襁褓むつき)” の例文
エリスは打笑みつゝこれを指して、「何とか見玉ふ、この心がまへを。」といひつゝ一つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓むつきなりき。
舞姫 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
襁褓むつきの籠と共に、市に売られていたのである。王允は、その幼少に求めてわが家に養い、珠をみがくように諸芸を仕込んで楽女がくじょとした。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笹村はお銀に顔をしかめたが、長いあいだ襁褓むつきの始末などについて、母親にまかしきりにして来たお銀は、そんなことには鈍かった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その場末の飲食店の奥の六畳には、衣服やら小児こども襁褓むつきやらがいっぱいに散らかされてあったが、それをかみさんが急いで片づけてくれた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
とある家の物乾しには入れ忘れた襁褓むつきが水を含んでだらりと下って、それでも思い出したようにときどきしおたれ気にはためいていたりした。
最後の抽出ひきだしには来月生れると云ふ小児こどもの紅木綿の着物や襁褓むつきが幾枚か出て来た。次の間から眺めて居た美奈子はこらへ兼ねてわつと泣き伏した。
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
此婆に迄頭を下げぬばかりの御依頼おたのみなんで御座います——此婆にしましてが、せんの奥様おくさまにお乳を差上げ、又た貴嬢あなたさまをも襁褓むつきの中からお育て申し
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
襁褓むつきのうちから二人を許婚いいなずけにし、山崎屋から万和へ約束のしるしに鳳凰ほうおうを彫った金無垢の簪をやって、二人の婚礼の日を楽しみにしていたンです
顎十郎捕物帳:20 金鳳釵 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
しかしながら両親と常に同じ屋根の下に住みながら、襁褓むつきの間より親子として暮らしてきた者が隣人の関係において相対することは至難である。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
一処ひとところかたまるから、どの店も敷物の色ばかりで、枯野にした襁褓むつき光景ありさま、七星の天暗くして、幹枝盤上かんしはんじょうに霜深し。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「困つた!」と呟くと、漸く諦めたやうに死骸の側に寄つて、無器用な手付ではだけた襁褓むつきなどを始末にかかつた。
嘘をつく日 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
名をオッタケッルロといへり、その襁褓むつきつゝまれし頃も、淫樂安逸をむさぼるその子ヴェンチェスラーオの鬚ある頃より遙に善かりき 一〇〇—一〇二
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
みずから塩垢離取らせて御祈りありしその神社を見る影もなく滅却し、その跡地は悪童の放尿場となり、また小ぎたなき湯巻ゆまき襁褓むつきなどを乾すこと絶えず。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
8 海の水流れで、胎内より湧き出でし時誰が戸をもってこれを閉じこめたりしや、9 かの時我れ雲をもてこれを衣服ころもとなし、黒暗くらやみをもてこれが襁褓むつきとなし
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
襁褓むつき台からころげ落ちたなり、気味の悪いほどかすかなうめき声を立てながら、ゆかの上に横たわっていて、そのそばに、乳母がぼんやり突っ立っていたのである。
翌年の五月には、三吉夫婦はお房という女のの親であった。書生は最早居なかった。手の無い家のことで、お雪は七夜しちやの翌日から起きて、子供の襁褓むつきを洗った。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
襁褓むつきと古びた赤い干しものが、鈍い天候の下で絵画的効果を有すると同じ、一種の美がここにもある。
保木で生れた長男を負って、私は襁褓むつき提げて、初めて移り住んだ長崎町の家、二男の生れた西荻窪の家、三男の生れた深川の家、長女と四男の生れた阿佐ヶ谷の家。
夢幻泡影 (新字新仮名) / 外村繁(著)
あとは重湯や水飴みずあめを与えるのだが、それを薄めたりあたためたりする加減が、男の手ではなかなかうまくゆかないし、襁褓むつきや肌着の取替え、病人の看護、炊事、洗濯など
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
夜なか近くなつた時、プツゼル婆あさんが編物を片附けて、目金をはづして、卓の上に置いて、腕組をして、暫く炉の火を見詰めてゐた。それから襁褓むつきの支度をした。
ジュリエットの乳母うばのごときが現われてきて、汚ない襁褓むつきや、くだらない考えや、また、幼い魂が卑しい物質と息苦しい環境との圧迫に逆らう、あの厄介やっかいな時代を
あくれば天明元年、春水本国広島藩のまねきに応じて藩学の教授となれり。其婦と長子とを携へて竹原に帰り父を省し、更に厳島いつくしまの祠に詣づ、襄は襁褓むつきの中に龕前がんぜんに拝せり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
Aさんは、「相済みません」と云つて、玩具おもちや襁褓むつきを手早く片づけた後、一閑張いつかんばりの上でしきりと筆を走らせはじめた。時々何か印刷した紙を参考にしてゐる様子だつた。
姉弟と新聞配達 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
一番心に残るのは、その小屋の一つに、赤ん坊の襁褓むつきらしいものが少し乾してあったことである。
荒野の冬 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
それは地球がまだその襁褓むつき時期にあり、その嬰児えいじの指をあらゆる方向にさし出していることをわたしに信ぜしめる。新しい捲き毛は恐れを知らない大胆なひたいから生えだす。
そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓むつきの中を出でざるにひとし。
白痴の子が赤ん坊同様なので、東の縁に干してある襁褓むつきから立つ塩臭いにおいや、畳の上に踏みにじられたままこびりついている飯粒などが、すぐ葉子の神経をいらいらさせた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢えりあかの附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓むつきしてあったとて、平生へいぜい名利めいりほかに超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
そうして、埋葬地はどこらがよかろうかと、詮鑿したが、普通の寺院の墓地よりも律院の墓地が清潔で、子供の襁褓むつきを干す梵妻も居まいからというので、終に田端の大龍寺を卜した。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
如是我聞によぜがもん佛説阿彌陀經ぶつせつあみだきやう、聲は松風にくわして心のちりも吹拂はるべき御寺樣の庫裏くりより生魚あぶる烟なびきて、卵塔場らんたふば嬰兒やゝ襁褓むつきほしたるなど、お宗旨によりて構ひなき事なれども
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
屯食とんじき五十具、碁手ごての銭、椀飯おうばんなどという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児えいじの服を五枚重ねにしたもの、襁褓むつきなどに目だたぬ華奢かしゃの尽くされてあるのも
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
二十年前すげなく振り捨てた、先妻の衣川暁子も、その劇団と共に迎えてくれたのだし、当時は襁褓むつきの中にいた一人娘も、今日此の頃では久米幡江くめはたえと名乗り、鏘々そうそうたる新劇界の花形となっていた。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
子供が生まれて妻は、襁褓むつきを籠に入れて利根の河原へ洗いに行った。私の子供らは、利根の清流に洗った襁褓で育ったのである。妻は、寒中の酷烈な北風が吹く日でも襁褓を持って利根へ行った。
利根川の鮎 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
障子は風がもり、畳は毛立っている。霜柱にあれた庭を飾るものは子供の襁褓むつきくらいなものだ。この頃の僕は何だかだんだんに変って来る。美しい物の影が次第に心から消えて行く。金がほしくなる。
イタリア人 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
襁褓むつきを縫ひ、面帕かほぎぬを縫ふ白妙しろたへの手によりて
(旧字旧仮名) / アダ・ネグリ(著)
綺麗な、軟かい毛織の襁褓むつきにくるんで
襁褓むつきを洗つたことはない。
皮交り、襁褓むつきせり。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
エリスは打笑うちゑみつゝこれをゆびさして、「何とか見玉ふ、この心がまへを。」といひつゝ一つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓むつきなりき。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「きれいな子ですよ。お腫物でき一つできない……。」と言って、お銀は餅々もちもちしたそのもものあたりを撫でながら、ばさばさした襁褓むつきあてがってやった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
パリ等にキリストの襁褓むつき、ヴァンドームにキリストの涙、これは仏国革命の際、実検して南京玉とわかった。
襁褓むつきの中よりちち兄弟はらからにわかれ、七ツの頃、母の手からもぎ去られ、ようやく、兄君とも会って、平家を討ったと思うもつかの間、兄たる御方から兵をさし向けらるるとは
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
執達吏は其の産衣うぶぎをも襁褓むつきをも目録に記入した。何物をも見のがさじとする債権者の山田は押入おしいれ襖子からかみを開けたが、其処そこからは夜具やぐの外に大きな手文庫が一つ出て来た。
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
けだしこの御しがたき力を制御せしは神にほかならずとの意である。次に九節はこの海という嬰児に対して「雲を以てこれが衣服となし、黒暗くらやみを以てこれが襁褓むつきとなし」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
そして、乳呑児の襁褓むつきを温める為に置いてあった行火あんかもたれて、窓の下のところで横に成った。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
着替えが二三枚に襁褓むつき、それとへその緒書があるだけで、手紙のような物はみあたらなかった。
初蕾 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
未だ会わぬうちは多少の敬意をっていたけれど、一たび其人の土気色した顔が見え、襟垢えりあかが見え、襁褓むつきが見えて想像中の人が現実の人となると、木地の吾が、貧乏だから下らんと
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
如是我聞によぜがもん仏説阿弥陀経ぶつせつあみだけう、声は松風にくわして心のちりも吹払はるべき御寺様おんてらさま庫裏くりより生魚なまうをあぶるけぶなびきて、卵塔場らんたうば嬰子やや襁褓むつきほしたるなど、お宗旨によりてかまひなき事なれども
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
不意に、懐しい襁褓むつきの臭のような愛情が、胸を鳴らして湧き起こった。
夢幻泡影 (新字新仮名) / 外村繁(著)
低いひさし地焼じやきかわらでふいた家根や、襁褓むつきを干しつらねた軒や石屋の工作場や、鍛冶屋かじやや、娘の青縞を織っている家や、子供の集まっている駄菓子屋などの両側に連なった間を静かに動いて行った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)