すす)” の例文
半之助はひどくぶきように、一椀の茶をすすり、菓子を摘みながら、夫人の姿をそれとなく、だが相当大胆にちらちらと眺めまわした。
半之助祝言 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一羽のからすが、彼と母とのすすく声に交えて花園の上でき始めた。すると、彼の妻は、親しげな愛撫の微笑を洩らしながらつぶやいた。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
せめて今宵一夜は空虚の寂寞を脱し、酒の力をりて能うだけ感傷的になって、蜜蜂が蜜をすするほど微かな悲哀の快感が味わいたい。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
だが時折、魯提轄の神経を針で突ッつくような興醒きょうざめが洩れてきた。さっきから、どこかでシクシクいっている女のすすり泣きである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敬太郎と顔を合せた時、スープの中にさじを入れたまま、すする手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
平次はあきれ返って黙ってしまいました。平次の口添で、ようやく出来た盛蕎麦をすすりながら、この浪人者は途方もない事を言うのです。
今この茶碗で番茶をすすっていると、江戸時代の麹町が湯気の間から蜃気楼しんきろうのように朦朧もうろうと現れて来る。店の八つ手はその頃も青かった。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そしてたたずんでいた女たちがたまらなくなったのであろう。ワッと泣き出す声やすすり上げる声が、一時にそこここから湧き起ってきた。
生不動 (新字新仮名) / 橘外男(著)
蔦代はそう言って目を上げたが、言いたいことが言葉になってこないらしく、ハンカチで目を押さえてすすり泣きを始めてしまった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
あんなぶざまな肥え方に私をなぞらえる天願氏の下心したごころが、私の心に伝わってとげを刺した。私は黙って冷たくなった珈琲をすすった。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
ここまで語って坊さんは一息ついて茶をすすった。戸外には吹雪の音がだんだんはげしくなった。私はその先が聞きたくてこらえ切れず
狂女と犬 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
「——それから検事さん」と帆村は紅茶を一口すすらせてもらっていった。「あの大暖炉ストーブのなかから出てきた屍体のことは分りましたか」
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
努めて一口応答こたえをしようと思うけれど、張りさけるような心臓の激動と、とめどなく流れる涙とに私はただすすり上げるばかりであった。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
客既ニ集リ炉底火ハ活シ鼎腹沸沸トシテ声アレバすなわち茗ヲテ主客倶ニすすルコト一碗両碗。腋間えきかん風生ズルニ至ツテ古人ノ書画ヲブ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのにわかに緊張した空気の中で、法水は冷たくなった紅茶をすすり終ると語りはじめたが、それは、驚くべき心理分析だったのだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
珊瑚は何かいいたそうにしながら何もいわないで、俯向うつむいてすすり泣きをした。そのなみだには色があってそれに白いじゅばんが染まったのであった。
珊瑚 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間すすり泣きをやめなかった。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
炉塞ろふさぎの場合、そこに坐っている客も主人も共に老人で、茶をすすりながら閑談にふけっている、というようなところらしい。びた趣である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
あやし気な日本語で会釈して、巨大おおきな手で赤い小さな百合形ゆりがたの皿を抱えたが、それでも咽喉のどが乾いていたと見えて美味おいしそうにすすり込んだ。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
二人は湯から上って、一局囲んだ後を煙草たばこにして、渋い煎茶せんちゃすすりながら、何時いつもの様にボツリボツリと世間話を取交していた。
二癈人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
帰りはまた聿駄天いだてん走りだ。自分のつらいよりか、朝から三時過ぎまでお粥もすすらずに待っているかかあや子供が案じられてなんねえ。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「あれぢや商人あきんどにもなれんし、百姓にもなれまいし、まあかゆでもすすれるくらゐの田地を配けてやるつもりで、抛つて置くか。」
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
彼女は佃の横顔に自分の顔を押しつけたまま、すすりあげて泣き出した。佃は訳も知らず、あわてて、自分の胸から伸子の顔を離そうとした。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
こんな奇効ある故か、道家に尹喜いんき穀を避けて三日一たび米粥を食い白馬血をすすり(『弁正論』二)、黄神甘露を飲み駏驉きょきょほじしを食うという。
今夜吾人は香炉の前に拝跪はいきし、吾人の心神を清浄にし、而て吾人の指を刺し、吾人の血を混じ、これをすすりて同生同死をちかう。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
何事なんにてくれなくても可いよ」とお雪は鼻をすすり上げて言った。「居眠り居眠り本を読んで何に成る——もう可いから止してお休み——」
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
某年あるとしの晩秋のゆうべのことであった。いつものように渋茶をすすりながら句作にふけっていた庄造が、ふと見ると窓の障子へ怪しい物の影が映っていた。
狸と俳人 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
乞食が家鴨あひるのやうな口もとをして珈琲をすすつてしまふ頃には、立派な舞踏曲ミニユエトの一つが有り合せの紙片かみきれに書き綴られてゐた。
お前はそれ等の血と肉とを、バケット・コンベヤーで、運び上げ、すすくらい、轢殺車は地響き立てながら地上を席捲する。
牢獄の半日 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
まるでを打つようなカラクリをしていたその間に、同じような族類系統のたものをいろいろ求めて、どうかしてあまい汁をすすろうとしていた。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
物足りなさにすすり泣いていた豊饒ほうじょうな肉体——かの女が規矩男のその肉体をまざまざ感じたその日、かの女は武蔵野へ規矩男を無断で置いて来た。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ラムネを取りにやりたれど夜中にて無し、氷も梨も同様なりとの事なり。退屈さの茶をすすれば胸ふくれて心地よからず。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
煎餅せんべい二、三枚をかぢり、紅茶をコツプに半杯づつ二杯飲む。昼飯と夕飯との間に、菓物くだものを喰ふかあるいは茶をすすり菓子を喰ふかするは常の事なり。
明治卅三年十月十五日記事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
おうどんの湯気に顔をつっ込み、するするとおうどんをすすって、私は、いまこそ生きている事のびしさの、極限を味わっているような気がした。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
勝四郎よろこびてかの家にゆきて見れば、七十可ななそぢばかりの翁の、腰は一三六浅ましきまでかがまりたるが、一三七庭竈にはかまどの前に一三八円座わらふだ敷きて茶をすする。
すうっと、匂いを嗅ぎ込むようにして、じっとみつめて、溢れそうなのを、口から持って行ってきゅうと、すすった法印
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
その後四五日は重湯おもゆばかりすすっていたので、腹は空いたらしかった。そのつどまかないから届けてくる食事を見るたびに、順吉は不服そうな顔つきをした。
夕張の宿 (新字新仮名) / 小山清(著)
そういうと母親は、娘を抱いたまますすり泣きをはじめた。かれらは岩かげに動かずにいる間に、暮色はこの一帯をすこしずつ飴色にぼかしはじめた。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
蕪村はいつも、寒夜の寝床の中に亡き母のことを考え、遠い昔のなつかしい幼時をしのんで、ひとり悲しく夢にすすり泣いていたような詩人であった。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
物音に驚いて眼をさました時には、父はもう隣の部屋で茶をすすっているらしかった。その朝も晴れ切った朝だった。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「鶏の肉汁にはもうあきあきした。何か変ったものはないかしら。」……そう言って眉根をよせながら、肉汁をすすっている母の顔が眼に浮かんで来た。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「猫のようにまんまるになってさ……」と、彼女はこみ上げて来る情愛と不憫さに、すすり泣くような笑うような声を出した、「ほんとに可哀そうな……」
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
茶渋に蕎麦切そばきりからませた、遣放やりッぱなしな立膝で、お下りを這曳しょびいたらしい、さめた饂飩うどんを、くじゃくじゃとすする処——
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女はすすり泣いている。そして何か言っている。聞きとれないほどの小声だった。が、だんだんに甲高かんだかくなっていった。けれど意味はよくわからなかった。
色は死人のように青い。数秒時間呼吸のんでいる時がある。それから上面うわつらでするような、すするような息をする。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
復讐として肉をくらい髄をすするとも飽かないような深怨を結ばせて、ますます陰険、醜陋、残忍を以て終始する政界の私闘を助長する危険があると思います。
選挙に対する婦人の希望 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
これをかり/\と噛んで澁茶をすするのはまことに私の毎朝の樂しみであつた。殆んど毎朝その容器をば空にした。また、時として酒のさかなにもねだつた。
この米をやけしま力米ちからごめといい、病人にかぎってかゆにしてすすらせた。火風水土の四厄しやくを凌いで育った米の精は強大で、たいていの病人は良薬ほどにも効いた。
藤九郎の島 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その人たちのすすり泣きや号泣ごうきゅうの声が高いまる天井に反響して、それが時折り構内へもれて聞えるのが、最初の二三日はなんとも言へず不気味だつたさうです。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
女は刃物を投げてて泣き出した。両手を顔に押し当てて泣く、すすり泣くたびに頭から爪先つまさきまで身をふるわせる。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)