あつら)” の例文
指さした縁側には、あつらへたやうに泥足、のみでこじ開けたらしい雨戸は、印籠いんろうばめが痛んで、敷居には滅茶々々に傷が付いてをります。
今日は気も晴々せいせいとして、散歩にはあつらえ向きというよい天気ですなア。お父様とッさまは先刻どこへかお出かけでしたな。といつもの調子軽し。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
そのせっかくの白い衣裳を、一つ流行文様に染めましょうと思って、梟紺屋こうやあつらえたところが、梟は粗忽そこつで真黒々に染めてしまった。
三十間堀にいた時分、よくここからそばをとると若い衆が「お待遠、藪でござい」と勇みな声を出して、あつらえを置いて行ったものだ。
新古細句銀座通 (新字新仮名) / 岸田劉生(著)
無理にアイ子さんを誘い出しました私は、一緒に西洋亭へ上りまして、二人で思い切り御馳走をあつらえて、お別れの晩餐ばんさんを取りました。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
上物のよろいだけでも三、四十りょう、ほか具足やら腹巻やら、かずと来たら、ちょっと、めまいがしそうな程のおあつらえだ。ただ弱ったのは日限さ。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二、三人の募集員が、汚い折り鞄を抱えて、時々格子戸を出入ではいりした。昼になると、お庄はよく河岸かし鰻屋うなぎやへ、丼をあつらえにやられた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
汁粉屋の看板を掛けた店へ来て支那蕎麦そばがあるかときき、蕎麦屋に入って天麩羅てんぷらあつらえ断られていぶかし気な顔をするものも少くない。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
由「昨夜ゆうべちっとも寝られませんでしたから、此処で昼寝をして顔を洗ってから、何かあつらい物を致しましょう……姉さん何が出来るかい」
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
香木かうぼくの車を造らせるやら、象牙の椅子をあつらへるやら、その贅沢を一々書いてゐては、いつになつてもこの話がおしまひにならない位です。
杜子春 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
酒倉は地下室にある。まもなくそこを捜索しておあつらえのびんを持って来て、葡萄酒の方は、まあこれでいいが、その五日後である。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
詩を作り俳句を作るには誠にあつらえ向きの病気なりとて自ら喜びぬ。俳友も時におとずれくるるに期せずして小会を開くことさえ少からず。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あり合せの鍋物をあつらえて、手酌てじゃくでちびりちびり飲みだしたが、いつもの小量にも似ず、いくら飲んでも思うように酔わなかった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
「物は取りようじゃ、この二つの刀の鞘があつらえたようにしっくりと合い、目釘の穴までがピタリと合うのは、あいえんの証拠に違いない」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
三人のむかいは来ていたが、代助はつい車をあつらえて置くのを忘れた。面倒だと思って、嫂のすすめしりぞけて、茶屋の前から電車に乗った。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
無紋の黒の着流しに、おあつらい通りの覆面頭巾、何か物でも考えているのか、俯向うつむきかげんに肩を落とし、シトシトとこっちへ歩いて来た。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼女は新規にあつらえるまでもなく、松坂屋あたりの店で見つけた出来で間に合わせて、唯寸法だけを少し詰めて貰ったとも言った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
石竹を買はうと思つて見れば、カアネエシヨンが並べてある。花隠元をあつらへて置いて取りに往くと、スヰイト・ピイをくれる。
田楽豆腐 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
……柱も天井も丈夫造りで、床の間のあつらえにもいささかの厭味いやみがない、玄関つきとは似もつかない、しっかりした屋台である。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
先日はご苦労様でしたとか何とか挨拶をして、さておあつらへをくと、サラダか何かのあつさりしたもので、ビールを飲ませろと云ふんです。
赤い杭 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
逸子は、握り箸の篤を、そのまま斜に背中へほうり上げておぶうと、霰の溝板を下駄で踏み鳴らして東仲通りの酒屋までビールをあつらえに行った。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あつらえむきのところで、どかんとやろうと思って手数をかけてるのさ、だがお前たちがちょっかいを出しはじめたから、もう容赦はしねえ
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「おあつらえは何を通しましょうね。早朝はやいんですから、何も出来ゃアしませんよ。桶豆腐おけどうふにでもしましょうかね。それに油卵あぶたまでも」
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
「どうしまして、台所やせんたくがなかなか忙しいのに、あれで道具運びの荷ごしらえに手がかかりますさ、力があるからおあつらえむきだが。」
「そうか、出ていったか」彼は手で口のまわりを横撫でにしながら、べそをかくような表情でだらしなく笑った、「そいつあ、おあつらえむきだ」
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかしその偶然の中に、ちょいとは目に付かない或る必然が含まれているとすれば、なおさらおあつらえ向きだと云う訳です。
途上 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ベンヺ こりゃなんでも、かくれて、夜露よつゆれのまくという洒落しゃれであらう。こひめくらといふから、やみちょうどおあつらへぢゃ。
町人は剃刀を持つた儘、魚のやうなおろかな眼つきをして相手の顔を見た。面師は包みからおあつらへの面を取り出した。そして
丁度あつらえたように十五夜のまん丸な月が其上に出て居た。然し其時はあわたゞしい旅、山に上るもはたさなかった。今はじめて其ふところ辿たどるのである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あれぐらい人殺しにおあつらえ向きのチャンスはありませんねえ。それはもうあの場に居合わせた全員が容疑者ですよ。全員が犯人でありうるのです。
心霊殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
時間も一致すれば、おあつらえ向きに障子がいていたばかりか、鉄瓶さえ覆っていたのだ。このしんに迫ったトリックを、どうして彼が気附くものか。
灰神楽 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一週間ほど経って、あつらえた靴が届けられた。と、父はその靴を手に取って、仔細しさいにその出来をながめながら賢に言った。
イカバッドはそのような馬にはあつらえむきの男だった。あぶみが短かったので、両膝りょうひざくらの前輪にとどくほど高くあがった。
しかし『根本説一切有部毘奈耶こんぽんせついっさいうぶびなや雑事』に、女も蛇も多瞋多恨、作悪無恩利毒の五過ありと説けるごとく、何といっても女は蛇に化けるにあつらえ向きで
ああいうあつらえむきな話を、裁判長に信じさせるということは、まず、余程困難だとみなければなりませんからねえ。
予審調書 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
十二月三十日の、吉は坂上の得意場へあつらへの日限のおくれしをびに行きて、帰りは懐手ふところでの急ぎ足、草履下駄の先にかかる物は面白づくにかへして
わかれ道 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その技は今も残っていて、見事な箪笥類を作ります。ただ昔のような頑丈な金具は跡を断ちました。職人はいてもあつらえる人がなくなってしまいました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その小さな淵の上には、柳のかなりな大木が枝さへ垂らしてゐるといふ、赤蛙にとつてはあつらきの風景なのだ。なぜあの淵を渡らうとはせぬのだらう?
赤蛙 (新字旧仮名) / 島木健作(著)
そこであつらえて、チビリチビリ麦酒を嘗めていると、何時の間にか隣りではひっそりとなった。早や影もないのだ。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
これでいい、月賦の自動車は引き上げられそうだし、店は倒れかかっているし、夜逃げにはあつらえ向きだ。足手纏あしでまといになると思っていたみのりは自分から片を
宝石の序曲 (新字新仮名) / 松本泰(著)
しかし名刺をあつらえる時にもう後悔しました。何と工夫しても三越呉服店員という肩書がつきます。兎に角最高学府を出たものが呉服店員は情けないですな。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
げんも並ぶとしたら、この卓子テーブルじゃもう狭いね、来年はミツ坊も坐って、おととを喰るだろうし、なア坊や、こりゃ卓子テーブルのでかいのをあつらえなくちゃいけねえ」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
これまであつらえてある書物の取纒とりまとめに掛りましたが、せっかく誂えた書物なりかつは得難い書物ですから、金の払ってある分だけは集めようと思いましたので
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
こんなにおあつらえ向きに漆が剥げ落ちて呉れる様では、その海水靴ももう相当に履き古されたものに違いないが、ここで僕は、去年の夏辺りどこかの海水浴場で
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
他人より侮辱ぶじょくをうけ、カッとなりてこれに手向かいするは、一見極めて勇ましく思われ、第三者よりてにぎやかにおもしろく、見物としてはあつらえ向きである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
主人の蔭多き大柳樹の下にありて、あつらへし朝餉あさげの支度する間に、我等はこの烟煤えんばいの窟をのがれ、古祠ふるほこらを見に往くことゝしたり。委它いだたる細徑は荊榛けいしんの間に通ぜり。
年からいっても、火薬の臭いをぎ、物という物を粉砕したい年になっているのだ。おやじは子供をっている。あつらえ向きのものを持って来てくれたに違いない。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
「女の写真屋は面白い。が、あるかネ、技師になる適当の女が?」というと、さもこそといわぬばかりに、「ある、ある、打って付けのおあつらえ向きという女がある。 ...
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そういう人たちが何かのことで意気銷沈したという場合には、まことにおあつらえむきの幽霊の株ができるのです。といっても、何もあなたにかかわることではありません。
〽……足と橋場の明ちかき、はや長命寺の鐘の音も、というお染の段切の文句にちなんだお土産みやげで、お糸さんがわざわざ向島まで出向いてあつらえてきてくれたものである。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)