しわぶき)” の例文
かすかしわぶきしてお孝が出た。輪曲わがねて突込んだ婀娜あだな伊達巻の端ばかり、袖をすべって着流しの腰も見えないほどしなやかなものである。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
土間一杯の観客けんぶつも、恐らく左馬之助と同じ心持でしょう、怪奇な蛇の芸が進むにつれて、最早しわぶき一つする者も無かったのです。
しわぶき一つする者はない。壇上の博士は時計の秒針を覗き込みながら今正に片手を挙げて九時十二分の合図をしようとする、息詰るような瞬間。
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
奸黠老獪かんかつろうかい外交の本家本元ではありながらも、さすがに本館奥まったこの応接間近くは森閑しいんとしてしわぶきの音一つ聞えず、表を通る廊下の跫音あしおと
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
それだのに、紙帳の中の、何んと、今は静かなことだろう! 左門の声も栞の声も聞こえず、しわぶき一つしなかった。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それっきり、跫音もしわぶきもパッタリ歇んでしまったので、思返して部屋へ戻って、毛布の中へ潜込んでしまった。
日蔭の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
「えへん」次の間に、侍側じそくしている御弟子みでしがございます——ということを知らせるつもりで、軽くしわぶきをした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いましがた私の家の前をつづけさまにしわぶきをなさりながらお通りすぎになったあの方が、だんだんその咳と共に遠のいて往かれるのを、何処までも追うようにして
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
……警護の人々は十四、五人いた、乗物はじかに玄関へかつぎ入れられた、すべてはひっそりと然も手ばしこく行われ、声を立てる者もなくしわぶきひとつ聞えなかった。
晩秋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
広場の周囲まわりのベンチからは人のしわぶきをする音が聞え、煙草の火のような小さな火が見えていた。新吉は人に疑惑を起させないような歩き方をして女の傍へ寄って往った。
女の首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ゾクゾクと寒気さむけが立ち、書院の火燈口かとうぐちの方を見やると、そこに微かな人のしわぶきの声がします。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
四百あまりも詰まったお客は、しわぶきひとつだにしない。膝乗り出して聴きいっている。
円朝花火 (新字新仮名) / 正岡容(著)
此處こゝあるじ多辨はなしずきにやしわぶき勿躰もつたいらしくして長々なが/\物語ものがたいでぬ、祖父そふなりしひと將軍家しやうぐんけおぼあさからざりしこと、いまあしにて諸侯しよかうれつにもくわたまふべかりしを不幸ふかう短命たんめいにして病沒びやうぼつせしとか
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それにひきかえ、マカオ博士はなにをしているのか、しわぶきの声さえ聞えてこない。
宇宙女囚第一号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
急に向うの築土ついじの陰で、怪しいしわぶきの声がするや否や、きらきらと白刃しらはを月に輝かせて、盗人と覚しい覆面の男が、左右から凡そ六七人、若殿様の車を目がけて、猛々たけだけしく襲いかかりました。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
生徒はまるで死んだように静かになって、しわぶき一つせずに息を呑んで居る。
小さな王国 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
喜右衛門はだんだんに待ちくたびれて、それとなく催促するように、わざとらしいしわぶきを一つすると、それを合図のように縁側に小さい足音がひびいて、明けたてのきしむ障子をあけて来る音があった。
半七捕物帳:41 一つ目小僧 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ト、いひつつしわぶき一咳ひとつして、く息も苦しげなり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
そう言えば、全校の二階、下階した、どの教場からも、声一つ、しわぶき半分響いて来ぬ、一日中、またこの正午ひるになる一時間ほど、寂寞ひっそりとするのは無い。
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
深沈しんちんたる夜気の中で、とぎれとぎれに蟋蟀こおろぎが鳴いている。これで、もうかれこれ四半刻。どちらもしわぶきひとつしない。
場内シーンと静まり返りしわぶき一つするものはない。武者窓から射し込む陽の光。それさえ妙に澄み返っている。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この真摯しんしにして厳粛なる二人の老博士の研究の前には、何かは知らずしわぶき一つ遠慮しなければならぬような、学問の荘厳さを感ぜずにはいられなかったのであった。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
それはしわぶきとも何んともつかない物の音であったが、どうも人の気配であった。苦学しながら神田の私立大学へ通って法律をやっている彼は、体に悪寒おかんの走るのを感じた。
指環 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
宗匠頭巾そうしょうずきんの老人とか、医者とか、僧侶とか、町人の旦那衆と云ったような者ばかりが、ひっそりと、墨のの中に集まって、各〻めいめい、筆と短冊を持ち、しわぶきもせずに俳句を作っているのだった。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
𤢖わろの正体も漸々だんだんに判りかかって来た。忠一はしわぶきして又語り続けた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「卓子の向う前でも、砂埃すなッぽこりかすれるようで、話がよく分らん、喋舌しゃべるのに骨が折れる。ええん。」としわぶきをする下から、煙草たばこめて、吸口をト頬へ当てて
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
歩き方がいかにもしとやかで、誰も彼も物をいおうとはせず、しわぶき一つ立てようともしない。しとやかに進んで来るのである。いやいや異様なのはこればかりではなかった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
光長はしわぶきもしないようにして見ていると、少年はすぐ立ちどまって、後の方を見るようにした。ついすると他の大人の盗人があって、の小供に用心を見せに来ているかも判らないと思った。
庭の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
皎々こうこうの月も更け、夜気はきわだって冷々ひえびえとしてきた。いかに意気のみはなお青年であっても、身にこたえる寒気や、しわぶきには、彼も自己の人間たることをかえりみずにはおられなかったのであろう。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
話の切目で、しわぶきの音も途絶えた時で、ひょいと見ると誰の目にも、上にぼんやりと映る、その影が口を利くかと思われる。従って、声もがッと太く渦巻く。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
如来衛門と乾児の者はじっと地面にうずくまりしわぶき一つしなかった。こうして時が経って行く。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お滝はもう睡ったのかしわぶきの声も聞えなくなった。
狐の手帳 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
へだての襖は裏表、両方の肩でされて、すらすらと三寸ばかり、暗き柳と、曇れる花、さみしく顔を見合せた、トタンに跫音あしおと、続いて跫音、夫人は退いて小さなしわぶき
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一座の者も押し黙ってしわぶき一つ為る者も無い。——軈て、忠清は斯う云って訊いた。——
赤格子九郎右衛門 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
満堂ひとしく声をみ、高きしわぶきをも漏らさずして、寂然せきぜんたりしその瞬間、先刻さきよりちとの身動きだもせで、死灰のごとく、見えたる高峰、軽く見を起こして椅子いすを離れ
外科室 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この時、地を踏む木履ぼくりの音と、しわぶきの音とを立てながら、一人の老僧が近寄って来た。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しわぶきを優しくして、清葉が出窓際の柳の葉の下を、格子へ抜けようとする、とあたかもその時。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しわぶきも立てず物も云わぬ! 訓練されたる薩摩武士、武者押しとしてはまことに堂々、しかも殺気は鬱々うつうつと立ち、意気は盛ん、油断はなく、敵の城下を押し通るのに、臆した様子は少しもない。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、横笛がしわぶきする。この時、豆府屋の唐人笠が間近くその鼻をかんとしたからである。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
声も立てずしわぶきもせず固くなってかたまっている。これが陸上の働きならばむねを奉じて出る者もあろう。ところが相手は空飛ぶ鳥だ。飛行の術でも心得ていない限りどうにもならない料物しろものである。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しわぶきさえ高うはせず、そのニコチンの害を説いて、一吸ひとすいの巻莨から生ずる多量の沈澱物をもって混濁した、恐るべき液体をアセチリンの蒼光あおびかりかざして、と試験管を示す時のごときは
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
、疑わなければならないようだ。あれだけの人数がはいり込んだのだ。人声のしないはずがない。それだのに人声がしないばかりか、しわぶきの声さえ聞こえない。……聾者つんぼになったのではあるまいかな?
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その時声を立てられな。もししわぶきをだにしたまわば、怪しき幻影は直ちに去るべし。
化銀杏 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しわぶき一つ聞こえなかった。行燈あんどんは光の輪を、天井へボンヤリ投げていた。どうやら風が出たらしい、裏庭で木の揺れる音がした。……いつまで経っても静かであった。人の出て来る気勢もなかった。
銅銭会事変 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その人たちを、ここにあるもののように、あらぬ跫音を考えて、しわぶきを聞く耳には、人気勢ひとけはいのない二階から、手燭して、するすると壇を下りた二人の姿を、さまで可恐おそろしいとは思わなかった。
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しわぶき一つするものがない。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
村中は火事場の騒ぎ、御本宅はしんとして、御経の声やら、しわぶきやら……
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
警官は二つばかり、無意味に続けざまにしわぶきした。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
出家はあらためて、打頷うちうなずき、かつしわぶきして
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
捻平この話を、打消すようにしわぶきして
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)