しず)” の例文
私も私で、まるできのうも私達がそうしていたように、押し黙ったまま、お前の隣りへ他の椅子をもっていってしずかに腰を下ろした。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
月は、森の樹々のたゆたう波の上に絶間たえまなく黄ろい焔を散らす青金の火の円のすがたして、しずかに昇った。星がひとつひとつ現われた。
(新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
甲板デッキしずかに歩いたり、お互いにじろじろ見かわしたり、または同船していることを知らずにいた知人に偶然出逢ったりしていた。
湯の流れは絶えず浴槽へそそいで、しずかに、温かに、そして滑らかに全身の肌をなでては、又岩間へと、優しい音を残して姿をかくす。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
トいいながらしずかに此方こなたを振向いたお政の顔を見れば、何時しか額に芋蠋いもむしほどの青筋を張らせ、肝癪かんしゃくまなじりを釣上げてくちびるをヒン曲げている。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
お銀様は、その肉片と神尾主膳のおもてと、うろたえ騒ぐ福村の挙動を見比べながら、しずかに縄を引いてみると手ごたえがあります。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
殊に、其の餌つき方が、初め数秒間は、緩く引いて、それから、しずかにすうツと餌を引いてく。其の美妙さは、まるで詩趣です。
元日の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
鶴見はこうやって濡縁に及ぼして来た朝日のあしどりをしずかにながめていたが、やや暫く立ってから、ふと昨夜読んだ本のことを思い起した。
そういながら、わたくしるべく先方むこうおどろかさないように、しずかにしずかにこしおろして、この可愛かわい少女しょうじょとさしむかいになりました。
頭の中で電光のように、こう考えまわしつつ……何ともいえず息苦しい、不可思議な昂奮にとらわれつつ、私は又も、しずかに眼を開いてみた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
の人の眠りは、しずかに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するもののよどんでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
火曜日の朝ごとに各の身分に応じ隊伍を編み泉水におもむき各その定めの場について夥しく快げにかつしずかにその膀胱ぼうこうくる。
「うん。あいつか。おお方そんな事だろうと思った」末造は優しい目をして、女房の逆上したような顔を見ながら、しずかに金天狗に火を附けた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
「新聞に罪はないよ。」男はしずかにこう言い放って、突然立ち上がって、あらゆる陰気な考えを一に遠くなげうったらしい様子をして、こう云った。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
夫が出てしまうと、奥さんは戸じまりをして、しずかに陰気らしく、指の節をこちこちと鳴らしながら、部屋へ帰った。
今日は日曜である、霧の深いローネ・タールに鳴り渡る鐘の音に別れて、シュピーツ行の電車はしずかに動きはじめた。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
女は年のころ十七、八で、あおい袖、あかもすそきものを着て、いかにもしなやかな姿で西をさしてしずかに行き過ぎました。
小太郎は、編笠をきたまま、畝を越えて、草を踏んで、しずかに、男の方へ近づいた。男は、ゆっくりと、だが、手際よく、煙管を、腰へ差して、立上った。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
信一が空嘯そらうそぶいて威張って居る所へ、今度はすうッとしずかに襖が開いて、光子が綺麗に顔を洗って戻って来た。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
園は往来を歩きながら、不思議な力が、しずかに、しかしたしかに自分の体じゅうに満ちてくるのを感じた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
足芸の利用 さてこういう時に急いでやるときっと踏みそこなうからまあそろそろやるべしと考えしずかにその杖に力を籠めて自分の身体を上に上げることに掛りました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
女は年のころ十七、八で翠袖すいしゅう紅裙こうくんきぬを着て、いかにも柔婉しなやかな姿で、西をさしてしずかに過ぎ去った。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
喝采やんやの声のうちに渠はしずかにおもてもたげて、情を含みて浅笑せり。口上は扇をげて一咳いちがい
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼はしずかにそれを云ったのだ。けれども使丁は聞きかえした。相手の変化に面喰めんくらっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
三人みたりしずかに歩みて、今しもたにわたり終わり、坂を上りてまばゆき夕日の道にでつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
二人は遠眼にそれを見ていよいよ焦躁あせり渡ろうとするを、長者はしずかに制しながら、洪水おおみずの時にても根こぎになったるらしき棕櫚しゅろの樹の一尋余りなをけ渡して橋としてやったに
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
夕方、しずかになった墓地に往って見る。沈丁花ちんちょうげ赤椿あかつばきの枝が墓前ぼぜん竹筒たけつつや土にしてある。線香せんこうけむりしずかにあがって居る。不図見ると、地蔵様の一人ひとり紅木綿べにもめんの着物をて居られる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
玉の出来ぬよう混ぜながら少しずつしずかに加えて本文の如く器械にて寄せるなり。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
妾の再び三たび頼み聞えしには答えずして、しずかに沈みたるそこ気味わるき調子もて、かかるだいそれたる事に加担する上は、当地の警察署に告訴して大難を未萌みほうふせがずばなるまじという。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
子分は見る見る面をゴムまりのようにふくらませたと思うと、起動桿きどうかんをグッとひいた。地底機関車は、獣のようなうなり声をあげて、しずかに動き出した。——三吉はヒラリと、車の背後に飛びついた。
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
やがて女は、しずかに前に進んで、釣瓶つるべにすがって、斜めに井戸を覗きます。うらめしやとも何とも言いませんが、凄さが身にあふれて、立ち止った見物は一様に水をかけられたような心持になるのでした。
自分だけはしずかに馬をあゆませてホテルに帰った。
ところがしずかに考えてみたら、そうではない。
国民教育の複本位 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
しずかな歩附あるきつきで、立派な行列を作って、りて
裁判長ガスコインはしずかに太子に向って
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
「世話はする気です」としずかに云う。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
玄庵げんあんしずかにった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
皆々みな/\しずかに入る。
私も私で、まるできのうも私達がそうしていたように、押し黙ったまま、お前の隣りへ他の椅子をもっていってしずかに腰を下ろした。
楡の家 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
翌あさ、太陽が黄ばんだ海草の上に黄ろく、平和が島の上にも水の上にもあった、その時コラムと弟子たちはしずかに海の方に歩いて行った。
魚と蠅の祝日 (新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
その進んで行く橋板の上はベットリと血だらけですから、ややもすればそれにすべって、足をさらわれようとする間を選んでしずかに歩きました。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
父がしずかに其を取除とりのけると、眼を閉じて少し口をいた眠ったような祖母のかおが見える……一目見ると厭な色だと思った。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
至って心やすい番人よりその大好物なる米と炙肉汁の混ぜ物を受けしずかに吸いおわり、右手指でその入れ物ブリキかんの底に残った米を拾い食うた後
木蔭からそっと首をのばして窺うと、牛飼いもない一りょうの大きい車が牛のひくままにこちらへしずかにきしって来た。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
きょうは男が奮発して、久し振に葉巻をんで見た。しずかに煙を吹きながら湖水の波や、その向うの岩の頭に薄黄いろい夕日の差しているのを眺めている。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
次の間に入ってひざまずいたしづ枝が、「小泉様がお出でになりました」と案内をして、しずかに隔ての障子を開けた。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
挙げ下げとも、枯枝、竹枝の束などに引ツかけないやうに、しずかにやるだけの辛抱で、幾らも釣れるです。
元日の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
するとお母さんはしずかに火吹竹を置いて、両手を腰の上に組んで体をかがめながらゆっくりと立ち上った。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そしてまた一回の苦行が終り、その贖いの歓喜をほしいままになし得るとき、しずかに「南無」と唱えるのである。
はじめ判事らが出廷せしとき、白糸はしずかにおもてげて渠らを見遣みやりつつ、おくせる気色けしきもあらざりしが、最後に顕われたりし検事代理を見るやいなや、渠は色蒼白あおざめておののきぬ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)