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しゅじょう
ふりがな文庫
“
衆生
(
しゅじょう
)” の例文
発しようとしても発し得ないであろう。
衆生
(
しゅじょう
)
にまさに生ぜんとする善がある故に仏が来たりて応ずればすなわち善生ず。応は赴の義。
親鸞
(新字新仮名)
/
三木清
(著)
浄土に往生せんと思わん人は。安心起行と申して。心と行と相応ずべきなり。その心というは
観無量寿経
(
かんむりょうじゅきょう
)
にときて。もし
衆生
(
しゅじょう
)
あって。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
……彼も近頃この街へ棲むようになったのだが、久しいあいだ郷里を離れていた男には、すべてが今は縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
のようであった。
壊滅の序曲
(新字新仮名)
/
原民喜
(著)
少なくとも仏教の根本目的は「我等と
衆生
(
しゅじょう
)
と、皆共に仏道を
成
(
じょう
)
ぜん」ということです。「同じく
菩提
(
ぼだい
)
心を
発
(
おこ
)
して、浄土へ往生せん」
般若心経講義
(新字新仮名)
/
高神覚昇
(著)
衆生
(
しゅじょう
)
をじめじめした暗い穴へ引き摺ってゆくので無くて、
赫灼
(
かくやく
)
たる光明を高く仰がしめると云うような趣がいかにも尊げにみえる。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
五
間
(
けん
)
こっちへ来てテントの張ってある五、六軒の家を眺め、どうも縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
は
度
(
ど
)
し難しと
釈迦牟尼如来
(
しゃかむににょらい
)
がおっしゃってござるが
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
「
衆生
(
しゅじょう
)
のためには、わが身もない、病気もいとわぬと、こういう意気の
法然
(
ほうねん
)
様じゃによって、押して、お出ましになるのじゃろう」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(『
占察経
(
せんざつきょう
)
』に曰く、「
衆生
(
しゅじょう
)
の心体はもとより以来、不生不滅にして自性清浄なり。
無障無礙
(
むしょうむげ
)
なること、なお
虚空
(
こくう
)
のごとし」と)
通俗講義 霊魂不滅論
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
仏様が
衆生
(
しゅじょう
)
を見たもうような目で恋人に対せねばならない。自分のものと思わずに、一人の仏の子として、赤の他人として——
出家とその弟子
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
愛は
偏狭
(
へんきょう
)
を
嫌
(
きら
)
う、また専有をにくむ。愛したる二人の間に有り余る
情
(
じょう
)
を
挙
(
あ
)
げて、
博
(
ひろ
)
く
衆生
(
しゅじょう
)
を
潤
(
うる
)
おす。有りあまる財を
抛
(
なげう
)
って多くの
賓格
(
ひんかく
)
を
会
(
かい
)
す。
野分
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
しかも裏の事実は一人の例外なしに、堂々、不正の天才、おしゃかさんでさえ、これら大人物に対しては旗色わるく、
縁
(
えん
)
なき
衆生
(
しゅじょう
)
と陰口きいた。
二十世紀旗手
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
一つの作にも我執を慎む教旨や、
無念
(
むねん
)
を念とする禅意や、どうして
衆生
(
しゅじょう
)
が救われるかのあの他力観が具体的な形において説かれているのである。
工芸の道
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
香薬師の
衆生
(
しゅじょう
)
に向って挙げられた右手は、中指の先が少し欠けているが、釈迦如来の同じく挙げた右手も、やはり中指の先が同じほど欠けている。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、
衆生
(
しゅじょう
)
を
化度
(
けど
)
した。
死刑の前
(新字新仮名)
/
幸徳秋水
(著)
その上またおれにしても、
食色
(
じきしき
)
の二性を離れぬ事は、浄海入道と似たようなものじゃ。そう云う
凡夫
(
ぼんぷ
)
の取った天下は、やはり
衆生
(
しゅじょう
)
のためにはならぬ。
俊寛
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
彼に若し、その愛によって
衆生
(
しゅじょう
)
を摂取し尽したという意識がなかったなら、どうしてあの目前の生活の破壊にのみ囲まれて
晏如
(
あんじょ
)
たることが出来よう。
惜みなく愛は奪う
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
伝教とて一山をここに置く以上は、
衆生
(
しゅじょう
)
済度の念願もこのあたりの
淋
(
さび
)
しさの中では、凡夫の心頭を去来する雑念とさして違う
筈
(
はず
)
はあるまいと思われた。
比叡
(新字新仮名)
/
横光利一
(著)
理性にも同情にも訴うるのでなく、
唯
(
ただ
)
過敏なる感覚をのみ基礎として近世の極端なる芸術を鑑賞し得ない人は、彼からいえば到底縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
であるのだ。
妾宅
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
浄土教の教相の中では、人間の情慾を火の河と水の河に
譬
(
たと
)
える。
焦爛惑溺
(
しょうらんわくでき
)
の
衆生
(
しゅじょう
)
を救うためには、この中に他力の道が細く一すじ通っているとしてある。
生々流転
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
昨晩だって旅川があの
宴会
(
えんかい
)
に加わらなかったのは別に腹が立ちもしない。あれは僕とは縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
だ。僕から見れば馬鹿野郎だ。どんなにでも軽蔑出来る。
風宴
(新字新仮名)
/
梅崎春生
(著)
ここにおいて親鸞は仏のものである慈悲を説いていう——浄土の慈悲はただ仏を念じ、急いで仏となって、その大慈悲心をもって心のままに
衆生
(
しゅじょう
)
を救うのである。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
衆生
(
しゅじょう
)
は、きゃつばらを
追払
(
おいはら
)
って、仏にも、祖師にも、天女にも、
直接
(
じか
)
にお目にかかって話すがいい。
七宝の柱
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
貴君と妾とは、やっぱり縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
だったのですわね。やっぱりあれっ切りにして置けばよかったのですわね。妾の思い違いよ。貴君を、スッカリ見損っていたのですわね。
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
大やまとの国に生れた俊恵がなんのために天竺の一城主の子の摸像を拝さなければならぬのです、まことに樹下石上を家とし、
衆生
(
しゅじょう
)
を済度するということが僧徒の悲願なれば
荒法師
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
何か共通の目的があるのでなければ赤の他人、縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
であって、お互い友人にもなれないが、ひどい敵対も起こりません。パリサイ人は頑固一徹な真面目さをもっていた。
イエス伝:マルコ伝による
(新字新仮名)
/
矢内原忠雄
(著)
何も
私
(
わし
)
に怨みのある訳はない、縁無き
衆生
(
しゅじょう
)
は
度
(
ど
)
し
難
(
がた
)
しというが、
私
(
わし
)
は此の寺へ腰掛ながら住職の代りに
回向
(
えこう
)
をしてやる者じゃ、それを怨んで坊主とは失敬な奴じゃと振向いて見た
菊模様皿山奇談
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
あの洗い流したように古びた畳の色など、僕にはもう
縁
(
えん
)
なき
衆生
(
しゅじょう
)
であるかも知れぬ。
魚の序文
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
すでにゆき
逢
(
あ
)
っただけでも名前をきいただけでも無縁の
衆生
(
しゅじょう
)
ということは出来ない。
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
まして高遠の大領主伊那殿の
総領君
(
たろうぎみ
)
でござるからは、ご領内に住む我らにとり縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
とは申されぬ——聞けば城内の大奥に物の怪出でて騒がす由、それは確かでございましょうな?
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
香染
(
こうぞめ
)
の衣を着た、青白い顔の、人気のあった坊さんが静々と奥院の方から
仄
(
ほのか
)
にゆらぎだして来て、
衆生
(
しゅじょう
)
には背中を見せ、本尊
菩薩
(
ぼさつ
)
に
跪座立礼
(
きざりつれい
)
三拝して、説経壇の上に登ると、先刻嫁を
罵
(
ののし
)
り
旧聞日本橋:20 西川小りん
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
ここの世界は
苦界
(
くがい
)
という、
又
(
また
)
忍土
(
にんど
)
とも名づけるじゃ。みんなせつないことばかり、
涙
(
なみだ
)
の
乾
(
かわ
)
くひまはないのじゃ。ただこの上は、われらと
衆生
(
しゅじょう
)
と、早くこの苦を
離
(
はな
)
れる道を知るのが
肝要
(
かんよう
)
じゃ。
二十六夜
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
私のあわれなる
力量
(
りきりょう
)
も、その全部を子供たちの為に捧げることは出来ない。一部は世間、すなわち
衆生
(
しゅじょう
)
の幸福のために
捧
(
ささ
)
げねばならぬ。またその一部は、自分自身のために捧げねばならぬ。
親は眺めて考えている
(新字新仮名)
/
金森徳次郎
(著)
その勧むるや、中心
止
(
や
)
まんと欲して止む
能
(
あた
)
わざるなり。彼の
狭隘
(
きょうあい
)
なる度量も、この時においては、
俄然
(
がぜん
)
膨脹するを見る。彼が眼中敵もなく、味方もなく、ただ彼が
済度
(
さいど
)
すべき
衆生
(
しゅじょう
)
あるのみ。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
見れば世の中には不可思議無量の事なしと言い
難
(
がた
)
し
殊
(
こと
)
に
仏家
(
ぶっか
)
の書には奇異の事を
出
(
いだ
)
し
之
(
これ
)
を
方便
(
ほうべん
)
となし
神通
(
じんつう
)
となして
衆生
(
しゅじょう
)
を
済度
(
さいど
)
の
法
(
のり
)
とせり
是
(
こ
)
の篇に説く所の怪事も
亦
(
また
)
凡夫
(
ぼんぷ
)
の迷いを示して凡夫の迷いを
怪談牡丹灯籠:02 序
(新字新仮名)
/
総生寛
(著)
兼松の様子では、寅吉は縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
のようです。
銭形平次捕物控:104 活き仏
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
悪業
(
あくごう
)
衆生
(
しゅじょう
)
同
(
どう
)
利益
(
りやく
)
現代語訳 平家物語:06 第六巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
私はその網の燃え上る火を見まして「法界の
衆生
(
しゅじょう
)
、他の生命を愛する
菩提心
(
ぼだいしん
)
を起し殺生的悪具をことごとく
燃尽
(
やきつく
)
すに至らんことをこいねがう」
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
「招いても、縁のない
衆生
(
しゅじょう
)
さえあるに、この
伽藍
(
がらん
)
の造営に、柱の穴一つ
穿
(
うが
)
った者でも、わしの眼から見ると、まことに浅からぬ仏縁のある者」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここに至ると弁信は、茂太郎に向って語るのだか、それとも、他の見えざる我慾凡俗の
衆生
(
しゅじょう
)
に向って語るのだか、わからない心持になったと見えて
大菩薩峠:23 他生の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
救いを求むる千余人の
阿鼻
(
あび
)
叫喚——「猛火は正う押懸たり」と平家の作者は
凄
(
すご
)
い筆致で語っているが、仏も
衆生
(
しゅじょう
)
もろとも滅びて行ったこの地獄の日に
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
この世には無数の不幸な
衆生
(
しゅじょう
)
がいる。その人たちを愛してくれ。仏様のみ栄えがあらわれるように。(息をつく)
出家とその弟子
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
無智愚昧
(
むちぐまい
)
の
衆生
(
しゅじょう
)
に対する、海よりも深い
憐憫
(
れんびん
)
の情はその
青紺色
(
せいこんしょく
)
の目の中にも
一滴
(
いってき
)
の涙さえ浮べさせたのである。
尼提
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
いたずらにこの境遇を
拈出
(
ねんしゅつ
)
するのは、
敢
(
あえ
)
て
市井
(
しせい
)
の
銅臭児
(
どうしゅうじ
)
の
鬼嚇
(
きかく
)
して、好んで高く
標置
(
ひょうち
)
するがためではない。ただ
這裏
(
しゃり
)
の
福音
(
ふくいん
)
を述べて、縁ある
衆生
(
しゅじょう
)
を
麾
(
さしまね
)
くのみである。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
その非個人性こそは、貧しい個性より持ち合せない
衆生
(
しゅじょう
)
のために、どんなに有難い
依
(
よ
)
り所でありましょう。日々の友となる絵土瓶は、個性の表現などを予期は致しません。
益子の絵土瓶
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
割いて
衆生
(
しゅじょう
)
に施した。この仏の心を思えば、現に餓死すべき衆生には仏の全体を与えてもよかろう。自分はこの罪によって地獄に落ちようとも、この事をあえてするのだ。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
ボオドレエルを見よ。葛西善蔵の生涯を想起したまえ。腹のできあがった君子は、講談本を読んでも、充分にたのしく救われている様子である。私にとって、縁なき
衆生
(
しゅじょう
)
である。
碧眼托鉢:――馬をさへ眺むる雪の朝かな――
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
『
楞厳経
(
りょうごんきょう
)
』に曰く、「一切
衆生
(
しゅじょう
)
、無始より
来
(
この
)
かた、生死相続することは、みな常住の
真心
(
しんしん
)
、
性浄明
(
しょうじょうみょう
)
の
体
(
たい
)
を知らざるにより、もろもろの妄想を
用
(
も
)
って、この想は真ならず、ゆえに輪転あり」
通俗講義 霊魂不滅論
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
こうしたような事実は、この複雑なる、われわれの世界には非常に多いのです。あの斜視や乱視や色盲のような見方をして、錯覚や幻覚を起こしている連中は、いずれも皆「
顛倒
(
てんどう
)
の
衆生
(
しゅじょう
)
」
般若心経講義
(新字新仮名)
/
高神覚昇
(著)
阿難 ——苦なる
哉
(
かな
)
。苦なる哉。わたしは
遂
(
つい
)
に妖術に縛られて生ながら青銅の像となる。この
生恥
(
いきはじ
)
はまだ堪えよう。出家の身として、
衆生
(
しゅじょう
)
の眼へ逆に
妄執
(
もうしゅう
)
の姿となって永劫に留まることの恐ろしさ。
阿難と呪術師の娘
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
そこには上品とか聡明とかいうことから
遙
(
はる
)
かに遠ざかった多くの vulgarity が残っているのを私自身よく承知している。私は全く
凡下
(
ぼんげ
)
な執着に駆られて
齷齪
(
あくせく
)
する
衆生
(
しゅじょう
)
の一人に過ぎない。
惜みなく愛は奪う
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
“衆生”の解説
衆生(しゅじょう、sa: sattva सत्त्व、pi: satta)は、一切の生きとし生けるもの(生類)のこと。基本的には迷いの世界にある生類を指すが、広義には仏・菩薩をも含めることがある。
非情
(出典:Wikipedia)
衆
常用漢字
小6
部首:⾎
12画
生
常用漢字
小1
部首:⽣
5画
“衆生”で始まる語句
衆生済度
衆生心
衆生化導
衆生濟度
衆生既信伏
衆生無辺誓願度
衆生称念必得往生
衆生既信伏質直意柔軟