豊後ぶんご)” の例文
旧字:豐後
自分が最も熱心にウォーズウォルスを読んだのは豊後ぶんご佐伯さいきにいた時分である。自分は田舎いなか教師としてこの所に一年間滞在していた。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
筑前領で手をかけては面倒になるし、又、油断もしおるまいと思うたけに、思い切って豊後ぶんごと筑前境いの夜明の峠道で待ち受けたわい
雷はめったに落ちるものでないから、この経験はそう当てにならない。『豊後ぶんご方言集』にはこの地方の名称が幾つも挙げられている。
もと豊後ぶんご杵築きつきの藩士で、大阪なかしまにあった藩の蔵屋敷の定詰じょうづめであったが、御一新ごいっしん後大阪府の貫属かんぞくとなって江戸ぼりに住んでいた。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それでも最上の伊白という鍼医はりいの為に健康を危うくされて、老臣の村井豊後ぶんごの警告により心づいて之を遠ざけた、というはなしがある。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
筑前ちくぜん筑後ちくご肥前ひぜん肥後ひご豊前ぶぜん豊後ぶんご日向ひゅうが大隅おおすみ薩摩さつまの九ヵ国。それに壱岐いき対馬つしまが加わります。昔は「筑紫ちくししま」と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
鶴見の山背やませを越える頃になると由布の峰がポカリと現れはじめた。豊後ぶんご富士の称があるだけあってその尖峰せんぽうが人の目をひく。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
翌れば十日豊後ぶんごに進入、総勢九千余の小勢ながら如水全能を傾け渾身の情熱又鬼策、十五日には大友義統を生捕り豊後平定。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
この、水戸様の石揚場で、「お石場番所」を預かっているおやじ、惣平次夫婦は、若いころ江戸へ出て来たが、九州豊後ぶんごの国、笹の関港の生れである。
「それでは紀淡きたん海峡に集めないで、一隊を豊後ぶんご水道にまわすことにしよう。くれ軍港をおさえるのには、これはどうしても必要だ。どうだ、リーロフ少将」
太平洋魔城 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ふと、三河ながら、三河ながらと吹きおったそちの手の内ためしたら癇癪かんしゃくも晴れようと気づき、豊後ぶんごをはじめこの者共ひきつれて涼みにまいったのじゃ。
そのうち公儀御用というのが七軒、墨屋が三軒、格式のやかましかった時代で、大抵出羽でわとか但馬たじまとか豊後ぶんごとか、国名くになを許されて、暖簾のれん名にしております。
……稲葉能登守といえば、豊後ぶんご臼杵うすきで五万二千石。外様とざま大名のうちでもそうとうな大藩だが、この雅之進というやつは、よほど洒落れた男だと思われる。
顎十郎捕物帳:16 菊香水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
世に越前家えちぜんけと云うは徳川家康の第二子結城ゆうき宰相秀康ひでやす。その七十五万石の相続者三河守忠直みかわのかみただなおは、乱心と有って豊後ぶんごうつされ、配所に於て悲惨なる死を遂げた。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
また信州〔長野県〕軽井沢の原にもあり、また遠く九州豊後ぶんご〔大分県〕の日田ひた地方にもあるといわれている。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
何といおうか。この深い霧のながれの真白な闇が、惻々そくそくとわが陣営の上にそれを告げ迫っている心地がする。……そうだ、やはり兵馬のうごきだ。豊後ぶんごっ、豊後
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
老中がたは酒井(雅楽うた)侯、稲葉(美濃みの)侯、阿部(豊後ぶんご)侯。またお側衆そばしゅう久世くぜ大和やまと)侯であった。
何故、豊後ぶんご普蘭師司怙フランシスコ休庵シヴァン(大友宗麟)の花押かおうを中にして、それを、フィレンツェ大公国の市表章旗の一部が包んでいるのだろう。とにかく下の註釈を読んで見給え
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
また、外道げどうと唱うる迷信もあるが、これは犬神の種類である。また、余が豊後ぶんごにて聞くに、座頭ざとう、物知りなどと唱うる、吉凶禍福の予言するものが多いとのことである。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
葡萄牙は東洋貿易のさきがけとなり、麻剌加マラッカを略し、支那南岸に立脚の地を求めんとし、遂に天文十年(千五百四十一年)七月風波は葡萄牙船を漂わして、豊後ぶんご神宮浦に着せしめたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
兄弟問答又当時世間一般の事であるが、学問とえば漢学ばかり、私の兄も勿論もちろん漢学一方いっぽうの人で、ただ他の学者と違うのは、豊後ぶんご帆足万里ほあしばんり先生のりゅうんで、数学を学んで居ました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
豊後ぶんごの大友フランシスコ義鎮よししげ肥前ひぜんの大村バルトロメオ純忠すみただなどの場合がそれだ。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
中でも早吸はやすいの瀬戸などは神武天皇が東征の時に御通りになったというので、歴史で名高くその名も潮流の早い事を示していて大変に面白い名でありますが、今ではただ豊後ぶんご海峡と呼ばれています。
瀬戸内海の潮と潮流 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
豊後ぶんご橋迄走り着き振り回へると町は一パイの高張提灯です。
千里駒後日譚 (新字旧仮名) / 川田瑞穂楢崎竜川田雪山(著)
広瀬青村は豊後ぶんごの名儒淡窓の義子である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
豊後ぶんご玖珠くす地方のものは久留島武彦くるしまたけひこ氏が図示してくれられた。ただしここのは関東とちがって、小枝の方を長くして把手とってにしている。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これらの窯と共に、なおも驚くのは日田ひた皿山さらやまであります。豊後ぶんごの国の山奥にあるため、今日までほとんど誰からも知られずにいました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この禅僧とカトリック僧侶との交渉は、もう一つあるのでありますが、フランシスコ・ザヴィエルは、ニンジに会ってから後に豊後ぶんごへ行きました。
彼女の母は、まだ彼女の生れぬ頃、豊後ぶんごの片田舎の郷士ごうしの子息に、乳人めのととして乳の奉公をしていた事がある。その貧しい郷士の子が、今の敦賀城の大谷刑部であった。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊後ぶんご湾の風光は美しい。ここから日出ひじを眺めたおもむきなどはナポリに似ているとの評判がある。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
越中新湊しんみなと町の寺院、美濃神淵村の寺院、豊後ぶんご玖珠郡内の一寺院、淡路市村の一旅館などは、夜中妖怪が出現すとの評判ありしが、余は終夜ここに試宿したるも全く無事であった。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
漸次ぜんじ河が谿たにに沈むを思えば道が坂にさしかかったことが分る。みょうじ峠をくだると県標が佇む。福岡県から大分県に入るのである。筑後が豊後ぶんごに代るのである。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
豊後ぶんご国東くにさき半島にも二つまで香々地という大字があるが、『地名辞書』の説では弘安八年の図田帳ずでんちょうに、香地郷とあるのがそれで本来西国東郡北端一帯の地
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
からくも、そんな状態の折、豊後ぶんごへわたる八十余艘の兵船と、一時しのぎの糧米が手に入った。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊後ぶんごの国で深田寺フカタジのなにがしといふ禅僧はじめ数名の坊主と会見したことがあつた。
後ろの山に円内坊十五尊像という半ば壊れた十五の石像がある。ここは豊後ぶんご湾を見晴らして景色がいい。かつて遊んだ日出ひじの人家も一眼に見える。アンコのあるまんじゅうがまたうまい。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
余も実視したことがあるが、近来は新しくこの鏡を作りて、田舎の人に高く売りつけるものがいる。余が先年、豊後ぶんご玖珠くす郡の山間にて、ある農家が高価に買い入れたのを見たことがある。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
女達磨おんなだるま豊後ぶんご竹田のものは野趣があります。博多人形は名は聞えていますが、ほとんど昔の美しさを失いました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
あるいはこれもまた時鳥のように、冥土めいどの鳥ということかも知れぬ。豊後ぶんごの竹田附近にはヒトダマという鳥がある。嘴大にして赤く、羽の端には蒼味あおみがある。
十六歳からの知己しりあいなので、豊後ぶんごの片田舎に郷士の子としていた自分の才を認めて、その頃姫路城にいた羽柴秀吉に話し、初めて、秀吉という人物と自分との機縁を結んでくれたのも実に
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊後ぶんご大分町にて、ある者の妻が懐妊して某教会に至ったところが
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
十月三十日 深耶馬を通り豊後ぶんご森に出で別府に帰る。お多福泊り。
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
次には現在の沖縄県や豊後ぶんご壱岐いきなどのように、もとはこの地方のオ列音も、よほどウ列音に近く発音せられていたらしいことが、また一つの新しい事実である。
アテヌキという地名 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今年になってからは豊後ぶんご、日向を調査し、帰って四国に旅立ち、信州に行き、また最近には周防すおう、長門を経て石見いわみに入りました。丹波たんばを訪うたのはわずか旬日前のことです。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
葉栗郡はぐりぐんの和田とか、丹羽にわ郡の中島豊後ぶんごとか、清洲きよすで用いられない不平組を語らって、叛旗はんきをひるがえし、ひそかに美濃の斎藤家へ内通していた。同族だけに、始末のわるい存在なのである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
たとえば飛騨ひだでホラといい豊後ぶんごでツルという類の、これを限定する始めの語には変化があっても、その主語だけは何十となく、わずか一村の内にも並んで存するもの
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そうすればなるほど喧嘩けんかをすることが、少くて済んだわけであります。豊後ぶんご日向ひゅうがとの境の山路などでも、嶺から少し下って、双方に大きなしるしの杉の木がありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
コザネ 阿蘇に接した日向ひゅうがの高千穂方面では、麦や玉蜀黍をすり割ったものをコザネといっている(旅と伝説六巻八号)。豊後ぶんごの方ではコザネといえばただ割麦のことである。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この他豊後ぶんご田野長者たのちょうじゃの千町牟田の類、昔話にも例は多く、古くは康永三年の『詫間たくま文書』にも、肥後安富庄の蒲牟田などとあって、久しく用いられていた語であることがわかる。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)