熊野くまの)” の例文
いったい吉野の山奥から熊野くまのへかけた地方には、交通の不便なために古い伝説や由緒ゆいしょある家筋の長く存続しているものがめずらしくない。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かれ神倭伊波禮毘古の命、其地そこより𢌞り幸でまして、熊野くまのの村に到りましし時に、大きなる熊髣髴ほのかに出で入りてすなはち失せぬ。
「それでも莫迦ばかにはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野くまのにも一本、厳島いつくしまにも一本、流れ寄ったとか申していました。」
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
オケヂャもしくはウケヂャという食物は、日本海側では越後えちご出雲いずも、太平洋側では紀州の熊野くまの備中びっちゅうあたりにも分布している。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
峠のものは熊野くまの大権現だいごんげんに、荒町のものは愛宕山あたごやまに、いずれも百八の松明たいまつをとぼして、思い思いの祈願をこめる。宿内では二組に分かれてのお日待ひまちも始まる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そうすると、そこへ熊野くまの高倉下たかくらじという者が、一ふりの太刀たちを持って出て来まして、たおれておいでになる伊波礼毘古命いわれひこのみことに、その太刀をさしだしました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
庄司も妻もおもてを青くして嘆きまどひ、こはいかにすべき。ここに都の三二八鞍馬寺くらまでらの僧の、年々熊野くまのに詣づるが、きのふより此の三二九向岳むかつを三三〇蘭若てらに宿りたり。
紀州灘きしゅうなだ荒濤あらなみおにじょう巉巌ざんがんにぶつかって微塵みじんに砕けて散る処、欝々うつうつとした熊野くまのの山が胸に一物いちもつかくしてもくして居る処、秦始皇しんのしこうていのよい謀叛した徐福じょふく移住いじゅうして来た処
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
みんなはあの三にんのおじいさんは、住吉すみよし明神みょうじんさまと、熊野くまの権現ごんげんさまと、男山おとこやま八幡はちまんさまがかり姿すがたをおあらわしになったものであることをはじめてって、不思議ふしぎおもいながら
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
鹿は春日かすがの第一殿鹿島かしまの神の神幸みゆきの時乗りたまいし「鹿」から、からす熊野くまの八咫烏やたがらすの縁で、猿は日吉山王ひよしさんのうの月行事のやしろ猿田彦大神さるだひこおおかみの「猿」の縁であるが如しと前人も説いているが
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
熊野くまのやまめぐりをしたときうたですが、おきとほはなれてうかんでゐるとりのようなふね、それがいま、そこにをつたかとおもふと、瞬間しゆんかんおよばないとほいところにかけつてつてゐることよ。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
坂下もまた絵双紙屋の側の熊野くまの神社、それと向い合った柳の木に軒燈の隠れた小さな煙草たばこ屋のほかはやはり記憶から消えてしまったけれどもその小さな煙草屋の玻璃棚が並べられて
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
紀州熊野くまのの住人日下くさか六郎次郎が、いにしえ元亀げんき天正のみぎり、唐に流れついて学び帰った拳法けんぽうに、大和やまと島根の柔術やわらを加味くふうして案出せると伝えられる、護身よりも攻撃の秘術なのでした。
熊野くまのの神様に死をいのったじゃないか」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
熊野くまのに行くのが宿願じゃ
熊野くまの道者か
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
しん徐福じょふくが童男女三百人をつれて、仙薬を求めて東方の島に渡ったということは世に知られ、我邦わがくにでも熊野くまの新宮しんぐうがその居住地であったとか
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
昔は金峯山きんぷせん蔵王ざおうをはじめ、熊野くまの権現ごんげん住吉すみよし明神みょうじんなども道明阿闍梨どうみょうあざりの読経を聴きに法輪寺ほうりんじの庭へ集まったそうである。
文章 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
如意にょい、香爐、孔雀くじゃくなどという名高い遊女のいたことが記してあり、そのほかにも小観音、薬師、熊野くまの
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それ牛王ごおうを血にけがし神を証人とせしはまだゆかしき所ありしに、近来は熊野くまのを茶にしてばちを恐れず、金銀を命と大切だいじにして、ひとつきん千両なり右借用仕候段実正みぎしゃくようつかまつりそうろうだんじっしょうなりと本式の証文り置き
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
貞光さだみつ季武すえたけ熊野くまの権現ごんげんにおまいりをして、めでたい武運ぶうんいのりました。
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
神倭伊波礼毘古命かんやまといわれひこのみことは、そこからぐるりとおまわりになり、同じ紀伊きい熊野くまのという村にお着きになりました。するとふいに大きな大ぐまが現われて、あっというまにまたすぐ消えさってしまいました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
熊野くまのくぢらつきのうたです。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
つかはすとの御意にていとまになり又たさくの方もすぐながの暇となり意伯と夫婦に成べしとの御意にて是も五人扶持くだし置れしかば意伯いはくはお作の方と熊野くまの山奧やまおく蟄居ちつきよし十七年目にて御目通りなし又増扶持として五人扶持下し置れ都合つがふ十五人扶持にて平野村ひらのむらに住居し名を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野くまのとか王子おうじとか、由緒ゆいしょのある神を拝むのではない。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
佐渡さど熊野くまの淡路あわじなどに、ホドと最も近いヒドコという語があって、すべて今風の塗りベッツヒを意味している。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それから太平記の大塔宮だいとうのみや熊野くまの落ちの条下に出て来る竹原八郎の一族、———宮はこの家にしばらくご滞在になり、同家の娘との間に王子みこをさえもうけていらっしゃるのだが
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
まちがいをなくしようと思えば、このほうをサスオコ、ほかの昔からあった尖らない朸のほうを、熊野くまの地方のようにマルオコと呼ぶのがよいかも知れない。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それも岩殿を熊野くまのになぞらえ、あの浦は和歌浦わかのうら、この坂は蕪坂かぶらざかなぞと、一々名をつけてやるのじゃから、まずわらべたちが鹿狩ししがりと云っては、小犬を追いまわすのも同じ事じゃ。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
少彦名命すくなひこなのみこと熊野くまの御碕みさきから、彼方かなたへ御渡りなされたというのもなつかしいが、伊勢を常世とこよなみ敷浪しきなみする国として、御選びになったという古伝などはとくに殊勝しゅしょうだと思う。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
越後えちご高田辺たかだあたりでも、米と大豆だいずをざっとって飯に炊いたものがオケジャ、駿河するが志太しだ郡では飯を炒って味をつけたのをウケジャまたは茶菓子ちゃがしともいっており、紀州きしゅう熊野くまのなどでは
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いつのにかそれもまた変って、他の地方ではサスといい、またはトギリおことも(岡山)トガラシおことも(大和やまと)チョガシおことも(熊野くまの)いう棒を、山朸とよぶ村々もできてきたようである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
熊野くまのを振り出しに伊勢や熱田あつたのあたりへ移って来て、やがて第二の勢力にその地位を譲って、消えてなくなってしまった比丘尼衆びくにしゅうを始めとし、かつてこの国土に弥蔓びまんした遊行女婦ゆうこうじょふの名は数多い。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
熊野くまのなどではこれを釣瓶つるべさしと呼んでいた。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)