新羅しらぎ)” の例文
「わたしは新羅しらぎくにからはるばるわたって天日矛命あまのひぼこのみことというものです。どうぞこのくにの中で、わたしの土地とちしていただきたい。」
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
神功皇后の新羅しらぎ征伐は、熊襲の背後を成す新羅をつと共に、この任那を新羅の圧迫より救援されるための出師すゐしであつたとも云はれる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
ここにその御杖を新羅しらぎ國主こにきしかなとに衝き立てたまひ、すなはち墨江すみのえの大神の荒御魂あらみたま一五を、國守ります神と祭り鎭めて還り渡りたまひき。
この天皇の御代みよには、新羅しらぎの国の人がどっさりわたって来ました。武内宿禰たけのうちのすくねはその人々を使って、方々に田へ水を取る池などをりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
本邦の釈道照は新羅しらぎに入って役行者えんのぎょうじゃ化身と語ったなど、虎が人となって予言し、術者が虎に化けて人と談じた物語少なからず。
さて、南朝鮮みなみちようせんには、あちらこちらに多數たすう古墳こふんがありますが、なかでも一番いちばんたくさんのこつてゐるのは、もと新羅しらぎみやこ慶州けいしゆうです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
新羅しらぎに使に行く入新羅使以下の人々が、出帆の時にはわかれを惜しみ、海上にあっては故郷をおもい、時には船上に宴を設けて「古歌」を吟誦した。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
その頃は新羅しらぎ百済くだらの使者が立てつづけに来朝して、内臣の役目はなかなか忙しかつた。王女も結局は笑つて恕すほかはなかつた。つまりは敗けたのである。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
天平時代てんぴょうじだいの日本の都の男女はやはりこういうふうにしてとう新羅しらぎのタイプに化して行ったのかもしれない。
Liber Studiorum (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
時代は新羅しらぎさかのぼるであろうか。これにく寺宝はあるまい。寺の歴史は古いと見える。幾基かの新羅の石塔が昔の信仰を語っている。境内には堂宇が少くない。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
佐渡では新羅しらぎ王書と署名した奇異なる草体の書が、多くの家に蔵せられ、私もそのいくつかをみた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「たまたま産み月にあたる。祈っていわれるには、討伐の仕事がおわって還ってきたとし、この地で生まれますように、と。そうして、軍隊を舟にのせて、新羅しらぎにいった。」
皇室の御上について申さば、神功皇后の御母方は、新羅しらぎの王子天日槍あめのひぼこの後だとあります。また桓武天皇の御生母なる高野皇太夫人は、百済くだら王家から出られたお方であります。
あはせて皇子大津が為めに、詿誤あざむかれたる直広肆八口朝臣音橿ぢきくわうしやくちのあそみおとかし小山下壱伎連博徳せうせんげいきのむらじはかとこと、大舎人中臣朝臣臣麻呂おほとねりなかとみのあそみおみまろ巨勢朝臣多益須こせのあそみたやかす新羅しらぎ沙門行心ほふしぎやうじん、及び張内礪杵道作とねりときのみちつくり等卅余人を捕ふ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
陶器をペルシア、ギリシア、ワコ、新羅しらぎ南京古赤画なんきんこあかゑ白高麗はくかうらい等を蔵すれども、古織部こおりべ角鉢かくばちほかは言ふに足らず。古玩こぐわんを愛する天下の士より見れば、恐らくは嗤笑しせうまぬかれざるべし。
わが家の古玩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
頡利きつりは盟に背いてとりこにせられ、普賛ふさんは鵞を鑄って誓を入れ、新羅しらぎは繊錦の頌を奏し、天竺てんじくは能言の鳥を致し、沈斯ちんしは捕鼠の蛇を献じ、払林ふつりんは曳馬の狗を進め、白鸚鵡は訶陵かりょうより来り
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
不弥うみの国から一人の偵察兵が奴国なこくの宮へ帰って来た。彼は、韓土かんどから新羅しらぎの船が、宝鐸ほうたくと銅剣とを載せて不弥の宮へ来ることを報告した。長羅ながらは直ちに出兵の準備を兵部ひょうぶ宿禰すくねに促した。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
新羅しらぎに遣はさるる使人等の一行は、ここ志賀の浦波に照りかへす月光を看て、遠くも来にける懐郷の涙をしぼり、志摩郡の唐泊からどまりより引津泊ひくつどまりに移り、可也かやの山べに小男鹿さをしかの声の呦々えう/\たるを聴き
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
今日か明日、新羅しらぎ問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっては、再太宰府へ出向かれることになっているかも知れぬ。手遅れしては一大事である。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
よし新羅しらぎ百済くだらの海の果てへ流さるるも、死を賜うも、大聖釈尊だいしょうしゃくそんをはじめ無量諸菩薩しょぼさつが、われら凡愚煩悩ぼんのう大衆生だいしゅじょうのために、光と、あかしとを、ここにぞと立て置かれたもうた念仏の一行いちぎょうであるものを。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると新羅しらぎ使者ししゃの中に日羅にちらというとうとぼうさんがおりましたが、きたないわらべたちの中に太子たいしのおいでになるのを目ざとく見付みつけて
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
それは、この時分からも、もっともっとむかし新羅しらぎの国の阿具沼あぐぬまというぬまのほとりで、ある日一人の女が昼寝ひるねをしておりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
かように新羅しらぎひとかゞみ使つかつたにしても、はかうづめないから、支那しなからたくさんのかゞみがはひつてたとはおもはれません。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
かれここを以ちて、新羅しらぎの國をば、御馬甘みまかひと定めたまひ、百濟くだらの國一三をば、わた屯家みやけ一四と定めたまひき。
新羅しらぎ使等が船上で吟誦した古歌として、「天離あまざかるひなの長道ながぢを恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」(巻十五・三六〇八)があるが、此は人麿の歌が伝わったので
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
欽明天皇の御世にほろんだ任那みまな日本府を復興せんとし、屡々新羅しらぎを御征討になつたし、又推古天皇の十五年小野妹子をののいもこを隋に遣はされて対等の国際的関係を結ばれ、いで高向玄理たかむくのくろまろ
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
或いはまた「栲衾たくぶすま新羅しらぎの国」などとも謂って、白いという枕詞まくらことばにこのタクのふすまを用いていたのを見ると、是はおそらくは染めずに着たもので、今日謂うところの生麻きあさなどと同じく
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
境内けいだいではしきりにきじが鳴いている。樹立こだちの繁みは深い。華厳寺の建物は堂々たるものであった。生憎あいにく金堂こんどうは今大修理中で見ることが出来ない。この寺は新羅しらぎ時代の石塔石燈せきとうを以てことに名がある。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大同年間から生田の氏子うじこ、つまり神戸(カムベ)の民は、ここで酒を醸造しており、来舶の新羅しらぎの外客が入朝の日には、その酒を飲ませる風習があったという方が、ぼくらには耳よりな話であった。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それで皇后はさつそくお聞きとどけになりまして、新羅しらぎの王をおうまかいということにおきめになり、そのとなり百済くだらをもご領地りょうちにお定めになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
これらのはかりますと立派りつぱ品物しなものがたくさんますが、それにはまへ新羅しらぎはかたようなきんぴかものはありません。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
さてこの天日矛命あまのひぼこのみことというのは、もと新羅しらぎくに王子おうじでした。それがどうして日本にっぽんわたってて、こちらにむようになったか、それにはこういうおはなしがあります。
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
また新羅しらぎの國王の子のあめ日矛ひほこという者がありました。この人が渡つて參りました。その渡つて來た故は、新羅の國に一つの沼がありまして、アグ沼といいます。
斉明天皇が(斉明天皇七年正月)新羅しらぎを討ちたまわんとして、九州に行幸せられた途中、暫時伊豫の熟田津にぎたづに御滞在になった(熟田津石湯いわゆの行宮)。其時お伴をした額田王の詠んだ歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
高麗こま新羅しらぎ百済くだら任那みまななど互に攻略して、其処も安住の地でないので、彼等の中には、交通のやうやく開けたのに乗じ、山紫水明にして、気候温和なるわが国に移住帰化したものが多かつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
新羅しらぎくに阿具沼あぐぬまというぬまのそばで、ある日一人ひとりの女が昼寝ひるねをしておりました。するとふしぎにも日のひかりにじのようになって、ている女のからだにさしみました。
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
然れども大后より始めて、諸卿まへつぎみたち堅く奏すに因りて、天の下治らしめしき。この時、新羅しらぎ國主こにきし御調物みつぎもの八十一艘やそまりひとふね獻りき。ここに御調の大使、名は金波鎭漢紀武こみはちにかにきむといふ。
太子たいしが八さいとしでした。新羅しらぎくにからほとけさまのお姿すがたきざんだぞう献上けんじょういたしました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
その御船の波が新羅しらぎの國に押し上つて國の半にまで到りました。