漠然ばくぜん)” の例文
文化ぶんくわ發達はつたつしてれば、自然しぜん何處どこ漠然ばくぜんとして稚氣ちきびてるやうな面白おもしろ化物思想ばけものしさうなどをれる餘地よちくなつてるのである。
妖怪研究 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
しかし漠然ばくぜんながらではあるが、自分の前にいる少女とその心像の少女とは全く別な二個の存在であるような気もしないではなかった。
ルウベンスの偽画 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その二百年にひやくねんあまりのあひだに、だん/\うたといふものゝ、かういふものでなければならないといふ、漠然ばくぜんとした氣分きぶん出來できました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
子供の時分から病弱であった私は、物心がついてから以来ほとんど医者にかかり通しにかかっていたような漠然ばくぜんとした記憶がある。
笑い (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
将校は旅行者の近くまで近づいていき、彼の顔は見ないで、上衣のどこかを漠然ばくぜんとながめながら、さっきよりも低い声でいうのだった。
流刑地で (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
けれども、まったく無知なあわれな漠然ばくぜんたる考えのうちにも、何かしら余りに酷に過ぐるもののあるのを、たぶん感じていたであろう。
固有派にては、甲人に於ける天命も、乙人に於ける天命も、汎然はんぜん漠然ばくぜんとして一なるが如く、平等の理はあれども、差別の實なし。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
一刻も猶予しないで、ふたたび階段を駆け降り、隣りの人たちが教えてくれる漠然ばくぜんとした方向へ、クリストフを捜しに出かけた。
冥々めいめいのうちに、漠然ばくぜんとわが脳中に、長谷川君として迎えるあるものが存在していたと見えて、長谷川君という名を聞くや否やおやと思った。
長谷川君と余 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
町を西から東へ貫流する掘割が、東の海へ出る川口のところで、土地の人たちはそのあたり一帯を漠然ばくぜんと「東」と呼んでいた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
だから、その名を付けるにも、これに願望がんぼうを祈りこむ。しかしまだ漠然ばくぜんたる希望であり、まずは普通人になれとの希望をあらわすに止まる。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然ばくぜんと次のように感じていた。成程なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。
山月記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
仕事師の方も普通の小屋掛けの仕事と違って、大仏の形に型取った一つの建物の骨を作るのですから、当って見ると漠然ばくぜんとして手が出ません。
実はこれは無限という概念と結びついたもので、これでもって今まで漠然ばくぜんとしていた無限という概念がはっきりしたと言う。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
彼はきとかえりの船旅を思い比べ、欧羅巴を見た眼でもう一度殖民地を見て行く時の千村を想像し、漠然ばくぜんとした不安や驚奇やは減ずるまでも
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その上綾瀬川あやせがわその他支流や入江いりえなども多く、捜査範囲は非常に広い地域にわたり、如何いかな警察力を以てしても、余りにも漠然ばくぜんたる探し物であった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
なんといふやまひやらもらない、度々たび/″\病院びやうゐんかよつたけれども、いつも、おなじやうな漠然ばくぜんとしたことばかりはれてる。
追憶 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
その男の立っている姿を見ただけで、何か底意地のわるい漠然ばくぜんたる敵意が向うに感ぜられるのだが、太田は勇気を出して話しかけてみたのであった。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
行くとこまで行かねば停らぬのであろう——大人たちは漠然ばくぜんとそれを知っていた。そして矛盾なくそう覚悟していた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
その文化映画社に入社してまだ間もない彼には、そこの運転は漠然ばくぜんとしかわからなかったが、ここでも何かもう追い詰められてゆくものの影があった。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
顔に檜扇ひおうぎを当てた、一人の上﨟じょうろうが、丈なす髪を振り敷いて、几帳きちょうの奥にいる図が描かれてあって、それに感じた漠然ばくぜんとしたあこがれが、いまも横蔵の
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
なぜかなれば、船全体が霧のために、漠然ばくぜんたる輪郭をもってぼかされ、それを想像をもって拡大するからであった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
その途中で出会った多くのものは、なぜかは知らないが、前に述べたあの漠然ばくぜんとした感情を高めるだけであった。
無論むろん讀書人どくしよじん夏目漱石なつめさうせき勝負事しようぶごとには感興かんきようつてゐなかつたのであらうが、それは麻雀競技マアジヤンきやうぎはなは漠然ばくぜんとした、斷片的だんぺんてき印象いんしよう數行すうぎやうつゞつたのにぎない。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
そんな点から考えると、自分の母を恋うる気持はただ漠然ばくぜんたる「未知の女性」に対する憧憬どうけい、———つまり少年期の恋愛れんあい萌芽ほうがと関係がありはしないか。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
常子は意味ありげに和作を持てなした。徳次郎は意味ありげに気弱な顔を見せた。——この漠然ばくぜんとした意味ありげなものが、和作には何物よりもこたへた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
きつと危険な代物だらうといふ漠然ばくぜんとした概念を与へるので、皆は気味わるさうに、それを覗くのであつた。
フアイヤ・ガン (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
何事かわからない、或る漠然ばくぜんとした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙がしく私の心の中をけ廻った。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
たゞ漠然ばくぜんと、こゝまで来た感じだつたところだつたので、富岡は、ゆき子の発病には、相当の衝撃を受けた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
胸の底にひそんだ漠然ばくぜんたる苦痛を、たれと限らずやさしい声で答へてくれる美しい女にうつたへて見たくてならない。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
現在の後生観ごしょうかんは、いずれの島でも漠然ばくぜんとし、また村ごとの差異も著しいようであり、一方にはまた二種幽界ゆうかいの思想が起こって、かなりの混乱を与えてもいるが
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
拝んで一瞬すべてを忘却出来れば、それでいいではないか——私はそう思うことが多い。そうしている間だけ生の漠然ばくぜんたる不安から逃れられるような気がするのだ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
そのころから世人の気もちの中には、漠然ばくぜんとではあるが、こういう観察がどこかに根ざし始めていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第一条理すじみちがたっていないよ。まるで、雲をつかむように漠然ばくぜんとしている。そうかと思うと、突然、大声をはり上げて、「貴様はあんなあなだ!」って怒鳴どなりつけるんだ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
輿論よろんを指導し、大衆を啓発けいはつし、政府を批判し、政策を準備し、選挙に候補者を立て、選挙運動を組織し、もって漠然ばくぜんと前提されているにすぎない国民意思というものを
政治学入門 (新字新仮名) / 矢部貞治(著)
なんで、川上のおかみさんになぞなるのだろうと、漠然ばくぜんとそんなふうに思ったこともあった。その後、川上座の建築が三崎町みさきちょうへ出来るまで、奴の名には遠ざかっていた。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
漢家を敵視すしも真実その苦学の目的如何いかんなんて問う者あるも、返答はただ漠然ばくぜんたる議論ばかり。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「どなたからで」と門番がきくと、「道で逢ったお方から」こういう漠然ばくぜんとした返事であった。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
汝は世間普通の意味で漠然ばくぜん善と言っているにすぎぬでないか。善とは普通に道徳家の言っているよりも、はるかに深いものなのだ。善とは神である。神のほかに善はない。
ただ漠然ばくぜんと親というものの面影を今日きょうまで心に作って来ているだけであったが、こうした苦難に身を置いては、いっそう親というものの恋しさが切実に感ぜられるのであった。
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
漠然ばくぜんとした不気味ぶきみさに小さなふるえを感じながら、私は階段を静かに降りていたのでございました。と、七階から六階へ通じるところでございましたか、誰も人影はございません。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
……だが、今ジナイーダの身に漠然ばくぜんと感じられるること、——それには何としても馴染なじむことができなかった。……「男たらし」と、わたしの母はいつぞや彼女のことをののしった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
chic とは、上品と意気との二頂点を結び付ける直線全体を漠然ばくぜんと指している。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
何者か漠然ばくぜんとした相手にみつを与えようとして、僕は自分のり抜きの花から花粉をかき集めたり、かんじんの花を引きむしったり、その根を踏み荒したりしているみたいなものです。
しかるにこういう漠然ばくぜんとしたことでは、なかなか熱心ということは起こりがたい。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
情熱はそんな場合、自分の利益を見つけることを、漠然ばくぜんと望み得るからである。
ただ漠然ばくぜんたる一致が感じられるばかりだった。警部は、それを、自分の科学知識不足にして、ちょっと忌々いまいましく感じたのだった。それにしても、一体誰がこの雑誌を送ってよこしたのだ。
省線電車の射撃手 (新字新仮名) / 海野十三(著)
猪熊いのくまのばばの心の中には、こういう考えが、漠然ばくぜんとながら、浮かんで来た。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
世間を一向知らない私は前にもいう通りこういうものを書く人は皆世の中のいも甘いも噛分かみわけた中年以上の通人だとばかり漠然ばくぜんと思って、我々同年配の青年の団体とは少しも想像しなかった。
漠然ばくぜんとした階級意識から崖邸の人間に反感を持っている崖下の金魚屋の一家は、復一が小学校の行きかえりなどに近所同志の子供仲間として真佐子を目のかたきいじめるのを、あまりたしなめもしなかった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)