かまち)” の例文
かれは息を切って、逃げて、逃げて、柴井町の自分の店さきまで駈けて来て、店のかまちへ腰をおろしながら横さまに俯伏うつぶしてしまった。
影を踏まれた女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
僧は上りかまちに腰かけて、何の恥らう様子も無く、悪びれた態度もなく、大声をあげて食前の誦文を唱え、それから悠々とはしった。
とと屋禅譚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
血潮に汚された畳をがして、薄縁うすべりを敷いた四畳半の上がりかまちに腰を下ろして、そう言いながらも平次は、腰の煙草入を抜きました。
かまちがすぐにえんで、取附とッつきがその位牌堂。これには天井てんじょうから大きな白の戸帳とばりれている。その色だけほのかに明くって、板敷いたじきは暗かった。
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それで彼はそのままそこに残って、その杖の一端を握りしめ、ジャン・ヴァルジャンから目を離さずにとびらかまちを背にして立っていた。
智惠子が此家の前まで來ると、洗晒しの筒袖を着た小造りの女が、十許りの女の兒を上りかまちに腰掛けさせて髮を結つてやつて居た。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
「あんたはん、何でここのうちへ入っておいでやした。ここは私のうちとちがいます」と、いいながらあがかまちをあがって、娘に向って
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
返辞をしないので佐兵衛は帳場から立って来て、けやきの角材が、うるしで塗ったように黒くなっている店先のかまちまで出て来て、呶鳴りつけた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お捕り方みたいなことをいって、ぐいと肩をつかもうとした瞬間、ピョイと上がりかまちへとびあがったチョビ安、お藤の後ろへまわって
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
内地では根太ねだかまちの上に板を張りつめるのが普通であるが、此処では根太や框の間に一尺から一尺五寸幅ぐらいの板を切って張りつめる。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
が、瀬川はもう何も言わなかった。窓わきの壁からヴァイオリンをとって、低い窓のかまちに腰掛けて、さも呑気のんきそうに弾き始めた。
それから古ぼけた帷子かたびら姿を半身ぼんやりと浮かばせるとツト片足がかまちを跨ぎ続いて後の半身がヨロヨロと土間へはいって来た。
日置流系図 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ガラリと潜り戸をあけて平気なかおで入って来て、あがかまちに腰をかけて、こちらを見ながら、にやにやと笑っているのをお雪ちゃんが見届け
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
梯子段の途中に引っかかっている女将の巨体を飛び越すようにしてあがかまちから半靴を突かけると表の往来……千代町ちよまちの電車通りに飛出した。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
早く行て船室へ場を取りませねばと立上がれば婢僕ひぼく親戚あがかまちつどいて荷物を車夫に渡す。忘れ物はないか。御座りませぬ。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
すると、三十近くの痩繊やせぎすの、目の鋭い無愛相なかみさんがかまちぎわへ立ってきて、まず私の姿をジロジロ眺めたものだ。そうして懐手をしたまま
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
大きな炉のそばのかまちに腰をかけ、洋刀をつけたまま五郎八茶碗で、濁酒の接待にあずかり、黒い髭へ白の醪の糟をたらして、陶然としていたが
濁酒を恋う (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
そこも雨はり、たたみくさり、天井てんじょうにはあながあき、そこら中がかびくさかった。勘太郎は土間のがりかまちのところにある囲炉裏いろりの所へ行ってみた。
鬼退治 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
紅殻べにがら塗りのかまちを見せた二重の上で定規じょうぎを枕に炬燵こたつに足を入れながら、おさんの口説くどきをじっと聞き入っている間の治兵衛。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かまちへ俯伏したまま、頭を振り、身もだえし、まるで玄四郎がそこにいるかのように、かすれた声で嗚咽しながら呼びかけ、訴えるのであった。
居室南側裏窓の硝子戸かまち(高さ床上より約一丈)に麻縄約一尺(作業用紙袋材料を括りたるものをかねて貯え、居室内に包蔵しいたるものゝ如し)
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
島々しま/\と云ふ町の宿屋へ着いたのは、午過ぎ——もう夕方に近い頃であつた。宿屋のあがかまちには、三十恰好がつこうの浴衣の男が、青竹の笛を鳴らしてゐた。
槍ヶ岳紀行 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
三人は草鞋ばきの儘土間に這入って、座敷の上りかまちに出して呉れた布団を敷いて腰掛けながら、米を出して炊いて貰う。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
追われ追われて、彼女は再び往来をめがけて外に突進しようとして、F楼の上がりかまちから地面へ飛び降りた。それがもうみどりの最後の努力だった。
いずれも椿岳の大作に数うべきものの一つであるが、就中大浪は柱の外、かまちの外までも奔浪畳波があふれて椿岳流の放胆な筆力が十分に現われておる。
信州あたりにある三つ割式の家作やづくりで、家の真中を表から裏まで土間がつきぬけ、土間からすぐかまち座敷になって、そこに大きな囲爐裏が切ってあった。
西林図 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
庸三は床の黒柿くろがきかまちまくらにしてしばらく頭を休めていたが、するうち葉子と瑠美子との次ぎの間の話し声を夢幻に聞きながらうとうと眠ってしまった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
家の下に、淫売宿をかねた飲み屋のあったのを幸い、そこのかまちに腰かけたままで、酒を飲みはじめ、夜中の三時ごろになって、やっと、わが家に帰った。
野狐 (新字新仮名) / 田中英光(著)
はる子は、骨組みのしっかりした肩を動かして窓をあけると、かまちへ手と足とを一どきにかけるような恰好をし、もう身軽く外の闇へ消え込んでしまった。
雑沓 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
……かくて、飾りかまちの後ろに隠れ、耳をそばだて、じっと聴いているうちに、彼は心の底ではっとした。管弦楽はある小節の真中でぴたりと止っていた。
親達は碌にお互の話もしないで食事が終ると、土間かまちに腰を下ろして地下足袋をはいて出かけた。こんどは勘三が先きに立ち、ミツは後からついて行つた。
神のない子 (旧字旧仮名) / 室生犀星(著)
「狐と間違へられては大変ですネ」と篠田は莞然くわんぜんわらひ傾けつ、かまちに腰打ち掛けて雪にこほれる草鞋わらぢひも解かんとす
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
然し派手な着物をきて鼻先から額に汗をにぢませた女共が遠慮会釈もなくかまちの上へどつこいしよと荷物を投げ込み、犬屋の店先であるかのやうに口々に吠え
老嫗面 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
私は、すべりのよくない障子を開けて、窮屈な土間からかまちへ上った。すると、奥に頑丈そうな白髪の老婆が、恐しい眼付をして、こちらをじっと睨んでいた。
貸間を探がしたとき (新字新仮名) / 小川未明(著)
歴史的社会的存在のかまちを通って反映されて初めて、イデオロギーはイデオロギーの資格を得る筈であった。
イデオロギー概論 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
幸子は顔をしかめて、彼を見ながらだんだん後へ退さがってゆくと、あがかまちから落ちかけようとして手を拡げた。
御身 (新字新仮名) / 横光利一(著)
或る日、仕事を終えて久し振りに活動写真でも見に行こうと思い、かまちに腰を下して、残りの焼酎をちびりちびりと飲んでいると、小森さあん、と女の声がした。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
そういう建物の中で、部屋の中に上りかまちのようなものを作って床板を張り、古い畳が敷き並べてあった。
満洲通信 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
それはそのお婆さんがある日上がりかまちから座敷の長火鉢の方へあがって行きかけたまま脳溢血のういっけつかなにかで死んでしまったというので非常にあっけない話であったが
のんきな患者 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
あぐねたような曇り日のもと、次第に三人の姿のそれぞれにそれぞれの方角で小さくなってゆくおもての景色を、ボンヤリ上りかまちへ腰を掛けて次郎吉は見送っていた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
窓のガラスだとか、襖のかまちや引手だとか、家の中のあらゆる滑かな箇所が、次々と検査されて行った。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かまちに腰をかけて阿賀妻は草鞋わらじを脱いだ。取った脚絆きゃはんと手甲をそれぞれのひもゆわえてその隅に置いた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
猪之介は漸く上りかまちの端の方へ腰を掛けて、腰の煙草入れのかますの破れかゝつたのを探りながら
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
眼の前には、二本の柱で区画された一段高い内陣があって、見ていると、その闇が、しだいにせり上がって行くかと思われるほど、かまちは一面に、真白な月光を浴びていた。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
早口にそういって自分は足袋跣足たびはだしで片足つま先立って下駄を出している。実枝も立ち上っていっしょに慌て、ほれ、ほれ、と台所のあがかまちに置いてあった弁当包みを渡した。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
妾宅はあがかまちの二畳を入れて僅か四間よまほどしかない古びた借家しゃくやであるが、拭込ふきこんだ表の格子戸こうしど家内かない障子しょうじ唐紙からかみとは、今の職人の請負うけおい仕事を嫌い、先頃さきごろまだ吉原よしわらの焼けない時分
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
壁には、外国の名優の写真らしいのが、銘々白いかまちの縁に入れて三つかかっていた。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
三歩すすむと、あがりかまちに中腰になつてゐる教師との間は、もう何寸もなかつた。礼をすると、少年の頭はいやでも、教師の着物の膝がしらにつかへた。少年は教師の体臭をかいだ。
少年 (新字旧仮名) / 神西清(著)
叔父おじや、祖父などが、二三人、私の家の狭いあがかまちのところで、酒を呑み始めた。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
彼は、小半日も上りかまちの板の上でひねっていたが、どうもうまく行かない。
二銭銅貨 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)