にわか)” の例文
ほとんど通り過ぎかけて、私はにわかに声を出して云った。「サードがある、サードが」ビラの一つに、「サード」という大活字がたしかに見えた——
シナーニ書店のベンチ (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
海にはこの数日来、にわかに水母がえたらしかった。現に僕もおとといの朝、左の肩から上膊じょうはくへかけてずっと針のあとをつけられていた。
海のほとり (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
(男は再び呪文を唱うれば、青蛙は跳って元の箱に入る。男はしずかに蓋を閉じ、更にその箱を捧げるようにして、にわかにおどろく。)
青蛙神 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかるにイタズラ小僧の茶目の二葉亭は高谷塾に入塾すると不思議ににわかに打って変った謹直家となって真面目まじめに勉強するようになった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
二月ふたつきばかりは全く夢のように過ぎた。入梅が明けて世間はにわかに夏らしくなり、慶三が店の窓硝子まどガラスにもパナマや麦藁帽子が並び始めた。
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこで十の爪に全身の重量を預けて、器械体操の要領でジワジワと身体を腕の力で引上げた。にわかに強い自信が湧いてくるのを感じた。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そうすると腹の中へ行ってにわかに沸騰して胃を膨脹ぼうちょうさせるから直ぐ癒る。吃逆は筋肉がるのだから反対に膨脹させるのが一番だ。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
暗い夜空から降る雨も、にわかに吹いて来る強い風も、盂蘭盆が背景であるだけに、他の場合とは自ら別個の感じを与えるところがある。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
が、瑠璃子が、そう声をかけた瞬間、今迄いままでしずかであった父が、にわかに立ち上って、何かをしているらしい様子が、アリ/\と感ぜられた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
全体侍たるものが弱いものいじめをして歩くは宜しくないこと、あまりお情ない、にわか盲目で感の悪いものを突飛つきとばすとはお情ない人々だ
その容子は何かにわかに探し求めている風……どうしたのだろうなど他の人もいって不思議な顔をしている処へ、塩田氏が駆けて来た。
爺さんはしばらく口の中で、何かぶつぶつ言ってるようでしたが、やがて何か考えが浮んだように、にわかにニコニコとして、こう申しました。
梨の実 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
そして、黒いみちが、にわかに消えてしまいました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常ひじょうに強い風がいて来ました。
種山ヶ原 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
御やすみになっているところを御起しして済みませんが、夜前やぜんからの雨があの通りひどくなりまして、たににわかふくれてまいりました。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
岸壁に突き当ったような感じがき上げて来まして、にわかにこころ寂しく、その意味での涙を催しかけたのを、母に覚らすまいとすると
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
今まで非常に吠えて居ったところの犬はその主人に叱られたのでにわかかにポカンとぼけたような顔をして皆チリヂリに逃げてしまったです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それを読むとにわかに興が動いて、先日、平安神宮でみさしたまま想が纏まらないでしまったものを、暫く考えて次のように纏めてみた。
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そうして後に続く言葉はとても変梃なもので、「君子固より窮す」とか「者ならん」の類だからみなの笑いを引起し店中にわかに景気づいた。
孔乙己 (新字新仮名) / 魯迅(著)
「左様。そのためにわかに参じた次第。ほかではないが、折入ってのお頼み、一世一代のお気組きぐみで、御用登ごようのぼりのかまにかかっては下さるまいか」
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから祭の日などはにわかに邸内に病人が殖えた。芝居に行く時には朝が早いから皆病人になって行った。この事は黙許されていた。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
しかし借りものをにわかに自分の生れつきのものにする訳には行かぬ。かくて日本は今は全く、内部的に審美を失った国民となったのである。
新古細句銀座通 (新字新仮名) / 岸田劉生(著)
この時天がにわかに曇って、大雨が降って来た。寺の内外に満ちていた人民は騒ぎ立って、檐下のきした木蔭に走り寄ろうとする。非常な雑沓である。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そうすると今までもの静かであった四辺がにわかに騒々しいような気がして、何となく左顧右眄せしめらるるような気がしてくる。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
心づいて自らかえり見るとにわかにきまりが悪くなった。埒もなき家庭談を試みようとの考であったのに、如何にも仰山な前提を書き飛ばした。
家庭小言 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
打置きてすごすごと引返ひっかえせしが、足許あしもとにさきの石の二ツに砕けて落ちたるよりにわかに心動き、拾いあげて取って返し、きと毒虫をねらいたり。
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
物語はなしの中から今回の事件に就て何等かの端緒を掴もうとしてか、にわかにその顔を憂鬱にし眼から光を失わせたまま、物も云わずに考え込んだ。
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
問う、何を以てこれを知ると、曰く、さきに南山の虎嘯を聞きて知るのみと、にわかに使至る〉。これは人が虎うそぶくを聞いて国事をうらのうたのだ。
武は驚喜して心がややのびのびとなったが、にわかに御史の家から叔父と自分とを訟えたということを聞いた。武はとうとう叔父と裁判にいった。
田七郎 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
眼界もにわかに開けて※画とうが的の大観が現出して来た、ここはもう平ヶ岳の一頂であって越後と上野を限っている山稜である、小池の傍に野営した。
平ヶ岳登攀記 (新字新仮名) / 高頭仁兵衛(著)
そう思うと、にわかに、そのように見えて来るむなしかった一ヶ月の緊張の溶け崩れた気怠けだるさで、いつか彼は空を見上げていた。
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
このような彼女の態度はにわかに私を大胆にさせました。そして、私達は、まるで恋人同志のように、無言の舞踏を踊りつづけたことであります。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それは長く降り続いていた雨の空がひる過ぎからにわかに晴れて微熱の加わって来た、どこからともなしに青葉のかおりのようなにおいのして来る晩であった。
萌黄色の茎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
心ざまにわかに高く品性もすぐれたるよう覚えつつ、公判も楽しき夢のに閉じられ、妾は一年有余の軽禁錮けいきんこを申し渡されたり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
六日町の地先で三国川を合わせると、にわかに良質の岩塊を交え、水は豊富となり、流れ流れて浦佐、小出町に及ぶと、もう大河の相を呈しはじめる。
(新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
にわかに不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。
桜の森の満開の下 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
づめ志道軒しどうけんなら、一てんにわかにかきくもり、あれよあれよといいもあらせず、天女てんにょ姿すがたたちまちに、かくれていつかたらいなか。……
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
が、その内にふと嬉しく思い惑う事に出遇であッた。というは他の事でも無い、お勢がにわかに昇と疎々うとうとしくなった、その事で。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
まるでにわかづくりの県会議員の選挙事務所のような、プロザイック〔(Prosaic =おもしろくなく、殺風景な)
鉄の規律 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
側では養子が、異常の脅怖きょうふに上ずっていた目ににわかにいっぱい涙を浮べて、澤の方に手を差延ばした。澤は躊躇ちゅうちょしずにその手を取って強く握りしめた。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
一、如何なるにわか作りの感情、お座なりの意志、間に合わせの信念でもただちに本心一パイに充実させ得るように心掛ける事
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これだけの動機で人の命を絶とうとする際に、生命の貴さに打たれて「にわか怨敵おんてきの思ひを忘れ、たちまち武意の気をなげうつ」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
全身にわかに強烈な電気にでもかかったように硬直して棒立ち、身体中真っ青になりつくして、後をも見ずにアタフタ表の方へ駆け出して行ってしまった。
艶色落語講談鑑賞 (新字新仮名) / 正岡容(著)
双方とも達者にしゃべりまくるのですから、白雲のにわかごしらえの語学では、とうてい追っつきそうなことになく、結局、何をどう受渡しているのだか
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
判断は公平、関係人諸役人を始めとして、不安の眼で眺めておった満都の士民を、あっといわせたので、周防殿にも勝る佐渡殿よとの取沙汰にわかに高く
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
スバリ沢の合流点から上は、雪渓がにわかに急峻となる代りに、或は左側或は右側の縁を辿れば、強いて雪渓を上る必要はない。これは昔も今も同様である。
針木峠の林道 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
僕には何のことか全然すっかりわからないから、驚いて父の顔を仰ぎましたが、不思議にも我知らず涙含なみだぐみました。それを見て父の顔色はにわかに変り、益々ますます声をひそめて
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
居士逝去せいきょにわかにまめまめしげに居士の弟子となった人も沢山あった。その人らは好んで余らの不謹慎を責めた。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
長局ながつぼねを書生部屋にして、お足らぬ処は諸方諸屋敷の古長屋を安く買取かいとって寄宿舎を作りなどして、にわかに大きな学塾に為ると同時に入学生の数も次第に多く
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
... 夫さえ教えて呉れゝば僕が行て蹈縛ふんじばって来る、エ何所だ直に僕を遣てくれたまえ」谷間田はにわかに又茶かし顔にかえ
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
にわかにげんなりしてしまい、嫌々むしって喰べる連中、近来は大分多くなったと、内々嗤ってる手あいがある。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)