四肢しし)” の例文
もしそのあいだ身体からだの楽に出来る日曜が来たなら、ぐたりと疲れ切った四肢ししを畳の上に横たえて半日の安息をむさぼるに過ぎなかったろう。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
立ち昇る白煙の下を、猛獣は剥製はくせいひょうのようにピンと四肢ししを伸ばして、一転、二転、三転し、ついに長々と伸びたまま動かなくなった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
貝塚の中よりは用に堪えざる土噐の破片出で、又折れ碎けたる石噐出づ。獸類じうるい遺骨いこつ四肢ししところことにし二枚貝は百中の九十九迄はなれたり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
後に妙子はこの時のいきさつを櫛田くしだ医師に語ったが、櫛田医師の説では、耳の手術から黴菌が這入って四肢ししを侵すと云うようなことは
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
女は兼好と枕をならべて、初めのうちは一つの姿態しなをもっていたが、やがてすっかり安心感を四肢ししにたるませて寝息に入った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
樹木の枝は彼の四肢ししであり、指先きである。役にも立たぬ雑草は彼の妄想でもあろう。そういう感じは年老いた今日までもまだ変っていない。
四肢ししのずきずきする鈍痛と、頭の怖ろしい重さとを感じながら、それでも完全に意識を取り戻して眼ざめることがあった。
遂に望みを達し得ざるのみならず、舎弟は四肢しし凍傷とうしょうかかり、つめみな剥落はくらくして久しくこれに悩み、ち大学の通学に、車にりたるほどなりしという。
その冷却した透明な波の上に、少しも腐蝕する事なき四肢ししを形ちよくそろへた老婆の屍体は、仰臥ぎやうぐわの姿で唯だ一人不定の方向へとただよつてゐた。
アリア人の孤独 (新字旧仮名) / 松永延造(著)
千鳥もそれに力を得たか、騒ぐのをやめてシャーッと噴泉の栓をひねって、しなやかに伸びた四肢ししを洗いはじめた。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
この怪人は四肢ししに指がなかったともあるが、天をしたというからは甚だ信じがたい事であった。それからまた三十年余り、寛永十九年の春であった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
人間像というよりも人間塔——いのちの火の生動している塔であった。胸にも胴体にも四肢ししにも写実的なふくらみというものはない。筋肉もむろんない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
軍靴のびょうが階段に触れる音が、けだるい四肢しし節々ふしぶしかすかに響いて来る、跫音はそのまま遠ざかるらしかった。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
そっと羽織のすそを持って静かにかかげて見ると、かわいらしい子ねずみが四肢ししを伸ばして、ちょうどはり付けでもしたように羽織の裏にしがみついている。
ねずみと猫 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
五内ごないすべて燃え、四肢ししただちに氷らんと覚えて、名状すべからざる感情と煩悶はんもんとは新にきたりて彼を襲へるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
柄は大きくありませんがキリリと締った鉄のような四肢ししと、よく発達した胸を持つ男で、なるほどこれなら、一本の竹の上で千変万化の軽業を見せてくれるでしょう。
わしの力はわしの四肢ししからもう失せたのにわしの根はいつまでも死にきらないのか。運命はあくまでもわしをめさいなもうとするのか。わしは死にたい。死にたい。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ぐったりとした四肢ししの疲れのように田舎路は仄暗ほのぐらくなってゆくのだが、ふと眼を藁葺屋根わらぶきやねの上にやると、大きなえのきの梢が一ところ真昼のように明るい光線をたたえている。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
犬はグウグウと腹の方でうなっていたが、四肢ししが見ているうちに、力がこもってゆくのが分った。
人を殺す犬 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
ポルフィーリイが仔犬を床の上へおろすと、そいつは四肢ししをふんばって地面したを嗅ぎまわした。
その目は閉じ、髪は赤い絵の具を含んだままかわいてる刷毛はけのようになって額にこびりつき、両手は死んだようにだらりとたれ、四肢ししは冷たく、くちびるのすみには血が凝結していた。
のびのびとした四肢ししや胴体のあざやかさ、さながら画に見るがよう、球が手をはなれた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
露の散る草やぶを踏みわけて、うように斜面をのぼった。つるにつかまり根木に抱きついた。ゆびをさか立てて足を喰いとめた。手と足と——文字通り四肢ししをつかってあがって行った。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
何とはなしに無気味さを覚えて寝返りを打つとたんに、ああ、またあれが来る、という予感に襲われて太田はすっかり青ざめ、恐怖のために四肢ししがわなわなとふるえてくるのであった。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
而して往復途中の出来事はよく/\頭に残ると見えて、帰ったあとでかしの木の下にぐったり寝ながら、夢中で走るかの様に四肢ししを動かしたり、夢中で牙をむき出しふアッと云ったりする。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢しし節々ふしぶしに振動した。
水害雑録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
次第に牛は大きくなっても、はじめからかつぎ慣れているものだから何の仔細しさいもなく四肢ししをつかまえて眼より高く差し上げ、いよいよ牛は大きくなり、才兵衛九つになったころには、その牛も
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
あだか四肢ししを以て匍匐ほうふくする所の四足獣にくわりたるのおもひなし、悠然いうぜん坦途たんとあゆむが如く、行々山水の絶佳ぜつくわしやうし、或は耶馬渓やまけいおよばざるの佳境かけうぎ、或は妙義山めうぎざんも三舎をくるの険所けんしよ
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
血とあぶら汗と淋巴液リンパえきとにまみれた四肢ししをばたつかせ
原爆詩集 (新字新仮名) / 峠三吉(著)
すると、その時まで、まるで眠っているか死んでいるとしか思えなかった大熊が、仰臥のままモガモガと、四肢ししを動かしはじめた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
姉は幸子より又一層上背うわぜいがあり、小柄な義兄と並んで歩くと姉の方が高く見えるくらいであったが、それだけに四肢ししの肉づきもゆたかで
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
人間か猿か、甚だあいまいな一個の小動物が、木の枝に四肢ししをささえて、天地のあいだに、傍若無人ぼうじゃくぶじんなその姿態と愛嬌を示しているのである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第二に鈍液どんえきと名づくるのがある。これが逆かさに上ると神経がにぶくなる。次には憂液ゆうえき、これは人間を陰気にする。最後が血液けつえき、これは四肢ししさかんにする。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
だが、四肢ししはくたくたになり、首の骨はぐらぐらになっているので、気の方は一足おさきに、相当しゃんとしながら、からだはいうことをきかないのであった。
地底戦車の怪人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
建物疎開に行って遭難したのに、奇蹟きせき的に命拾いをした中学生の甥は、その後毛髪がすっかり抜け落ち次第に元気を失っていた。そして、四肢ししには小さな斑点はんてんが出来だした。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
役者の頭や四肢ししの別々な演技がモンタージュ的に結合されるというふうに解釈した。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
自分の四肢ししりんとして振動するのである。
水害雑録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
恩田はしわくちゃになった黒い洋服を着ていたが、それが彼の精悍せいかんせた四肢ししにピッタリくっついて、そのまま一匹の巨大な黒豹くろひょうであった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
また四国の長曾我部などが、ここ次々と、家康の手足を斬り取る仕事のように進められていても、家康は甘んじて、その四肢ししをもぎ取られるのにまかせている。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するようになってから常に春琴の皮膚ひふが世にもなめらかで四肢しし柔軟じゅうなんであったことを左右の人にほこってまずそればかりが唯一の老いのごとであったしばしばてのひら
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかし着物のがらや、四肢ししの発達ぶりから考えますと、まず二十五歳前後というところでしょうナ
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼はその時から、苦しがる少女に附添って面倒をみる。ふくふくにれ上った四肢ししささえてやると、少女のからだとも思えぬほど無気味だが、水を欲しがるくちびる嬰児えいじのように哀れだ。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
もとより洪水こうずゐ飢饉ききんと日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不断の主権者にあらず、四肢しし必ずしも吾意思の欲する所に従はず、一朝の変俄然がぜんとして己霊の光輝を失して、奈落ならくに陥落し
人生 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
燃えるだけのものを、弁円は今、五臓から四肢しし全体に燃やしきっていた。毛の一すじまで、針のごとくさせて汗をふき、内面の毒炎を、湯気のように立てていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう云う難所は四肢ししを使って進むので、足の強弱の問題でなく、全身の運動の巧拙こうせつに関する。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
近代の女性は、スポーツと洋装とのお蔭で、背も高くなり、四肢ししも豊かに発達し、まるで外国婦人に劣らぬ優秀な体格の持ち主になったという話だったが、それにしてもこの健康さはどうだ。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
又十郎は若い柔軟な四肢ししをすっくと伸ばした。父の木剣も正眼である。相構えになって父を見る。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしこの女を「四肢ししと毛なみの美しいけもの」として卑しみ去ろうとする意志の下には、その獣身に喇嘛らま教の仏像の菩薩ぼさつに見るような歓喜があふれているところをなかなか捨て難く思う心が
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いや、もっと忘れかねたのは、遊女宿の一間に、置きのこして来た寝ぎたない黒髪と、容易にどうにでもなる四肢ししをもった肉塊だった。それが美人か、醜女しゅうじょかなどは、問題ではない。
部分的に面影を残している四肢ししの肉づきや肌の色合で分ったが、長い髪の毛は皮膚ぐるみかつらのように頭蓋ずがいから脱落し、顔は押しつぶされたとも膨れ上ったとも見える一塊の肉のかたまりになり
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)