さいな)” の例文
だが人間がある激烈な心の衝動をうけてその心が四分五裂の苦にさいなまれるとき、これを逃れるには自暴自棄の態度が一番宜いのです。
ある日の蓮月尼 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その未練をこの頃考へ出すのをなるべく避けてゐて、而も私はそれにすつかりとりこにされ、容赦なくさいなまれ虐げられてゐたのであつた。
軍隊の様子を白状しろって、ますます酷くさいなむです。実に苦しくって堪らなかったですけれども、知らないのが真実ほんとうだから謂えません。
海城発電 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
僕は、自分の中の夢想児を責めさいなんだ。つまり、窓を破壊したのだ。しかも僕の元来の綽名あだなは「奇態な空想家」ではなかったか。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
十万の少年奴隷をさいなむ、酷使、栄養不良、疾病、砒素ひそ、阿片、銃殺……しかも、天下にこれを救おうとする者は一人も居ない。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
「こりゃお延! 妾の思いは、後で存分知らしてくりょう程に、しばらくそこで、この先そちがさいなまれる、苦患くげんの闇をみつめておるがよい」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこまで云えば、台の上にった屍体が、吸血鬼にさいなまれた第一の犠牲者である西四郎のものだということが分るであろう。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
立ててんだ多分養父ではない実父だったのであろう何ぼ修行だからと云って年歯も行かぬ女の子をさいなむにも程がある
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それは彼女が何か苦しい思いに自分と自分をさいなむ時の癖だった。乱れた荒い呼吸が、小さな鼻の孔から激しく出入していた。敬助ははっとした。
蘇生 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
すると恐しい苦痛がわしの心を、赤熱した釘抜のやうにさいなみはじめた。一ぷん一分が、わしには一秒であると共に又一世紀であるやうに思はれた。
クラリモンド (新字旧仮名) / テオフィル・ゴーチェ(著)
妻にも妹にも母にも云はれないやうなことが、明ら樣に打ち明けたら笑はれるか卑しまれるかしさうなことが、馬越を責めさいなんでゐたのだつた。
仮面 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
「われはねまし、されどは踊らでやまず。」恋をしながら踊らずにいられぬという、なさけない矛盾が彼をさいなんだ……
自分の思いがけぬ罪に対する恐怖に噛みさいなまれながら、彼女は亡失状態の中でかすかにひくひくとうごめいている蔦代の致死期の胴体を見詰めていた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
自分の愚かしさをとがめつつも、やっぱり思いきることが出来ず、その愚かしい煩悩ぼんのうに責めさいなまれる思いをしながら、うかうかと道を歩いていた。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
彼は天災地變にさいなまれる人生の焦熱地獄に堪へられなくなつて、この假現の濁世ぢよくせ穢土ゑどからのがれようとしたのです。そして解脱げだつしようとしたのです。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
私は、その後手に縛られた両手を見ました時、はらわたを切りさいなむような憤と共に、涙が、——腹の底から湧き出すような涙が、潸々さんさんとして流れ出ました。
ある抗議書 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
別離後の男をさいなむ空虚感。焦燥。男がとうとう女に逢いに行く。劇場でのメロドラマティックな出会。狂おしい接吻。
チェーホフの短篇に就いて (新字新仮名) / 神西清(著)
かつて一度も外寇がいこうを受けない、信玄治下の甲府城下は、思いもよらない悪病のために、さいなまれなければならなかった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのときのやるせなさと、自責の念にさいなまれた幾日かの辛さは、いまでも折りにふれてわが心の底によみがえり、頭が白らけきる宵さえあるのである。
盗難 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
何か漠然とした願望にさいなまれだす。水を飲んでみる——これでもない。……円窓へいざり寄って、もやもやした熱い空気を吸い込む——これでもない。
グーセフ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
そう自省する反面、とりかえしのつかぬことをしてしまったような悔恨と、焦躁とが、はげしく、金五郎をさいなんだ。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
しかしわたしはその日は一日じゅうわが家の前で人間が戦争するもがきと兇暴と殺戮とを目撃したことによって感情を刺戟しげきされさいなまれたように感じた。
深く内面的にいこんでいたので、愛情も何かどろどろかすのようなものが停滞していて、葉子の心にも受けきれないほど、彼のさいなみ方も深刻であった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そして事実みづ/\しい女の肉体に対する残酷なさいなみ方は彼の性慾に異様な苦しい挑発を促してゐたのであつた。
私はあらゆる苦しみで自分をさいなみ自分に対するあわれみの心をもつと深刻にしなければならない。それは直ちに多くの人に対する同情がなくてはならない。
人間と云ふ意識 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
「……やおれ……身請けした暁には、思い知らさいでおこうものか。ズタズタに切りさいなんで、青痰あおたんを吐きかけて、道傍みちばたに蹴り棄てても見せようものを……」
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
さうして其の後には反動が來る。——あんな厭な氣持はないね。何うして此の身體からださいなんでやらうかと思ふね。
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
わたしは斯んな事で産前十日程から不安に襲はれ、体の苦痛にさいなまれて、神経が例に無くひどくたかぶつて居た。
産褥の記 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
身をさいなむ借金ぐらしの重圧に、こんなことなら、力業ちからわざだけで頑張っていさえすれば、結句気苦労というものもなく、お君の機嫌もよかった炭坑ぐらしの方が
和紙 (新字新仮名) / 東野辺薫(著)
漢の初期のせき夫人が呂后りょこうさいなまれたようなことまではなくても、必ず世間の嘲笑ちょうしょうを負わねばならぬ人に自分はなるに違いないと中宮はお思いになるのである。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ブレインは月明りの中によく敵の姿を見ながら敵の身体を斬りさいなむほど敵の憎んでおったんでしょうかな?
そして雨に濡れた汚い人家の灯火ともしびを眺めると、何処かに酒呑の亭主に撲られて泣く女房の声や、継母まゝはゝさいなまれる孤児みなしごの悲鳴でも聞えはせぬかと一心に耳を聳てる。
花より雨に (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そうして、清三は、「大寺」と云う度毎に、道子もさいなむと見え、道子はかすかなうなり声を発している。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
さいなまれしと見ゆるかたの髪は浮藻うきもの如く乱れて、着たるコートはしづくするばかり雨にれたり。その人は起上りさまに男の顔を見て、うれしや、可懐なつかしやと心もそらなる気色けしき
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
人間の精神がこれほど肉体をさいなみ、躍起になって無意味な目的に駆りたてて行く例もすくない。
新西遊記 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
極度のやる方なさにさいなまれながら、しかも一面そこには不思議と恍惚たる快感が伴われていた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
風雨に責めさいなまれ、枝をもがれ、地に叩き伏せられても、まだ根に残るわずかな生命力は倒れたままの姿で、春が来れば芽を出してその営みを続ける病木のようないねの姿。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
あたかも稲麻とうま竹葦ちくいと包囲された中に籠城ろうじょうする如くに抜差ぬきさしならない煩悶はんもん苦吟にさいなまれていた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
この日ごろ、ことごとに荒あらしい言葉を吐いて、やさしい千浪を苦しめ、さいなむのである。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
畏怖と驚駭と感嘆と、絶大の圧迫感と、憎悪と崇拝と、私たちはあまりにさいなまれ過ぎた。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
兵士たちは、内地で、自分を搾取するブルジョアジーの利益のために、支那へ来ても、さいなまれ、酷使されている。内地の職場にも、飢餓と、酷使と、搾取がある。失業地獄がある。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
また彼らはかれ綽名あだなして、独言悟浄どくげんごじょうと呼んだ。かれが常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔にさいなまれ、心の中で反芻はんすうされるそのかなしい自己苛責かしゃくが、ついひとり言となってれるがゆえである。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
人にさいなまれようとも、蹂躙ふみにじられようとも、かまわないと思召すなら、わたしを突き出してもようござんすけれど、あなたは、そんな惨酷ざんこくなお方じゃなかろうと、わたしは安心していますのよ
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかるに、その間を、たったいま人を殺し、屍体をさいなみ、生血と遊んで、全身絵具箱から這い出したようになっているはずの男だけが、この密網の目を洩れてただの一度も誰何すいかされなかったのだ。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
いかなる種類の苦しみがその人の良心をさいなんでいるかというようなことまで、見抜いて、本人がまだ口をきかない先に、その霊魂の秘密を正確に言い当てて、当人を驚かしたりきまり悪がらせたり
牲と斃れし人々を喰ふ蛆またさいなまず。 415
イーリアス:03 イーリアス (旧字旧仮名) / ホーマー(著)
従類じうるゐ眷属けんぞくりたかつて、げつろしつさいなむ、しもと呵責かしやく魔界まかい清涼剤きつけぢや、しづか差置さしおけば人間にんげん気病きやみぬとな……
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
と寄ってたかって声も得立えたてない女を、びしびしとさいなんでいる有様、見兼ねた新九郎は前後を忘れてばらばらと躍り出した。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先生の家の話を聴いためでしょうか、それとも景色自体が三山の山おろしの吹き交ぜて土も草木も掻きさいなまれつけているその為めでしょうか。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
が、そう繰り返してみたものの、彼の心に出来た目に見えぬ深手は、折にふれ、時にふれ彼をさいなまずにはいなかった。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)