞ。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「敵将義貞の首を、お目にかけるつもりでいたのに、事成らず、いっしました」と、しきりに残念がるのでもあった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
経家は、いま使者をうけたこのしおいっすべきではないと、独り問い独り答えたあげく、やがて茂助へ向って云った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
未練みれんにはございますが、いまを措いては、まったく時をいっします。あわれ、まいちど、御集議にかけ給わって」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
故に、三国志は、いて簡略にしたり抄訳しょうやくしたものでは、大事な詩味もいっしてしまうし、もっと重要な人の胸底を搏つものをくしてしまうおそれがある。
三国志:01 序 (新字新仮名) / 吉川英治(著)