腑甲斐ふがい)” の例文
その度毎に、神尾は自分を歯痒がったり、腑甲斐ふがいないと自奮してみたりする気になるが、さて面と向うと、どうにもならないのがしゃくだ。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
吉兵衛の腑甲斐ふがいなさばかりではなく、染物屋などにとっては運の悪い時世じせいで、天保十三年の水野の改革で着物の新織新型、羽二重、縮緬
顎十郎捕物帳:18 永代経 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「何んの、——拙者は天下無祿の浪人者、土岐亥太郎ときいたろうと申す。山中にて賊に逢い、腑甲斐ふがいなくも衣類両刀まで奪い盗られてござるが——」
「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに腑甲斐ふがいのない叡山なら、自分から、さっさと山を下りたらいいじゃないか」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あとかみさまからうかがえば、わたくしはそれから十ねんちかくもねむっていたとのことで、自分じぶんながらわが腑甲斐ふがいなさにあきれたことでございました……。
君江はどうして昨夜はあんな矢田のようなろくでもない男の言う事をきく気になったのだろうと、自分ながらその腑甲斐ふがいなさにいやな心持がした。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
美こそ彼をささえていた唯一のものであり、彼にとって一切は美の次元から照射されてはじめて腑甲斐ふがいあるものとなった。
(私はさきごろ) (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
はて腑甲斐ふがいなき此身おしからずエヽ木曾川の逆巻さかまく水に命を洗ってお辰見ざりし前に生れかわりたしと血相かわ夜半よわもありし。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼は自分の腑甲斐ふがいなさに呆れるほどだった。市街のここかしこに立つ老いたにれの樹を見るごとに、彼はそれによって自分の心を励まそうとした。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
身を犠牲にして天降あまくだり式の決定に盲従するより外はなかったが、それにしても父のことをそう無念にも感じていないらしい兄を腑甲斐ふがいなく思った。
予はここに於て終に十年来の素志そしを達する能わずして、下山のむべからざるに至りたれば、腑甲斐ふがいなくも一行にたすけられて、吹雪の中を下山せり
(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ふがいないものは、大慈大悲の観世音菩薩かんぜおんぼさつも、お見放しなすったものかも知れません。
藪の中 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あるいは恐る、日ごろ心たけかりし父の、地下よりおどでて我をむちうつこと三百、声を励まして我が意気地いくじなきを責め、わが腑甲斐ふがいなきをこらし給わんか。
父の墓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐ふがいない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。
冬の蠅 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
綱もすなわち幽霊れこには恐れる。といわれて得右衛門大きに弱り、このまま帰らんは余り腑甲斐ふがい無し、何卒なにとぞして引張り行かん。はて好い工夫はおっとある。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
岸本の頭脳あたまなかはシーンとして来た。二度結ばれるように成った節子との関係は彼自身の腑甲斐ふがいなさを思わせた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして、一番若い、一番無智無能な自分が何にも出来ずに家の中でぐず/\してゐるのだ、と思ふと、何とも云へない情なさ腑甲斐ふがいなさを感ずるのであつた。
乞食の名誉 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
眠りこけているのでなかったら、どうして人々はかれらの一日をかくも腑甲斐ふがいないものにするのだろうか? かれらはそれほどへまな打算家ではないはずだ。
彼は、その場合にそれほど大切な品物をぼんやり忘れてしまう自分の腑甲斐ふがいなさがしみじみと情なかった。
出世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この、お別れの言葉を、姉さんに直接言ってあげるほどの勇気が僕に無いのは、腑甲斐ふがいなく、悲しい事だ。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
トルストイの妻はそのおっとをルーブルにして置かねばならぬ程貧しい者でしょう乎。トルストイの子女は、其父を食わねば生きられぬほど腑甲斐ふがいないものでしょう乎。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
代助は知らず知らずの間に、安全にして無能力な方針を取って、平岡に接していた事を腑甲斐ふがいなく思った。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし慧鶴はかねて覚悟のことでもあるし、また、ともすれば清水のことが想い出される腑甲斐ふがいない心を何かの強い刺戟しげきで眼の前の境遇に釘付けにしてもらうことは
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
船長は直江津の艀船はしけ腑甲斐ふがいなさを、冷やかす意味において、水火夫全体へ向かって、当番を除いたほかの者は、ボートと伝馬てんまとをおろして、練習していいという
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
父と私とは気象の上で、いちじるしく相違しておりまして、父は私を腑甲斐ふがいない者に思い、私は父を権謀けんぼうに過ぎた、鋭さ余る性質として、好もしく思っておりませぬ。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
してみると和女の身に取ってこれほどありがたい幸福な事はないでないか、世中に何が役に立たんといって何事にも自分の責任を遁れたがる人位腑甲斐ふがいないものはない
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
それをなんで自分が気にするのか。なんと云う腑甲斐ふがいない事だろうと思うと、憤慨にえない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
私はそうした腑甲斐ふがいないような自分に照れ、池の彼方に「びっくりぜんざい」と「大善」のネオンが河にかかった仕掛花火のように大きく美しく輝いているのに眼をやって
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
冷たい涙が腑甲斐ふがいなく流れて、泣くまいと思ってもせぐりあげる涙をどうする事も出来ない。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
けれどこのまま帰るのは——目的をはたさずに帰るのは腑甲斐ふがいないようにも思われる。せっかくあの長い暑い二里の土手を歩いて来て、無意味に帰って行くのもばかばかしい。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
……しかし夫人が折角せっかくその肯定するところまで乗りだしながら、愛の肯定は即ち情死であるというより以上の思案を見出みいだされなかったことは何より残念な、腑甲斐ふがいないことでした。
芳川鎌子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
一般の生徒の中には、委員会の腑甲斐ふがいなさを真剣になって怒っているものもあった。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
人間て実に腑甲斐ふがいないもんですね。多寡がこんな小さな島じゃないか、端から端まで歩いたって知れたものです。又僕達の頭のすぐ上には、太陽が輝いて、家もあれば人もいるんだ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
腑甲斐ふがいないことに、犯人の神経繊維の上を歩いていたものであることは確かだった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
とうとう喧嘩けんかをした。ドリスは喧嘩が大嫌いである。喧嘩で、一たび失ったこの女の歓心を取り戻すことは出来ない。それはポルジイにも分かっているから、我ながら腑甲斐ふがいなく思う。
おせい様、わたしは、おまえさまの腑甲斐ふがいないのが、歯がゆくてたまりませんよ。とにかく、あしたの朝早く、伊万里のほうへ行きますからね、また帰ったら、寄せていただきますよ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そう思うと、そんな事は出来ない、いつまで立っても出来ないと、つくづく自分の腑甲斐ふがいなさを感ぜずにはいられない。そんならどうしたら好かろう。その日はいやでも来るに違いない。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
その度毎たびごとに、おせんのくびよこられて、あったらたま輿こしりそこねるかと人々ひとびとしがらせて腑甲斐ふがいなさ、しかもむねめた菊之丞きくのじょうへのせつなるおもいを、ひととては一人ひとりもなかった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
しょうをして常にこの心を失わざらしめば、不束ふつつかながらも大きなる過失は、なかりしならんに、こころざし薄く行い弱くして、竜頭蛇尾りゅうとうだびに終りたること、わが身ながら腑甲斐ふがいなくて、口惜くちおしさの限り知られず。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
彼は毎日のように支倉からの嘲弄の手紙を受取って、彼の行方を突留ることの出来ない腑甲斐ふがいなさに歯ぎしりをしながら、方々を駆け廻って、それからそれへと溯って、支倉の昔の跡を嗅ぎ廻った。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
僕は旅芸者の腑甲斐ふがいなさをつくづく思いやったのである。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
掻きむしらるゝの思い、武士の家に生れながら腑甲斐ふがいなし
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
腑甲斐ふがいない話と言わねばならぬ。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「兄さん、後生だから、そんな事はして下さい。捨てられたのは私の腑甲斐ふがいなさで、お駒に少しも悪いことはありません」
「なるほど、この腑甲斐ふがいない自分というものの持って行き場は、身投げあたりが相当だろう、腹を切るという代物しろものではない」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
則重がおめ/\捕われの身となって生き耻をさらしながら、敵の城中にき年月を送っていた心事については、あまり腑甲斐ふがいなく思われるけれども
吾ながら、腑甲斐ふがいなしとは思うが、ここ千載一遇せんざいいちぐうの大事と思えば、新九郎の五体はおのずからブルッとふるえてやまぬ。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お父様、あんな男に起訴されて、泣寝入りになさるような、腑甲斐ふがいないことをして下さいますな。飽くまでもたたかって、相手の悪意をこらしめてやって下さいませ。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
時には自分で腑甲斐ふがい無いと思えば思うほど「ええ、何もかもおしまいだ、姫と駆落かけおちでもしてしまおう」
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
彼は彼自身の腑甲斐ふがいなさに驚きながら、いつか顔中にえみを浮べて、彼等の近づくのを待ちうけていた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)