)” の例文
ガリ‐クルチと一緒に歌った『リゴレット』(三〇五一)は声も技巧も年を取り過ぎたが、父性愛の柔かな情緒はめども尽きない。
ある日其処そこを通りかゝると、頭を島田しまたに結つた十七八の女が、壺から水をむでうちから持つて来たらしい硝子瓶ガラスびんに入れてゐるのがある。
榎の葉蔭に、手の青い脈を流れて、すぐ咽喉のどへ通りそうに見えたが、もうとすると、たなそこが薄く、玉の数珠じゅずのように、しずくが切れて皆こぼれる。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
十三人の人たちが、他の人々よりも早く、それに気がついたはむろんである。彼らは当日、家を出るときに、銘々の妻子と水杯をみ交わした。
乱世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
濁水滔々とうとうたる黄河の流れを貪り汲まんとする彼らをして、ローマの街にありという清洌なる噴泉をんで渇を潤すことを知らしめねばならない。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
つぎつぎに織りついだ様に小さな瀬をなして流れている水をんでゆっくりと喰べながら、日の光を含んで滴る様に輝いている真上の紅葉を仰ぎ
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
「どうか、その辺で水の湧く音がしとるが、菊さ、いつぱいんで来てくれ。わしア、昨夜酒をのみすぎて、まだ頭がぼんやりしてゐるんでのオ。」
百姓の足、坊さんの足 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
八重申しけるはわが身かつて伊香保いかほに遊びし頃谷間の小流こながれみ取りて山道のかわきをいやせしゆえはからず痢病りびょうに襲はれて命もあやうき目にひたる事あり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
その水をんで口そそぎ御符を戴かせたら、立派な男の児が生れたといって、その池の傍にある古木の柳の木は、日蓮上人の楊枝を地に揷したのが
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
山上では、毛受勝助を始め、三十余名が、このわずかなひとときを、岩間に滴々とたたえられた清水をみ分けて、涼やかにさいごの心支度をしていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それから附近の清冽な泉を銀の壺にんで、崑炉こんろと名づくる手捏てづくりの七輪しちりんにかけて、生温なまぬるいお湯を湧かします。
狂人は笑う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
限りなき命の泉をみ、強い力と勇気とをもってふるい立つ日の来たらんことを祈っています。
ある思想家の手紙 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
黒谷村字黒谷は、黒谷川に沿ふて一列に並んだ、戸数二百戸に満たない村落であつた。丁度夜がとつぷり落ち切つた頃、二人は村端れの居酒屋を潜つて、意外に安価な地酒をんだ。
黒谷村 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
「純透明だね」と出臍の先生は、両手に温泉んで、口へ入れて見る。やがて
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
このように自己というものを常にしっかり持った名人肌の芸術家でしたが、神経質の反面、大変愛嬌のあった方で、その温かさが人間鏡花としてめども尽きぬ滋味を持っておられたのでした。
泉鏡花先生のこと (新字新仮名) / 小村雪岱(著)
元和げんなの大坂落城から僅か十年あまりで、血の匂いに馴れている侍は、自分の前に横たわっている敵の死骸に眼もくれないで、しずかに川の水をんで飲んでいた。お染も息が切れて水が欲しかった。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
茂兵衛 (水が欲しくなり、川端に行き、水をんで飲む)
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
み尽されない慈愛を感ずる人が、幾何ありましょうか。
草木の暗示から (新字新仮名) / 小川未明(著)
「飲みたかったら自分で行ってんで来い」
葛根湯 (新字新仮名) / 橘外男(著)
夫人はそれからバケツに水を波々とむで来て、馬の鼻先につきつける。馬は人間と同じやうに麺麭パンと水とだけでは生きられるものではない。
むしろ淡々としてなんの技巧もないかに見える裡に、味わえど尽きず、めども及ばぬ深いものを持っているのである。
この島の神様赤水あかみず明神は姫神でした。この水をんで歯をお染めになろうとすると水の色が赤錆あかさび色であったので、また銕漿水おはぐろみずという名前もありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
意中のめない面々は、せめて、ここでそれだけでも打ち明けて貰いたいと主張するのが異口同音でありました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸から遠くここにきたって親しく井の水をんだか否か。文献のちょうすべきものがあれば好事家こうずかの幸である。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
やがてそのうちの一にんが玉のような水を水晶のさかずきんで来て、つつしんで眼の前に差し出したから
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
しかし街中で一番冷たい水の湧く、寺の井戸から清水をんで来て、店にある白砂糖を入れ、トーヒーとシュセキサンを混じて蜜柑水というものをつくって飲んだ。それで十分に幸福だった。
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
茶をほうじる手つきはなよやかだったが、鉄瓶のはまだたぎらぬ、と銅壺から湯を柄杓ひしゃくの柄が、へし折れて、短くなっていたのみか、二度ばかり土瓶にうつして、もう一杯、どぶりと突込む。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ある時鴻池の主人が好者すきしやの友達二三人と一緒に生玉いくたまへ花見に出掛けた事があつた。一こんまうといふ事になつて、皆はそこにある料理屋に入つた。
青磁の皿 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
バッハの音楽は、一応むずかしい外貌がいぼうを持っているようではあるが、その底にはめども尽きぬ人間愛が流れている。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
今度の新たなる企てによって、単に我々の仮定が成長しただけでなく、単なる文字の間からでもなお色々の古い歴史がみ取られるようになったことは仕合しあわせである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
果たしてどの程度まで武蔵の心事と行動がみ取れるかは難しいと思う。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
船頭おやぢ辨當べんたう使つかあひだ、しばらくはふね漂蕩へうたうながるゝにまかせて、やがて、かれひまして、ざぶりとふなべりあらさまに、割籠わりごむとてみづが、船脚ふなあしよりはながいて、うごくもののないおも
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
哀愁の泉を
偏奇館吟草 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
ある時鴻池の主人が好者すきしやの友達二三人と一緒に生玉いくたまへ花見に出掛けた事があつた。一こんまうといふ事になつて、皆はそこにある料理屋に入つた。
このレコードに対して、私は全面的に支持する所以ゆえん、極めて概念的ではあるが、真意をんで頂きたいと思う。(この項『ディスク』昭和十三年一月号所載)
シャモジなども我々の眼前において、どしどし形を改めて行くのである。現在では飯をよそうのはシャモジ、汁をむものはシャクシと区別するに至ったが、勿論もちろんもとは一つである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そして末期の水をその手からませると、娘は小鳥のやうな口許くちもとをして水を飲んだが、その儘息が絶えてしまつた。
メンデルスゾーンの音楽から、その「あわれ」と「物悲しさ」をみ取ることははなはだむつかしい。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
是で酒瓶さかがめから直接に濁醪どぶろくなり稗酒ひえざけなりをんで、寒かったろうに一ぱい引掛けて行くがよいと、特別に骨を折った者をいたわっていたのである。勿論もちろん対等の客人にはこのような失礼なことはできない。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
侘助のもつ小形の杯では、波々なみなみんだところで、それに盛られる日のしずくはほんの僅かなものに過ぎなからうが、それでも侘助はしんから酔ひつてゐる。
侘助椿 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
平次の言葉の意味をみ取り兼ねながらも、佐の市は懐中ふところの鍼箱を取出しました。
もつと至極しごくの事で、他所ほかの水はびんたくはへて持ち寄りをしたのだから、時間ときが経つて死水しにみづになつてゐる。加茂川のはたてだけに水がきてゐる。美味いに不思議はない筈だ。
大急ぎでんで来た水、ほんの少しばかり含ませて
江戸の火術 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
「この頃は誰にも面会しない事にめてるが、風呂の水をむで呉れるなら会つてもい。」
就いてはこの暮にでも結婚させたいと思ひますが、何卒どうぞそこの所をおみ下すつて……
旅路たびぢあつれては、みつべき
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
かつひめ、『歸依きえ』のむなる
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
まじ眞名井まなゐむやら。
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)