ふく)” の例文
其處にお京の床は紅い木綿の裏を見せて、淋しく敷き捨てたまゝ、枕のふくらみ具合では、一度も寢なかつたことが一と目で解ります。
石橋を渡る駄馬の蹄の音もした。そして、満腹の雀はたるんだ電線の上で、無用なさえずりを続けながらも尚おいよいよふくれて落ちついた。
南北 (新字新仮名) / 横光利一(著)
勇がふかし甘薯いも頬張ほおばッて、右の頬をふくらませながら、モッケな顔をして文三を凝視みつめた。お勢もまた不思議そうに文三を凝視めた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
眼もなければ口もないのに、胃袋は自尊と虚栄でパンクせんばかりにふくれている。こいつが時々思い出したように竜之助を挑みにくる。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
いつどこの地方へ行って見ても、女が腹をふくらして居るのを沢山見受けるです。ネパール位腹の脹れた女を沢山見る所はどこにもない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
兄の岩太郎は、顔や胸を泥に穢したまま鳩尾みぞおちをフイゴのようにふくらしたりへこめたりしながら、係長がはいって行くから睨みつづけていた。
坑鬼 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
しぼんだ軽気球が水素ガスを吹込まれると満足げにふくれあがつて、大きな影を落しながら、ゆるゆると昇つて行くのを眺めたり
日本三文オペラ (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
つつましやかなふくらみを有つてゐる胸のあたりの線も、此年頃の大抵の日本の女に見られるやうな醜い欠点とはならなかつた。
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
その時、水平線がみるみるふくれ上がって、うるわしいあけぼのの息吹が始まった。波は金色こんじきのうねりを立てて散光を彼女の顔に反射した。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
今や人々戲言ざれごと戲語たはけとをもて教へを説き、たゞよく笑はしむれば僧帽ふくる、かれらの求むるものこのほかになし 一一五—一一七
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
その南風が吹き募ると、海と空が茫とふくらんで白く燃え上るようであった。どうかすると真夏よりもきびしい光線で野の緑が射とめられていた。
秋日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
それでも、私の視線は乱れ、冷たい汗が一度に全身から流れ、こめかみのあたりがふくれあがる気がし、ひどい耳鳴りがした。
死刑囚最後の日 (新字新仮名) / ヴィクトル・ユゴー(著)
お鳥はひやっこい台所の板敷きに、ふくはぎのだぶだぶした脚を投げ出して、また浅草で関係していた情人おとこのことを言いだした。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そこは稼業でございますから、花里も嫌だと思っていましたって、まさかふくれッ面もしていられない。座敷へ這入りますと
「お父つあん、それ面皰にきび。……」と、自分は父のふくれた口元にポツリと白くうみを持つた、小さな腫物を指さしつゝ言つた。
父の婚礼 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
そして彼はまた黙々たるふくれ顔に返った。揶揄やゆされようと、杯に酒を盛られようと、何をされても機嫌がなおらなかった。
忠太は、お定に言つたと同じ樣な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々ろく/\せず、ふくれた顏をしてゐた。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
ビールをしょっちゅう飲んでいるので、からだはすばらしくふくらんでいるが、そのうえ外套を何枚も着こんでいるから、いよいよもって大きくなる。
駅馬車 (新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
二十歳はたちでせうか、二十一でせうか」「聞いて御覽な」「厭なお孃樣、そんなに仰しやらなくつてもいゝぢやありませんか」と今度はお常がふくれて
俳諧師 (旧字旧仮名) / 高浜虚子(著)
衣裳の裾のようにふくれ上がり前歯を露出むきだした上下の唇、左半面ベッタリと色変えている紫色のあざ、醜く恐ろし気な人間の顔が箱の底から睨んでいる。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
丑松は冷い空気を呼吸し乍ら、岩石の多い坂路を下りて行つた。荒谷あらやの村はづれ迄行けば、指のさきも赤くふくらんで、寒さの為に感覚を失つた位。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「どれ——」と、近くの人夫は大野を押しのけて行った、「要領がありましてな、首だけ取るとまたあとがふくれる」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
此の食ひ荒しやは、きれいな緑色で、背中に白い筋をもつてゐて、そして前の方が細くなつて後へふくれてゐる。その虫の事を、木虱の獅子と云ふのだ。
牛飼いの若者はいやと返事をする代りに、ほおふくらせたまま黙っていた。すると相手は流し眼に彼の顔を覗きこんで
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
此蟲が飛び跳ねてゐる最中、毛むくじやらのふくれた腹の處から、蜘蛛が出て來て、幻術の書のへりを這つて行く。
サバトの門立 (旧字旧仮名) / ルイ・ベルトラン(著)
すべての理性が、ふくれ返っている感情の片隅に小さく蹲っているような心持であった。その時に、雄吉の頭に、故郷に残している白髪の両親の顔が浮んだ。
青木の出京 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わずかに低く薄く生えたくさむらの上に伏すもなお見分けにくい、それを支那人が誤って骨があるいは伸びふくれあるいは縮小して虎の身が大小変化するとしたんだ。
ひげ旦那だんなは、まゆうすい、ほゝふくれた、くちびるあつい、目色めつきいかつ猛者構もさがまへ出尻でつちりで、ぶく/\ふとつた四十ばかり。
銭湯 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ほとんど息をする暇さえないのである。いったいどこからこんなにいろんな言葉が出てくるのか、呆れるよりほかはない。顔はもうおそろしくふくれ上ってしまった。
森君は犬の脚を高く上げて、爪の間に西瓜すいかの種ほどの大きさにふくれている蒼黒あおぐろい蝨をつまんで、力一杯引張ってようやくの事で引離して、地面に投げつけると踏み潰した。
贋紙幣事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
榮子は英也の向側に坐つたお照の横に、綿入わたいれを何枚も重ねてふくれた袖を奴凧やつこだこのやうに広げて立つて
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
彼等は甲板のあちこちに寝ころんで呶鳴どなりながら話し合っていた。ほんのちょっとした命令が出されたところが、ふくれっつらをし、不承不承にぞんざいにそれをやった。
潜然さめざめと心が泣きながら、自分で自分に後指さしながら、たゞ目の前の充実を計る。あの人に甘える。さうしてあの人が、私と同じ心持に引下つて来ないといつてふくれる。
脱殻 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
それは牛皮のようなものですが、焼けば大きくふくれるといいます。けれどもいつもそのままで食べました。珍しく大きな軽焼を白雪といいました。握りこぶしくらいあります。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
摘んだり道草は喰へど腹はふくれず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
思わず呼吸がはずんで来るのだった。にわかにはじいたように見ひらいた彼の瞳孔には生気の盛り上るイタリー街の男女の群のみ合う光景が華々しく映った。太陽の熱にふくれ上る金髪。
巴里祭 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
泥のように色艶が全くなく、ちょっとつつけば膿汁が飛び出すかと思われるほどぶくぶくとふくらんで、その上に眉毛が一本も生えていないため怪しくも間の抜けたのっぺら棒であった。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
土地のふくらみやなだらかな線や——苔やヒースの花や、花の咲いた芝や、きら/\したわらびや、色の柔らかい花崗岩みかげいは等で山の背や峽谷に與へられてゐる荒い彩色いろどりを眺めて私の眼は樂しんだ。
空地の前には鉛色をした潮がふくらんでいて、風でも吹けばどぶりとおかの方へ崩れて来そうに見えていた。へりには咲き残りの菜種なたねの花があり、遥か沖には二つの白帆がもやの中にぼやけていた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
顔も胴体ももくもくふくらんでいて、一見土左衛門を彷彿ほうふつさせた。近頃は相変らず丸々とむくんだなりに、生臭い疲労のかげがどことなく射しはじめたが、いわば疲れた土左衛門となったのである。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
一了簡あり顔の政が木遣きやりを丸めたような声しながら、北に峨々ががたる青山せいざんをとおつなことを吐き出す勝手三昧ざんまい、やっちゃもっちゃの末はけんも下卑て、乳房ちちふくれた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「内藤君、きみはふところふくらんでいるが、何を入れているんですか?」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
病人の腹部にさわって見ると、食物が僅かしか通らないのにいつもふくれている。もし果して腹部に大きな疾患があるとすれば、今の呼吸器科の医者よりも誰か胃腸専門の医者にさしたらどうであろう。
生あらば (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
こん絆天はんてんの上に前垂をしめて、丸くふくれている。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
そして、うらめしさうなふくれツつらをしてゐる。
泡鳴五部作:03 放浪 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
そこにお京のとこは紅い木綿の裏を見せて、淋しく敷き捨てたまま、枕のふくらみ具合では、一度も寝なかったことが一と目で解ります。
私はふくつらをして容易にたない。すると、最終しまいには渋々会いはするが、後で金をもってかれたといって、三日も沸々ぶつぶつ言ってる。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
「お前の背負って居るものは何か。」「こりゃ喰物だ。」「懐のふくれて居るのは何か。」「これは銀貨だ」といいました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
忠太は、お定に言つたと同じ様な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々せず、ふくれた顔をしてゐた。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
はっきりした顔だち、少しふくれっ気味の肉。どれもみな、かなり格好はよいが、たいてい卑俗で、特質のない小さな鼻。