犇々ひしひし)” の例文
ああ「自ら起て籠を開いて白鷴を放つ」白ママを放つ。この情。「秋来見月多帰思」境遇の上から実感に犇々ひしひしと迫るものがあったのだ。
(新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その周囲を重役以下男女社員が犇々ひしひしと取り囲んで、敵選手の練習を見ている処へ乗り込んだ時には、何かなしに全身を冷汗が流れた。
ビール会社征伐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そして何でもこの時知らぬ顔の岩が根を埋没しないでは止まないといったように、幾重にも重り合って犇々ひしひしと押し寄せているさまだ。
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
とたじろぐところを、折重なって、犇々ひしひしと縛り上げます。ガラッ八も人柄相応に馬鹿力があるので、こんな時は存外役に立つのでした。
これには何か深い仔細しさいがなくてはかなわぬと先刻から眼惹き袖引き聴耳立てていた周囲まわりの一同、ここぞとばかりに犇々ひしひしと取り巻いてくる。
今は邪魔物の大身の槍を奴に担がせながら、水野を案内して屋敷へ帰る途中、いい知れない寂しさが犇々ひしひしと彼の胸に迫って来た。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
蕭条たる気が犇々ひしひしと身に応えてくる。不図ふと行手を眺めると、傍らの林間に白々と濃い煙が細雨の中をのぼって行く光景に出遭う。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
とさ、斯う思って居る中に早や外から入口の戸を犇々ひしひしと締める音が聞こえる、サア大変だ。余は医学士に一ぱいめられた。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
看護員は犇々ひしひしとその身をようせる浅黄あさぎ半被はっぴ股引ももひきの、雨風に色褪いろあせたる、たとへば囚徒の幽霊の如き、数個すかの物体をみまはして、ひいでたるまゆひそめつ。
海城発電 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
やがて、谷間から、裏から表から、これへ犇々ひしひし近づいて来る敵の気はいを知ると、さすがに、膝を立て、太刀をつかんで
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あてつけかとも思われる葉子と義公との、奇怪なダンスも別な意味で、犇々ひしひしと覆い被さる重圧をもった悪夢であった。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
当路の責任者は最も深刻にこの国と人を誤らせてはならないという感じを弥之助は犇々ひしひしと胸に焼きつけられた。
秋の夜が犇々ひしひしと二人の身に迫っていた。二人はこの寂しいうちにお互いの触れ合い結び合う生命を感じ合った。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
その川添いの庭に、百観音のお姿は、炭俵や米俵の中に、三、四体ずつ、犇々ひしひしと詰め込まれ、手も足も折れたりはずれたり荒縄あらなわでくくってほうり出されてある。
彼らの頭上には、偶然にあたりくじをひいた人気作家がひかえていて、到底わりこむ余地がないし、彼らの脚下あしもとには、新鋭の新進作家が犇々ひしひしとつめかけている。
昭和四年の文壇の概観 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
氏郷の家来達は勿論甲冑かっちゅうで、やり薙刀なぎなた、弓、鉄砲、昨日に変ること無く犇々ひしひしと身を固めて主人に前駆後衛した事であろう。やがて前野に着く。政宗方は迎える。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
やがて太き麻縄あさなわもて、犇々ひしひしいましめられぬ。そのひまに彼の聴水は、危き命助かりて、行衛ゆくえも知らずなりけるに。黄金丸は、無念に堪へかね、切歯はぎしりしてえ立つれば。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
恁麽こんな風に、彼は一時間半か二時間の間、盲目めくら滅法駆けずり廻つて居たが、其間に酔が全然醒めて了つて、緩んだと云つても零度近い夜風の寒さが、犇々ひしひしと身に沁みる。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
その時、私たちは思い思いの防水用意をして、既に右舷のブリッジのそばに犇々ひしひしと詰めかけていた。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
「オーイ」と呼び返すが、先方の声はだんだん遠くなってしまい、四辺あたりにはいつの間にか犇々ひしひしと、おそろしい牛とか馬とかの顔をした人間の群が自分を取りいている。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
しいんとして待っている観客が犇々ひしひしと感じられる。イダルゴはためらった。イダルゴは胸を張った。そうしたら次ぎの瞬間、彼女は舞台でスポット・ライトを浴びていた。
晩ごはんの後、僕は部屋にとじこもって、きょう一日のながい日記をける。きょう一日で、僕は、めっきり大人おとなになった。発展! という言葉が胸に犇々ひしひしと迫って来る。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
犇々ひしひしと身に迫って来るのを感じる、声を限りに叫んだが、反響エコーは岩の空洞よりオーイと返すのみ、自分は友を呼ぶ、反響は自分を冷嘲する、寥廓りょうかく無辺むへんの天の一角を彷徨さまようて
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
徒士かち二十人ばかりが横列になり、先頭に抜刀をふりかざした若武者が指揮していた。かれらは黙っていた、みんな槍をぴたりと脇につけ、足並をそろえて犇々ひしひしと進んでいった。
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかも自分が招待を受けなかった此家ここの盛大な晩餐会のことなどを、面白おかしく話しているのを聞くと、自分だけがけ者にされてしまったという感じが、犇々ひしひしと胸へ来た。
ふみたば (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
曠野に迷った旅人のように、孤独と不安が犇々ひしひしと全身をつつんで来た。熱いもののかたまりがこみ上げて来て、ひくひくと胸が嗚咽し出したが、不思議に一滴の涙も出ないのだった。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
腰にも、腕にも、脇の下からはすに肩へ掛けても犇々ひしひしと搦んだ恐ろしいしょうの悪い藻で有った。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
不人情者、恩知らず——父に対する哀惜の情や、跡方もなく消えた一家の犇々ひしひしと身に迫る切なさから、皆は口を極めてこれらの人達をざまに罵り、僅かに鬱憤を洩らすのであつた。
鳥羽家の子供 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
如水はねたまも天下を忘れることができず、秀吉の威風、家康の貫禄を身にしみて犇々ひしひしと味ひながら、その泥の重さをはねのけたけのこの如き本能をもつて盲目的に小さな頭をだしてくる。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
男のおそろしさを、むしろ本能的といいたいほど肉体に犇々ひしひしとかんずるのである。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
夜の冷気は犇々ひしひしと身に迫って来た。お婆さんは、両足をちぢめて、小さくなって見たが、やはりぞくぞくするばかりであった。だが、寝床の中で震えながらも三十分間ばかり我慢して見た。
蜜柑 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
盗人たちはそれには目もくれる気色けしきもなく、矢庭やにわに一人が牛のはづなを取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白刃しらはの垣を造って、犇々ひしひしとそのまわりを取り囲みますと
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
宮は泣音なくねほとばしらんとするを咬緊くひしめて、濡浸ぬれひたれるそで犇々ひしひしおもて擦付すりつけたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
此度はまた淫売のことで崇られるかな、と平常は忘れている、其様そんなことが一時に念頭に上って自分をば取着く島もなく突き離されたその上に、まだ石を打付ぶッつけられるかと、犇々ひしひしと感じながら
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
北の方の空は青くすんでいる。遠くに連っている町の頭が犇々ひしひしかさなって固っている。ぎらぎらとするのは瓦家根かわらやねが多いからであろう。翻々ひらひらと赤い旗も見える。長い竿の先に白い旗のひるがえるのも見える。
暗い空 (新字新仮名) / 小川未明(著)
思い直して次の間からピンカートンとの間に生まれた碧い眼の子供を連れてきて領事に見せ「坊やのこのママちゃんが、雨の日も風の日も」と犇々ひしひしと子供を抱きしめて我児への切々たる愛を歌い
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
浮雲の筆はれきって、ぱっちり眼を開いた五十男の皮肉ひにく鋭利えいりと、めきった人のさびしさが犇々ひしひしと胸にせまるものがあった。朝日から露西亜へ派遣はけんされた時、余は其通信の一ぎょうも見落さなかった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
深夜の気配が求めずして身に犇々ひしひしと感じられます。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
ヴォルガの稼ぎのなくなったゴーリキイが「外側から犇々ひしひしと鉄格子で覆われ」「日の光は粉の埃で一面の窓硝子をとおしては届かない」
又は近道伝ちかみちづたいの太宰府参りらしい町人なんどが真黒く、犇々ひしひしと押しかけて、中央の白い花崗岩みかげいしの石甃の上を、折重なるように凝視している。
娘の身体が白々と見えたのは着物や光線のせいではなく、半裸体にされて、犇々ひしひしと荒縄に縛り上げられているためだったのです。
尊いと思わなければならないと自分に言い聞かせながらも、内心、犇々ひしひしと淋しい気もちに包まれていくのを、どうすることも出来なかった。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
追々と集まってくる剣客はおのおの鎖帷子くさりかたびらの着込みに、筋金入りの白鉢巻をなし、門下を併せて二、三百人余り、意気天を衝いて犇々ひしひしと詰めかけた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし吉次郎には犇々ひしひしと思ひ当ることがあるので、その枕もとへ寄付かない養母をきびしく責める気にもなれなくなつた。彼はあまりの浅ましさに涙を流した。
魚妖 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
犇々ひしひしとして悠久なる物の哀れというようなものが身にせまってくるのを覚えて、泣きたくなりました。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いつも斯様かような場所にのみたむろしている暗く冷い空気が不安に満ちた人の心に犇々ひしひしと迫って来る。
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
未見みちの境を旅するといふ感じは、犇々ひしひしと私の胸に迫つて来た。空は低く曇つてゐた。目を遮ぎる物もない曠野の処々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木くわんぼくの叢生した箇処ところがある。
札幌 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
一方は諏訪町、駒形方面から、一方は門跡から犇々ひしひしと火の手が攻めかけて来るのだが、その間は横丁の角々かどかどは元よりいたる処荷物の山で、我も我もと持ち運んだ物が堆高うずたかくなっている。
渡掛わたりかけた橋の下は、深さ千仭せんじん渓河たにがわで、たたまり畳まり、犇々ひしひし蔽累おおいかさなつた濃い霧を、深くつらぬいて、……峰裏みねうらの樹立をる月の光が、真蒼まっさおに、一条ひとすじ霧に映つて、底からさかさ銀鱗ぎんりんの竜の
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロとこぼした血のような涙が、荒削りの床に
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)