位牌いはい)” の例文
こうして私の家には小さな新しい位牌いはいが一つ出来た。そのかわり、お繁の死は、私達の生活の重荷をいくらか軽くさせた形であった。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まだ警察から下渡さげわたされず、仏壇の前の白布で覆われた台には急ごしらえの位牌いはいばかりが置かれ、それに物々しく香華こうげがたむけてあった。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
養父土屋多門つちやたもんも泪ながらにあきらめて、あたらしくふえた土屋家仏壇の位牌いはいには、弥生の俗名と家出の月日とが記されてある……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
僕のうちの仏壇には祖父母の位牌いはい叔父おじの位牌の前に大きい位牌が一つあった。それは天保てんぽう何年かに没した曾祖父母そうそふぼの位牌だった。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「大四郎さん」椙女は思わず仏間のほうを見た、「あなたそんな不作法なことを仰しゃっていいんですか、お位牌いはいが聞いておいでですよ」
ひやめし物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
開拓主事の阿賀妻には、かあいそうに——逡巡しゅんじゅんの気持はなかったのだ。彼は代表し実行した。妻女も位牌いはいも連れて率先して出かけていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
どこの家でも績殻おがらで杉の葉をんで、仏壇を飾って、代々の位牌いはいを掃除して、萩の餅やら団子やら新里芋やら玉蜀黍とうもろこしやら梨やらを供えた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
武松は、亡兄武大ぶだの家へもどり、武大の霊前に、男女二つの首を供えて、滂沱ぼうだとこぼれる涙もぬぐわず、位牌いはいへ向って言っていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仏壇ほとけさまにお前様まえさん親父様おとッつぁま位牌いはいを小さくして飾って有ります、新光院しんこういん様と云って其の戒名だけ覚えて居ります、其の位牌を持って往って下さい
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
だから一時こしらえた四郎の位牌いはいも何もかも捨ててしまって、折につけ四郎の消息を探ることにしていると、お蘭老女は語った。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかし、位牌いはいがない! いくつかあったと思われる跡が残っているのに、仏壇にはつきものの位牌がもぬけのからとなって一つもないのです。
自棄やけまぎれに飛出したんで、両親には勘当はされても、位牌いはいに面目のあるような男じゃない。——その大革鞄おおかばんかりものです。
鷭狩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
四畳半にはまだ白い位牌いはいが飾ってあった。姑は外から帰って来ると、その側へ寄って、線香を立てたり鈴を鳴らしたりした。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
雨風にさらされ、黒くなった小さな板屋根の下に、やはり黒っぽくよごれた小さな位牌いはいが一つ、まるで横になってているようにたおれていた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
兵十が、白いかみしもをつけて、位牌いはいをささげています。いつもは、赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
ごん狐 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
霊屋おたまやのそばにはまだ妙解寺みょうげじは出来ていぬが、向陽院という堂宇どううが立って、そこに妙解院殿の位牌いはいが安置せられ、鏡首座きょうしゅざという僧が住持している。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と、おりと婆さんはそう語ってから、ふと思い出したように、立って仏壇ぶつだんとびらを開いて、位牌いはいの傍に飾ってあった一葉いちようの写真を持って来て示した。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
藤六の位牌いはいの前に床をべてすすけたラムプを吹き消そうとすると、トタンに表の戸をトントンとたたく女の声がした。
骸骨の黒穂 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
親類親内みうちもそれぞれ退き取って独り新しい位牌いはいに向うと、この時始めて身も世もあられぬ寂しさを覚えたのである。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
お豊は自分の身こそ一家の不幸のために遊芸の師匠に零落れいらくしたけれど、わが子までもそんないやしいものにしては先祖の位牌いはいに対して申訳もうしわけがないと述べる。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂いては、らく今日こんにちを過すようにしておいてくれた夫の位牌いはいに対してすみませんから御返し致します
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
若旦那の位牌いはいを拝まして頂いて、大ぴらに墓詣りが出来れば、その上の望みはない、私は一生尼姿で暮らしますから、お長屋の隅でも物置でも貸して下さい
その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌いはいは今でもこの野口家にまつられている。
そのほか、各戸には必ず霊位と称して位牌いはいを安置する一室が設けられ、毎日礼拝をすることになっている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
掻き寄せたものを手に取って見ると、それは白木の位牌いはいであります。位牌の文字をながめると意外にも
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この間私たちがお伴をして行ったとき御位牌いはいを注文なさったが、それが少々やすものすぎるので直させのためです。かえりに、おせんべのお土産があるでしょう。
後年私はこの安さん夫婦の位牌いはいを仏壇に祭り、今日でもその供養を忘れずしているようなわけである。
一番中央に母子の者の最も悲しい追憶となっている、五、六年前にくなった弟の小さい位牌いはいが立っている。そして、その脇には小さい阿弥陀あみだ様が立っていられる。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
着飾つた坊さん、はだし位牌いはい持ち、ひつぎ、——生々しい赤い杉板で造つた四斗だるほどの棺桶くわんをけで、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋てんがいが置かれてある。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
その次の間の仏壇にはつい先月窒扶斯ちぶすで亡くなった母親の位牌いはいが、灯明の灯にてらされながら、立ちのぼる淋しい香煙にからまれていました。その次が蕗子の居間です。
流転 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
母はつと立ち上がって、仏壇より一つの位牌いはいを取りおろし、座に帰って、武男の眼前めさきに押しすえつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
それかといって棺桶かんおけ位牌いはいのごとく生活の決算時の入用でもない。まずなければないでも生きて行くだけにはさしつかえはないもののうちに数えてもいいように思われる。
読書の今昔 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
仏壇の取片付けにも手伝ったが、亡くなった母の位牌いはいはもうかなり古びいていた。淋しい色だった。僕は、汗ばんだシャツの上から、それをちょっと胸に押しあててみた。
次郎物語:03 第三部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
年齢が四十八歳であったともい、また五十一歳、または五十七歳であったともわれていたので、どれが正しいかわからないのですが、位牌いはいには五十二歳と記されているそうで
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)
一週間目に彼は妻の位牌いはいを持って、千葉の家に戻って来た。つくづくと戻って来たという感じがした。家に妻のいないことは分っていても、彼にはやはり住み馴れた場所だった。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
手近の愛鷹あしたか山さえ、北の最高峰越前岳から、南の位牌いはい岳を連ぬるところの、のこぎりの歯を立てた鋸岳や、黒岳を引っくるめて、山一杯に緑のほのおを吐く森林が、水中の藻の揺らめくように
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
その代り、寝覚めの悪い気持がしたので、戒名かいみょうを聞いたりしてたなに祭った。先妻の位牌いはいが頭の上にあるのを見て、柳吉は何となく変な気がしたが、出しゃ張るなとも言わなかった。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
ふすまの破けたとなりのへやでは、亡母の位牌いはいに灯明をあげたらしく、黄色い光がれて、やがてチーンと鐘が二つばかり鳴ると、父親の「お題目」を唱えるしゃがれた声がきこえてきた。——
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
芝居から帰ると二階へあがって、寝る前に白葡萄酒ぶどうしゅをあがるのえ、わたしもお相伴しょうばんするわ。それから寝るまで話をします。けれど、川上さんのお位牌いはいには私が毎日拝んでおいてあげます。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
寅年の男と、張子の虎、これもなるほど縁がある。こうなると松蔵になにか引っかかりのある奴がお駒を殺して、松蔵の位牌いはい代りに張子の虎を置いて行ったのじゃないかと鑑定されます。
半七捕物帳:31 張子の虎 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
先ず等持院の寓居を想像せよ、京都近郊の田舎に在る、しかも足利歴代の将軍の位牌いはい木像などの由緒ゆいしょある古い大寺を想像せよ。その大寺の裏がかった処にあるささやかな一間を想像せよ。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
彼奴あいつを一番大にやってやろうじゃないかと一工風ひとくふうして、当人の不在のあいだにそのすずりに紙を巻いて位牌いはいこしらえて、長与の書がうまいから立派に何々院何々居士こじと云う山田の法名ほうみょうを書いて机の上に置て
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
忠三郎の米の飯は四十二万石、後には百万石も有り、女房は信長のむすめで好い器量で、氏郷死後に秀吉に挑まれたが位牌いはいに操を立てて尼になってしまった程、忠三郎さんを大事にして居たのだった。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
筒井は父母の位牌いはいの前に行き、ぬかずいて永く頭をあげずにいのりの時をつづけた。それは親しいものの限りをつくした、見ていても、心に重みのくるような礼拝のよろこびをあらわしたものだった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ですから、その過去帖の上には『無用の人へ他言を禁ず』と恵善和尚さんの手で、したためられていましたが、本堂にはもうひとつ、そのころにつくられたらしい、ふるびたお位牌いはいがありました。
亡霊怪猫屋敷 (新字新仮名) / 橘外男(著)
 田舎においては、すべての人人が先祖と共に生活してゐる。老人も、若者も、家婦も、子供も、すべての家族が同じ藁屋根わらやねの下に居て、祖先の煤黒すすぐろ位牌いはいを飾つた、古びた仏壇の前で臥起ねおきしてゐる。
田舎の時計他十二篇 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
だってさ、源ちゃんのおかげで三輪車にのせてもらって生命いのちは助かるし、大事な御先祖さまのお位牌いはいや、重要書類だの着がえだのは、こうして蒲団にくるんでわたしのお尻の下に無事なんだからね。
一坪館 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あるいは漆器の経机きょうづくえ経箱きょうばこ過去帳かこちょう、または応量器おうりょうきだとか香炉台こうろだいだとか、あるいはまた過去帳台とか位牌いはいだとかに、しばしば優れた形や塗のものにめぐり会います。いつも伝灯でんとうの深さが後に控えます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌いはいにぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。
堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
「おもん。一枝ひとえだ、婆あの位牌いはいさあげてろ。」
山茶花 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)