岨道そばみち)” の例文
わざと往き来の淋しい崎嶇きくたる岨道そばみちを、八瀬やせの方へ辿って行った千手丸の後姿が、夜な/\彼の夢の中で、小さく/\遠くへ消えた。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
香煙の器具一式とを取出して身に着け、鞘を失ひし脇差を棄てゝ身軽となり、兼ねてより案内を探り置きし岨道そばみち伝ひに落ち行く。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
峰の斜面は陽光ひかりを受けて虹のように燦然さんぜんと輝き返り、その岨道そばみちを大鹿の群が脚並み軽く走ってはいるが、人の姿は影さえもない。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
門を出て、左へ切れると、すぐ岨道そばみちつづきの、爪上つまあがりになる。うぐいす所々ところどころで鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑みかんが一面に植えてある。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それより右に打ち開けたるところを望みつつ、左の山の腰を繞りて岨道そばみちを上り行くに、形おかしき鼠色の巌の峙てるあり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
待て/\、お行者ぎょうじゃ。灸と言へば、煙草たばこ一吹ひとふかし吹したい。ちょうど、あの岨道そばみちほたるほどのものが見える。猟師が出たな。火縄ひなわらしい。借りるぞよ。来い。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
鷲郎は黒衣が首級くびを咬ひ断離ちぎり、血祭よしと喜びて、これをくちひっさげつつ、なほ奥深く辿たどり行くに。忽ち路きわまり山そびえて、進むべき岨道そばみちだになし。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
「お馬は、乗換の鹿毛かげまで、賤ヶ嶽の岨道そばみちに、お捨て遊ばして来ましたので、これには曳いて参りませぬ」
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一日の仕事から帰って来て、小屋から立ちのぼる青い煙を岨道そばみちから見上げるのは愉快であった。
花物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
団子坂上から南して根津権現の裏門に出る岨道そばみちに似た小径こみちがある。これを藪下やぶしたの道と云う。そして所謂いわゆる藪下の人家は、当時根津のやしろに近く、この道の東側のみを占めていた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
曼舟氏は義足を曳きずりながら、よちよちあとから登つて往つた。うしろには強力がうりきがついてゐた。ごろた石の多い岨道そばみちへ来ると、熊笹のかげからいきなり飛出して来たものがある。
水にみどりの影を映して、沈まりかえっている、一の池と二の池の境には、赤いツツジが多いということであるが、今は咲いていなかった、深く生い茂った熊笹を分けて岨道そばみちを屈曲して行くと
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
私はその少女のやがて向うの岨道そばみちをたどりつつあるのを静かに目送した。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あの山の半腹の遠い岨道そばみちにさえ935
男は岨道そばみちを下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
碧潭へきたん一脈いちみやくらんきて、ゆかしきうすものかげむとおぼえしは、とし庄屋しやうやもりでて、背後うしろなる岨道そばみちとほひとの、ふとたゝずみて見越みこしたんなる。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
などと互いに語りながら、桔梗ききょうはらも打ち越えて、次第に重なる山々谷々の、岨道そばみちを踏み分けて進むのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山の麓の村落から谿谷の間の岨道そばみちを、一里ばかり上った処に在る或る富豪の別荘で、荒れ果てた西洋風の花壇や、温突オンドル仕掛にした立派な浴室附の寝室が在ったが、私は
眼を開く (新字新仮名) / 夢野久作(著)
二株三株ふたかぶみかぶ熊笹くまざさが岩の角をいろどる、向うに枸杞くことも見える生垣いけがきがあって、外は浜から、岡へ上る岨道そばみちか時々人声が聞える。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
処へ、土地ところには聞馴ききなれぬ、すずしい澄んだ女子おなごの声が、男に交って、崖上の岨道そばみちから、巌角いわかどを、踏んず、すがりつ、桂井かつらいとかいてあるでしゅ、印半纏しるしばんてん
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さらにそれから右へ折れ、月あきらかに星まれな、北国街道の岨道そばみちを、歌声を追って走って行った。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あくる日岨道そばみちを伝いますと、山から取った水樋みずどよが、空を走って、水車みずぐるまさっかかります、真紅まっかな木の葉が宙を飛んで流れましたっけ、誰の血なんでございましょう。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
岨道そばみちを行くべきものとも思われないその姿が、花をかかえて岩のそばにぬっと現われると、一種芝居にでも有りそうな感じを病人に与えるくらい釣合つりあいがおかしかった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
岨道そばみちを曲がると眼の前へ広漠たる氷原が現われた。吹雪は次第に勢いを加え吠えるようにぶつかって来る。犬が苦しそうにあえぎ出した。そうして度々逃げようとしてつなぎのひもへ喰い付いた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ふたつめのたうげ大良だいらからは、岨道そばみち一方いつぱううみ吹放ふきはなたれるのでゆきうすい。くるま敦賀つるがまで、やつつうじた。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
無言の一行は山の腹、木曽川の岸の岨道そばみち粛々しゅくしゅくとして行くのである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
八月はちぐわつ上旬じやうじゆん……敦賀灣つるがわん眞上まうへ磽确かうかくたる岨道そばみちを、くるま大日枝山おほひだやまよぢたのであつた。……
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
この時橇は山と谿との狭い岨道そばみちを走っている。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
別嬪べっぴんが二人、木曾街道を、ふだらくや岸打つ浪と、流れて行く。岨道そばみちの森の上から、杓を持った金釦きんぼたん団栗どんぐりころげに落ちてのめったら、余程よっぽど……妙なものが出来たろうと思います。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この村の何某なにがし、秋の末つ方、夕暮の事なるが、落葉を拾いに裏山に上り、岨道そばみち俯向うつむいて掻込かきこみいると、フト目の前に太くおおいなる脚、向脛むこうずねのあたりスクスクと毛の生えたるが、ぬいとあり。
遠野の奇聞 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
五月雨さみだれ茅屋かややしづくして、じと/\と沙汰さたするは、やまうへ古社ふるやしろすぎもり下闇したやみに、な/\黒髮くろかみかげあり。呪詛のろひをんなふ。かたのごと惡少年あくせうねん化鳥けてうねらいぬとなりて、野茨のばらみだれし岨道そばみちえうしてつ。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)