跫音あしおと)” の例文
それでぼくは現場をとっつかまえるつもりで、そっと跫音あしおとをしのばせて階段を上った。ぼくの部屋のまえに立って、扉に耳をつけた。
お守り (新字新仮名) / 山川方夫(著)
へんじもなければ人の出てくる跫音あしおとも聞えない。で、今度は初めよりも強く力を入れて叩いた。それでも中へ聞えないのか応がなかった。
殺神記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
背後うしろから、跫音あしおとを立てずしずかに来て、早や一方は窪地の蘆の、片路かたみちの山の根を摺違すれちがい、慎ましやかに前へ通る、すりきれ草履にかかとの霜。
小春の狐 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なんだか二階で人の呻吟うめくような声をきいたと思った。するとトントンと二階から一階へ降りて行く人の跫音あしおとがかすかに聴えてきた。
階段 (新字新仮名) / 海野十三(著)
何を掴んで投げたかを、もう私は記憶しない! 召使たちが駈け付けて来るのであろう。跫音あしおとが、あちらこちらから入り乱れて来た。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
つかつかと奥から跫音あしおとが渡って来た。簀子縁すのこえんから降りて、床几しょうぎを持てとその人はあたりの者にいいつけている。それが家康であった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下のお上さんのブツブツ云う声に目を覚ますと、時ちゃんが酔っぱらったような大きな跫音あしおとで上って来た。酔っぱらっているらしい。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
鼾の声を充分に聞澄まして、跫音あしおとを忍ばせ息を殺して近寄る、ふすまへそっと手をかけようとするとたんに、ぴたりと鼾が止まるのだ。
松林蝙也 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
聞きおぼえのある張鎰の声がして、そそくさと跫音あしおとがした。宙は不思議に思って顔をあげた。伯父の張鎰が機嫌のいい顔をして立っていた。
倩娘 (新字新仮名) / 陳玄祐(著)
は何者か、われに近くあゆみ寄る跫音あしおと、続いて何事か囁く声を聞き侯ふが、少時しばらくにして再び歩みいだせば、……あゝ何処いづこにて捕へられしや。
夜あるき (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
するととほくのはうでパタ/\とちひさな跫音あしおとのするのがきこえました、あいちやんはいそいでいてなにたのだらうかとてゐました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
それが皆猫の様に跫音あしおとを盗み、闇の中で身を隠しての仕事だったものですから、非常に手間を取り、もう十一時近くになっていました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
皆の跫音あしおとが聞えた時、火鉢にりかかって、時々こくりこくりと居睡いねむりをしていた母親は、あわてて目をこすって仕事を取りあげた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼はコツコツ、ビッコの跫音あしおとをひびかせながら、食卓を半分廻って、ちょうど私の正面へ廻った。そこには木ベエがいるのである。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
お葉は折柄おりからの雨をしのぐ為に、有合ありあう獣の皮を頭から引被ひっかぶって、口には日頃信ずる御祖師様おそしさまの題目を唱えながら、跫音あしおとぬすんで忍び出た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
抜足差足、跫音あしおとを忍ばせて墓石と墓石のあいだを歩いて行き、彼は眼を覆わしめるような冒涜行為をのあたりに見たのである。
(新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
彼女は静かに珠数の珠をかぞえながら、鋪石に跫音あしおと一つ立てないで歩いて行った。そばへ寄ると何となくこうや湿った石の匂いがした。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
二人はひそ/\と示し合わせて、息を殺し、跫音あしおとを忍ばせ、そうっと小屋の中へ這入った。併し仙吉は何処に隠れたものか姿が見えない。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
漂白したような蒼い顔とよろめく跫音あしおとだった。彼女らは、街上に会う人ごとに殺人狂ではないかとおびえて、声をあげたりした。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
目をしばたたきながら彼はぎしぎしと階段を降りた。出発、と彼は低く言い、そして歩き出した。高城の跫音あしおとがそれにつづいた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
ドアに飛びついて、死物狂ひになつて錠前ぢやうまへを搖すぶつた。そとの廊下に跫音あしおとが駈けて來て、鍵がはづされて、ベシーとアボットが這入つて來た
二、三の弟子や侍女に助けられて、血の予想に顔をおおったお蓮様と萩乃の跫音あしおとが、そそくさと乱れつつ、はるか廊下を遠ざかって行く。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私の言葉が終らないうちに轟刑事は、うなずきながらへやの外へ辷り出た。その小走りの跫音あしおとが聞えなくなるとへやの中が急に森閑となった。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
見られたのが口惜くやしくて、こんな目に逢わせたんですもの。裏口へ人の跫音あしおとが聞えなかったら、私は殺されたかも判りませんよ
わたしは一刻もここに立っているにえられないので、早そうに階段を降りかかると、またもやわたしのさきに立ってゆく跫音あしおとがきこえた。
「のう、かかさん。もう今宵も迎える駕籠かごが見えそうなもの……おお、あの跫音あしおとは、ありゃお使かもしれませぬ。早く着更えておきましょう」
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
その時雲が急に行き過ぎて、柔い素足の残す跫音あしおとかと思われた……で、僕はそっと起き上った——それまでは君にもたれていたのだった——。
A院長エーいんちょうは、居間いまで、これから一ぱいやろうとおもっていたのです。そこへはばかるようなちいさい跫音あしおとがして、ぎの女中じょちゅうけん看護婦かんごふはいってきて
三月の空の下 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ひとりで含み笑いしている声が軽い跫音あしおとと一緒に聞え、カラリと唐紙をあけるなり白いショールを手にからめたきよ子が
(新字新仮名) / 宮本百合子(著)
養蚕が盛んで暮し向きに余裕のある為であろう。耕地も大部分は桑が植えてあるので、霜枯れた葉が人の跫音あしおとにも落ちてかさこそと音を立てる。
初旅の大菩薩連嶺 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
と、そこには、手拭を頭にのせた母が、散らかつた薪屑をほうきで掃き溜めているではないか。跫音あしおとで、彼女は、顔をあげた。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
二分もする内に追々にその声は近附き、間もなく道床の砂利を踏む跫音あしおとが聞えて、線路の上へ真ッ黒い人影が現れました。
とむらい機関車 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
訶和郎は死体になった荒甲の胴を一蹴りに蹴ると、追手おって跫音あしおとを聞くために、地にひれ伏してこけの上に耳をつけた。彼は妻の傍にかけていった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
あの人が書斎へはいって扉をしめると、妾は大急ぎで、しかし跫音あしおとを忍ばせて、扉のそばまで行き、鍵穴に眼をあてた。
しかし、大して気にも留めずにいたところが、間もなくこの室の扉の前辺から離れて、コトリコトリと遠ざかって行く跫音あしおとが、鐘楼に起りました。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
しかし説明の終えない中に、静かにこちらへ近寄って来る数人の跫音あしおとが聞こえて来たので、オースチン師は口をつぐんだ。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
たちまちはたはたと跫音あしおと長く廊下にいて、先のにはあらぬ小婢こをんな夕餉ゆふげを運びきたれるに引添ひて、其処そこに出でたる宿のあるじ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
そうして彼は親友の外出する跫音あしおとを、軽く自分の耳にいれながら、彼自身の胸のなかの我と話しはじめるのであった。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
その時、築地ついじの外に落葉をふみ分ける音らしいものがしたが、筒井は気にしなかった。しかし音はなおつづいてそれが人の跫音あしおとであることを知った。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
人声と跫音あしおとが入りみだれたようであった。しま萱のしげみがざわめき立ったと思った。そうして松岡は、ひどい静寂と喧騒けんそうを同時に感じたのである。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
跫音あしおとを忍んで、部屋を出、やうやく白んで来た空を仰ぎながら、その「仕事」に出かけた彼を想像するのであつた。
釜ヶ崎 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
間もなく、彼等の走る跫音あしおとや、彼等が藪を押し分けてゆく時の枝のぽきぽき折れる音までも、聞えるようになった。
そこで兵馬は、茫々然ぼうぼうぜんとして自失するの思いです。跫音あしおとに導かれて、かえって無人の曠野こうやへ連れて来られたような心持を如何いかんともすることができません。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たしかに跫音あしおとはそれと聞えるにちがひない距離になつても、彼女はその端麗な姿勢を決して崩さうとしなかつた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
フト廊下に跫音あしおとがしたので、林はハッとしたが、どうする事も出来ずに、其儘部屋に続いた奥の寝室ベッドルームへ隠れた。
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
身請ばなしが始まりましてから花里はふさぎ切って元気がない、只だ伊之吉が来ると何かひそ/\話をするばかり、それも廊下の跫音あしおとにも気をおいて居ます。
到頭とうとう、たまり兼ねたように、大きく伸びをすると、それでも跫音あしおとをしのばせながら、注意深く歩いて行って、さっき二人が下りたらしい崖の小径を捜して見た。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
しつとりと降りそそぐ初秋の雨は、草屋根の下では、その跫音あしおとしづくも聞えなかつた。ただ家のなかの空気をしめやかに、ランプの光をこまやかなものにした。
跫音あしおと』という名前の雑誌であった。芥川に褒められた短編はたしか、中学五年の頃に書いたものである。
一人の無名作家 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
弟の近寄る跫音あしおとを聞くと兄は振返えって微笑んだ。眼鏡をはずした左の眼が白い貝の肉のように閉じている。
青草 (新字新仮名) / 十一谷義三郎(著)