朔日ついたち)” の例文
朔日ついたちと十五日と、毎月、夫々の日の朝には、彼の家では「蔭膳」と称する特別の膳部がひとつ、仰々しく床の間に向けて供へられた。
鏡地獄 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
九月朔日ついたちの朝は、南風みなみ真当面まともに吹きつけて、縁側の硝子ガラス戸を閉めると蒸暑く、あけると部屋の中のものが舞上って為方しかたがなかった。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
ほんに、今日こそ、氷室ひむろ朔日ついたちじゃ。そう思う下から歯の根のあわぬような悪感を覚えた。大昔から、暦はひじりあずかる道と考えて来た。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
長男で朔日ついたち生れの太郎であるから、簡単に朔太郎と命名されたので、まことに単純明白、二二ヶ四的に合理的で平凡の名前である。
名前の話 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
蜀山人がここを過ぎたのは、享和二年の四月朔日ついたちであるが、この物語はその翌年の三月二十七日に始まると記憶しておいてもらいたい。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そうこうするうち、月が改まって十月の朔日ついたちに、いよ/\都の辻々を引き廻されて、七条河原で斬られることになったのであった。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
山家らしい風呂ふろと、質素な夕飯とが、この吉左衛門を待っていた。ちょうど、その八月朔日ついたちは吉左衛門が生まれた日にも当たっていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
嘉永版かえいばんの『東都遊覧年中行事とうとゆうらんねんちゅうぎょうじ』にも、『六月朔日ついたち賜氷しひょうせつ御祝儀ごしゅうぎ、加州侯より氷献上、おあまりを町家ちょうかに下さる』と見えている。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
と、自分の責任のように答えたのは、京都の藩邸にいて、武蔵が船便で朔日ついたちに立つと聞くと共に早馬で知らせて来た藩士だった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昨夜、高篤三のところへいって、お朔日ついたちの市をぶらつきあなたのお見えになったことを聞いて、たいへん残念に思いました。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
それで小僧がわざわざその報知を伝えに来ましたから、私はその翌五月朔日ついたちの朝からその返事を受取りかたがた行きました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
旧暦の六月朔日ついたちには、市中と郊外にある富士山の形になぞらえた小富士や、富士権現を勧請かんじょうした小社に、市民が陸続参詣した。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
文久かのととり年は八月の朔日ついたち、焼きつくような九つ半の陽射しに日本橋もこの界隈はさながら禁裡のように静かだった。
二月の朔日ついたち直物なおしものといって、一月の除目じもくの時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫はごん大納言になり、右大将を兼任することになった。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
三月朔日ついたち、いよいよ秀吉の本隊も京都を出発した。随分大げさな出立をしたものとみえ、『多聞院日記』に「東国御陣立とて、万方震動なり」とある。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
一揆軍は原の廃城にこもつて、十二月朔日ついたちから籠城にかゝり、八日には小屋掛を終り、十二月廿日に第一回目の戦争。落城は翌年二月二十八日であつた。
島原の乱雑記 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
六曜とは先勝せんしょう友引ともびき先負せんぶ仏滅ぶつめつ大安たいあん赤口しゃっくとて、暦書の上に掲げてあり、その繰り方は正月ならば先勝を朔日ついたちとし、友引を二日、先負を三日として
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
いきおいを得た山名やまな方は九月朔日ついたちついに土御門万里つちみかどまでの小路の三宝院に火をかけて、ここの陣所を奪いとり、愈々いよいよ戦火は内裏だいりにも室町殿にも及ぼう勢となりました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
七月朔日ついたち四更に発す。冷水ひやみづ峠を越るに風雨甚し。轎中唯脚夫のつゑを石道に鳴すを聞のみ。夜明て雨やむ。顧望こばうするに木曾の碓冰うすひにも劣らぬ山形なり。六里山家やまが駅。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
朔日ついたちの夜の闇は、雨を交へてうるしよりも濃く、初太刀の襲撃に提灯を飛ばして、相手の人相もわかりません。
春から夏の初へかけていまわしい凶事が続くと、早々その年をおしまいにするために、流行正月はやりしょうがつと名づけて六月の朔日ついたちに、もう一度餅をき正月の形をする風習は
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かまへ是へ御引移ひきうつりあるべしとて此旅館のかり受方には伊賀亮が内意ないいを受則ち常樂院が出立する事にぞさだまりぬ頃は享保きやうほ十一午年うまどし三月朔日ついたち常樂院は美濃國長洞ながほら村を出立し道を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「二月二十一日荻ノ浜出帆、さすれば、遅くもその月みそかか、明けても朔日ついたちを遠くは過ぎるまじく、再会の日を思えば欣快きんかいこれに過ぐるものござ無くソロ、——」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
『なあに? なんて、けたたましい声を出すの? お朔日ついたちの朝っぱらから気の利かないブン大将』
四月馬鹿 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
続いて鳥羽辺が五月朔日ついたちからの大洪水であった、などという事で、其の年の六月十一日にはお竹橋たけばしらいが落ちて火事が出ました、などと云う余り良い事はございません。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
折ふし延宝二年臘月ろうげつ朔日ついたちの雪、繽紛ひんぷんとして六美女の名にちなむが如く、長汀曲浦ちょうていきょくほ五里に亘る行路の絶勝は、須臾たちまちにして長聯ちょうれん銀屏ぎんぺいと化して、虹汀が彩管さいかんまがふかと疑はる。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
朝まだきは納豆売、近所の小学に通ふ幼きが、近路ちかみちなれば五ツ六ツたもとを連ねて通る。お花やお花、撫子なでしこの花や矢車の花売、月の朔日ついたち十五日には二人三人呼びて行くなり。
草あやめ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
黒羊の皮衣や黒の冠で弔問されることはない。退官後も、毎月朔日ついたちには礼服を着て参賀される。
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
朔日ついたち十五日の神饌さへ忘れ勝で、村人が蔭でよく、「無性神主、腎張神主、歌手うたて何んとやら」
父の婚礼 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
二三日ぶら/\してゐて、いよいよ寢込んだのが七月の朔日ついたちか二日であつた。初め二三日、症状がはつきりせず、ともすると腸チブスではないかなどといふ熱の工合であつた。
樹木とその葉:04 木槿の花 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
九月は農家の厄月やくづき、二百十日、二百二十日を眼の前に控えて、朔日ついたちには風祭をする。麦桑にひょうを気づかった農家は、稲に風を気づかわねばならぬ。九月は農家の鳴戸なるとの瀬戸だ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
生活に幾分余裕があったのでもあろうが、お三日さんじつに——朔日ついたち、十五日、廿八日——門に立つ物乞おもらいも、大概顔がきまっていた。ことに門附かどづけの芸人はもらいをきめているようだった。
明治五年さる五月朔日ついたち、社友早矢仕はやし氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれをうにいとまあらず、博覧会の見物ももと余輩よはい上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
助は馬詰の宅の夜番で、朔日ついたち、十五日には裏門から台所の流しの溝の前に淋しく立つて一斗なり二斗なりの米を夜番賃として与へられるのを待つて居た。田宮の浜に小さいあかりが見える。
九月の朔日ついたちに地震の起った時、重吉は会社の客を案内して下目黒しもめぐろの分譲地を歩き回っていた最中さいちゅうだったので何の事もなかったが、種子は白木屋しろきやで買物をしていたので、狼狽うろたえて外へ逃出し
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大概お総菜そうざいなど、朝は、しばのお汁、中飯にはちハイ豆腐か、晩は鹿尾菜ひじきに油揚げの煮物のようなものでそれはつましいものであった(朔日ついたち、十五日、二十八日の三日には魚を付けるのが通例です)
英国で少女が毎月朔日ついたち最初にものいうとて熟兎ラビットと高く呼べばその月中幸運をく、烟突えんとつの下から呼び上ぐれば効験最も著しくき贈品随って来るとか(一九〇九年発行『随筆問答雑誌ノーツ・エンド・キーリス』十輯十一巻)
(陰暦の正月元日は立春に最も近き朔日ついたちを取りたる者なれば元日と立春と十五日以上の差違ある事なし。されど元日前十五日立春の年と元日後十五日立春の年とを比較すれば気候に三十日の遅速あり)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
頃しも弘安四年、うるふ七月ふづき朔日ついたち
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
なお、師匠の葬儀は十二月朔日ついたちまったので、寺の境内を式場に借りうけるため、宗太から頼まれて来た打ち合わせの用事もあった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
十月朔日ついたちの明け六つに、和田弥太郎は身支度して白山前町の屋敷を出た。息子の又次郎と下男の久助もそのあとについて行った。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
六月朔日ついたち以降、二日も三日も、京都及び近畿地方はほとんど晴天で、照りつける暑さだったが、中国地方の気象きしょうは、概して晴曇せいどん半ばしていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで朔日ついたちの朔だと教へるが、これがどうも一向に人々に通用しない。「ツイタチのサク。さてね、どんな字ですか。」
名前の話 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
朔日ついたちとりでしたから、……酉、いぬ……、あっ、の四日……。それで、鼠が四匹か……。どっちみち、あの碁石を
夏になると御所から三条の宮は方角ふさがりになるために、四月の朔日ついたちの、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
大通詞今村源右衛門、稽古通詞加福喜七郎、品川丘次郎その他二十六名の者が附添ひ、十一月朔日ついたち江戸表へつき、小石川茗荷谷みょうがだにの切支丹屋敷へ入れられた。
いきおいを得た山名やまな方は九月朔日ついたちつひに土御門万里つちみかどまでの小路の三宝院に火をかけて、ここの陣所を奪ひとり、愈〻いよいよ戦火は内裏だいりにも室町殿にも及ばう勢となりました。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
朔日ついたちの夜の闇は、雨を交えて漆よりも濃く、初太刀の襲撃に提灯を飛ばして、相手の人相もわかりません。
八月三十一日の夕方、朔日ついたちから学校の始まるちいさい子供達を連れて、主人夫婦は東京に帰る事になり、由井ヶ浜の曲淵まがりぶちの別荘には、九人の人数が残る事になった。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
おきん (大根を大切そうに包丁で、切りながら)おぬしには、この朔日ついたちにも一本貸してやったな。
義民甚兵衛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)