谿谷けいこく)” の例文
男子なる方は、五月蠅うるさきことに思ったのであろう。われわれはこれから、コルシカはタラノの谿谷けいこくへ虎狩りにゆくつもりであること。
まだ明け切らぬ朝靄の木立のなかを縫うように、京子の姿が温泉村の谿谷けいこくへと急いでいた。山荘の人々は誰も起き出でてはいなかった。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
谿谷けいこくをはさんだ峰々は墨絵のおぼろに似て、あるいはゆるやかな、あるいはけわしい線を描きつつ酢川岳のほうへ夢のようにかすんでいく。
峠の手毬唄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
上流の谿谷けいこくの山崩れのために、生きながら埋められたおびただしい樹木が、豪雨のために洗い流され、押し流されて、ここまで来るうちに
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
一日は一日より、白さ、寒さ、深さを増す恵那山えなさん連峰の谿谷けいこくを右手に望みながら、やがて半蔵は連れと一緒に峠の上を離れた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
時には二十余丈の岩盤がんばんを掘り下げたり、或いは一水を得るために、千じん谿谷けいこくへ水汲みの決死隊を募って汲ませたこともある。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
木賀から、宮城野まで、六七町の間、早川の谿谷けいこくに沿うた道を歩いているうちに、二人はようやく打ち解けて、いろ/\な問をいたり訊かれたりした。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
考えていたより何百倍か大きいものであった。月面は青白く輝き、くっきり黒い影でふちをとられた山岳さんがく谿谷けいこくが手にとるようにありありと見えた。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「左様——谿谷けいこくの水と、河川の水とは、東洋画の領分かも知れませんが、海洋の水は、色を以て現わした方が、という気分がしないでもありません」
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
考えることも深かった上に突兀とっこつした谿谷けいこくは相当な登りにかかっていた。おいおいと肩の荷が骨にこたえて来た。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
だが地図で見るなら如何に衣川村の谿谷けいこくの、一番奥の小さな村だかを知られるであろう。この増沢は五十戸ほどよりなく、人々を集めても四百人に足りない。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
熔岩ラバーもって閉じために、ここに秋元湖しゅうげんこ檜原湖と称する、数里にわたる新らしい湖を谿谷けいこくの間に現出した、その一年後のことであるから、吾々の眼にふるるところ
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
大森林、大谿谷けいこく奔湍ほんたん、風の音、雨、山をつんざく雷、時雨しぐれ、無心の空の雲、数箇月に渡る雪の世界。
仙術修業 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
道了と猿山の森を分つ鋸型のこぎりがた谿谷けいこくに従ってみちを見出し、登ること三里、ヤグラ嶽の麓にうずくまる針葉樹の密林に囲まれた山峡の龍巻と称ばるる、五十戸から成る小部落で
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
芝石しばいし温泉という、湯滝のある、谿谷けいこくに臨んだ温泉を過ぎて、紺屋こうや地獄を見た。これは紺色をした泥池の底から、同じく怒るがごとくつぶやくが如く熱気を吐いておるのである。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
また、海岸地方や谿谷けいこくの多くは、熱病の巣と云つてもよいほどであります。それから、猛獣や毒虫がはびこつてゐますし、奥地の方には、獰猛だうまうで危険な土人たちが住んでゐます。
アフリカのスタンレー (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
谿谷けいこくは赤くいろどられ樹木は震え、雲間にまで狂暴なものがひろがり、そして暗夜のうちに、モン・サン・ジャン、ウーゴモン、フリシュモン、パプロット、プランスノアなど
しかし……何しろ人跡絶えた山奥の谿谷けいこくで、水の音ばかり聞こえる寂寞せきばく境ですからね。
キチガイ地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
谿谷けいこくと大空とがぐる/\𢌞つた。丘がり上つた! 幻の使者、一人のマケドニア人が「來りて我等を助けよ!」とポオロにげたやうに、私は天からの呼び聲を聞いたかと思つた。
この家のすぐ裏がやや深い谿谷けいこくになっていて——この頃など夜の明け切らないうちから其処そこ雉子きじがけたたましく啼き立てるので、いつも私達はまだ眠いのに目を覚ましてしまう程だが
卜居:津村信夫に (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
神をいつまつってある奥深い三輪山の檜原ひはらを見ると、谿谷けいこくふかく同じく繁っておる初瀬の檜原をおもい出す、というので、三輪の檜原、初瀬の檜原といって、檜樹の密林が欝蒼うっそうとして居り
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ヨルダンの谿谷けいこくを隔ててはるかにモアブの連峰が紫に霞むのが望まれます。
天外の故郷を去って他界にうつるのだからと抱き合ったり、おどり上ったりして、歓楽と栄華をきわめている、この狭い、浅い、谿谷けいこくも、穂高の大岳、眉を圧して荒海の気魄、先ず動くのである。
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
その谿谷けいこくをもみじの中へ入って行く、のこンの桔梗と、うらさびしい刈萱かるかやのような、二人の姿の、窓あかりに、暗くせまったのを見つつ、乗放のりはなしてりた、おなじ処に、しばらく、とぼんとしゃがんでいた。
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
深く迫った谿谷けいこくは、あらあらしい川の音にやかましく反響していた。この手取川の上流は、いま雪解けの水でいっぱいだった。
似而非物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東ざかいの桜沢から、西の十曲峠じっきょくとうげまで、木曾十一宿しゅくはこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷けいこくの間に散在していた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
地獄谷というのは、S市を訪ずれた人は一度は見物に行く名所で、S市の南を流れるG川の上流、都会近くには珍らしい、深山の趣きある谿谷けいこくだ。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
姉川の水は三尺、その広い河幅も、すねをもってわたることができるが、その清冽せいれつは、夏なお身を切るように冷たくて、水源の東浅井の谿谷けいこくを思わせる。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その幕の一部を左右に引きしぼったように梓川あずさがわ谿谷けいこくが口を開いている。それが、まだ見ぬ遠い彼方かなたの別世界へこれから分けのぼる途中のけわしさを想わせるのであった。
雨の上高地 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あの狭隘きょうあい蹉跌さてつの多い谿谷けいこくが、美の都への唯一の道であったなら、いかに呪わしき命数であろう。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
早川の谿谷けいこくの底はるかに、岩に激している水は、夕闇ゆうやみを透してほのじろく見えていた。その水からき上って来る涼気は、浴衣ゆかたを着ている美奈子には、肌寒く感ぜられるほどだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
とばかり、士気を励まして、山地を脱しようとしたが、行けども行けども、山は尽きず、かえって、いよいよ狭い谿谷けいこくへ迷いこんでしまった気がする。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼にはまた、久しぶりで山地に近い温泉場まで行き、榛名はるな妙義みょうぎの山岳を汽車の窓から望み、山気に包まれた高原や深い谿谷けいこくに接するという楽みがあった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
とりわけ温泉津の如きせまい谿谷けいこくにそれが集る時、どのカメラも画筆えふでも休んではいられまい。
雲石紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
……辛夷が散り桃が咲き、やがて桜も葉に変る頃が来ると、高原はいっぺんに初夏の光と色とに包まれる、時鳥ほととぎす郭公かっこうの声が朝から森に木魂こだまし、谿谷けいこくの奥から野猿が下りて来る。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
物凄いばかりの大谿谷けいこくが横わり、両岸は空を打つかと見える絶壁が、眉を圧して打続き、その間に微動もしない深碧しんぺきの水が、約半町程の幅で、眼も遙かにたたえられているのです。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
河の流れをたどって行く鉛筆の尖端が平野から次第に谿谷けいこく遡上さかのぼって行くに随って温泉にぶつかり滝に行当りしているうちに幽邃ゆうすいな自然の幻影がおのずから眼前に展開されて行く。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
赤城山が利根川の谿谷けいこくへと、ゆる勾配こうばいを作っている一帯の高原には、彼の故郷の国定村も、彼が売出しの当時、島村伊三郎を斬った境の町も、彼が一月前に代官を斬った岩鼻の町もあった。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
のみならず、水門には、頑丈がんじょう鉄柵てつさくが二重になっているうえ、足場あしばのわるい狭隘きょうあい谿谷けいこくである。おまけに、全身水しぶきをあびての苦戦は一通ひととおりでない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わずかに美濃境みのざかい恵那山えなさんの方に、その高い山間やまあい谿谷けいこくに残った雪が矢の根の形に白く望まれるころである。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
酢川岳すがわだけの山々が北に走っていくつかにわかれ、その谿谷けいこくが深く切込んだところに雄物川おものがわの上流が白い飛沫しぶきをあげている。峠道はその谿流にそって、断崖の上を曲り曲り南北に走っているのだ。
峠の手毬唄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東方、早川の谿谷けいこくが、群峰の間にたゞ一筋、開かれている末はるかに、地平線に雲のいぬ晴れた日の折節には、いぶした銀の如く、ほのかに、雲とも付かず空とも付かず、光っている相模灘さがみなだが見えた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
恵那山えなさん谿谷けいこくの方に起こるさかんな雪崩なだれは半蔵が家あたりの位置から望まれないまでも、雪どけの水の音は軒をつたって、毎日のようにわびしく単調に聞こえている。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
道は嶮岨けんそだし、具足着ではあるし、追う方も追うほうだったが、逃げまわる天蔵の同勢も、逃げつかれて来たものとみえ、道々、荷を捨て、馬を捨て、だんだん身軽になって百月川どうづきがわ谿谷けいこく
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
場所は尾花沢から暗闇谷といわれる谿谷けいこくへさがったところで、三百尺もある断崖だんがいに、つたかずらで猿のかようほどの桟を渡し、それを伝ってなお谷へ下るという、まったく孤絶した位置にあった。
おばな沢 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
人はそこに、常なく定めなき流転るてんの力に対抗する偉大な山嶽さんがく相貌そうぼうを仰ぎ見ることができる。覚明行者かくみょうぎょうじゃのような早い登山者が自ら骨をうずめたと言い伝えらるるのもその頂上にある谿谷けいこくのほとりだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その洞窟どうくつ谿谷けいこくにのぞむ断崖だんがいの上にあった。
松風の門 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
百月川どうづきがわ谿谷けいこくは、一瞬でまっ赤になった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はまた、わずかにつがの実なぞのあかたまのように枝に残った郷里の家の庭を想像し、木小屋の裏につづく竹藪たけやぶを想像し、その想像を毎年の雪に隠れひそむ恵那山えなさん連峰の谿谷けいこくにまで持って行って見た。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
翌日は朝霧のこもった谿谷けいこくに朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)