)” の例文
それより他邦にきて一老人の養子となる。この養子つばきはくごとに金を吐く、老人その金を国王に呈し、王女を養子にめあわさんと願う。
延陵えんりょう季子きし、その長子をほうむりて、『骨肉は上に帰復すさだめなり。魂気の若きは、すなわちかざるなし、かざるなし』とのたまいし、云云うんぬん
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
もし彼の脳裏のうりに一点の趣味をちょうし得たならば、彼はく所に同化して、行屎走尿こうしそうにょうの際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
勤王にかんか、佐幕に之かんか。時代はその中間においてねずみいろの生をぬすむことをゆるさなかった。抽斎はいかにこれに処したか。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
(一〇九)もと貴戚きせきことごと呉起ごきがいせんとほつす。悼王たうわうするにおよんで、宗室大臣そうしつだいじんらんして呉起ごきむ。呉起ごきはしつてわうきてこれす。
雅頌がしょうよりして各国の国風まで収録した詩集であるが、詩はなり、志のく所なりとも称し、孟子にも詩三百一言以てこれをおおえば思い邪なしともいい
婦人問題解決の急務 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
年に變じて而して生より死にくの間、同一人と雖も其の變化も亦急に、亦劇しく、亦大に、亦多き譯である。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或はさんじて四方にき、或は上野うへのる。若し公をして耐忍たいにんの力無く、共にいかつて事を擧げしめば、則ち府下悉く焦土せうどと爲らん。
ゆえに明君は民の産を制し、必ず仰いではもって父母につこうまつるに足り、してはもって妻子をやしなうに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしめ、しかる後って善にかしむ。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
アヌンチヤタはいづくにかきし。ベルナルドオなかりせば、彼人は不幸に陷らで止みしならん。否、彼人のみかは、我も或は生涯の願を遂げ、即興詩人の名を成して、偕老かいらうちぎりまつたうせしならんか。
氏は和漢洋の学に通じ科学文学く所として可ならざるなく
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
而してただちに三にけ。
閲して「送松本佐藤二子従鷲津知事之登米県。馬前落葉乱離愁。朝雨江頭猶未収。部伍令明尤整粛。使君政簡太風流。過時休感白河暮。到日須観松島秋。寄語厳冬多大雪。可無一領白狐裘。」〔松本佐藤ノ二子鷲津知事ニ従ヒテ登米県ニクヲ
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
予往年ロンドンにきし時、この事をユールに報ぜんとダグラス男に頼むと、ユールは五年前に死んだと聞いて今まで黙りいたが
浅川楝軒は初め霞亭が召されて東にく時、かみに引いた七律を作つて其行を送つた。尋で秋に入つてから、詩を霞亭に寄せた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかして魂気はすなわちかざるところなしか、われ得てこれを知らず。倏忽しゅくこつとして来たり、倏忽として去り、禍福糾縄きゅうじょうす。たれその極を知る。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
((孫子))(三二)輜車ししやうちり、して計謀けいぼうす。田忌でんきへいいててうかんとほつす。孫子そんしいは
此女が兼盛に一時はなびいたが、年もそぐわず、気も合わないでついに赤染氏にいて了ったのではないか、それが右衛門の母では無かったかと想われてならない。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
王問うてその鐘に血を塗るため殺されにくを知り、これをゆるせ、われその罪なくしておののきながら死地に就くに忍びずと言う。
ここおい呉起ごき公主こうしゆの・しやういやしむを(一〇四)はたして武矦ぶこうす。武矦ぶこうこれうたがうてしんぜず。呉起ごきつみるをおそれ、つひり、すなはく。
神識しんしきはなお屋中の人のごとし。人すでに出でてくに、房屋を顧みず。神識すでに出でて、幻身を顧みず。晦庵かいあんがいわゆる形すでに朽滅して、神また飄散ひょうさんす。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
おもちゃが動くおもちゃだと、それを動かす衝動の元を尋ねて見たくなるのである。子供は Physiqueフィジック より Métaphysiqueメタフィジックくのである。
花子 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これ皆氣の共鳴作用とも云ふ可きもので、特に暴ぶ氣の如きは他の種々の惡氣のいて歸するところのもので有るから、容易に共鳴作用を各種の氣に對して發し易い。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
袒裼たんせき剣を持って水に入り、連日神と決戦してすがめとなり勝負付かず、呉にきて友人をたずねるとちょうど死んだところで
もと(一〇)驕貴けうきにして、以爲おもへらく、しやうすでぐんく、しかうしておのれかんたり、(一一)はなはきふにせずと。親戚左右しんせきさいうこれおくつて留飮りういんす。日中につちうにしていたらず。
張るとは漸々に無よりして有にき、少よりして多に之く場合を言ふのであるから、假令たとひ微少づゝにせよ、精神の力の増加し行く場合は即ち張る氣の現ずるのである。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
夏の詩の後、秋の詩の前に、植村貞皎ていかうの大坂にくを送る詩がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
コーンウォールの鉱夫金掘りにく途中老婆または熟兎を見れば引き還す(タイロル『原始人文篇プリミチヴ・カルチュール』巻一、章四)。
理学より形而上学にくのである。
花子 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
のち呉山にき終る所を知るなしとある(『大清一統志』一二四)。バートンの『東阿非利加アフリカ初入記』五章にエーサ人の牛畜各名あり。ぶち、麦の粉などいう。
欧人が虎捕らんとておとしを仕掛けると、夜分土人そこへき、虎に告げる体でこれは私らがしたんでない
一八九八年、ロンドン板デンネットの『フィオート民俗記』に、一羽の雌鶏が日々食を拾いに川端にく。
英人リチャード・コックス『江戸日本日記』一六二二年(元和げんな八年)二月二十一日の条、コックス江戸にあり芝居にく途上オランダ館に入り肥後か肥前の王に邂逅す
猫に逢うて餌肉を少し分けてくれと頼むと、猫笑ってなんじほどの愚物はあるまい、何故自分で番しおる水牛をわぬかと言った、これまで毎夜村に寝た虎がその夕森に
ただし王の耳については母にすら語るなからしめた。青年慎んで口を守れば守るほど言いたくなり、これを洩らさずば身が裂くるべく覚えた。母教えて広野にきて木か土の割け目へ囁けと言った。
その美容に見入りしならんとて打ち殺すべき談合しきりなる処に、一日かの妓用達しにくと猫例のごとく入らんとす。亭主脇差抜きてその首を打ち落すに、たちまち飛んで厠の下へもぐり行方知れず。