深川ふかがわ)” の例文
しかし中洲なかずの河沿いの二階からでも下を見下みおろしたなら大概のくだり船は反対にこの度は左側なる深川ふかがわ本所ほんじょの岸に近く動いて行く。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
雷門かみなりもんを中心とし、下谷したや浅草あさくさ本所ほんじょ深川ふかがわの方面では、同志が三万人から出来た。貴方たちも、加盟していただきたい。どうです!
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
脱獄以来二ヶ月の間、彼は深川ふかがわのある同類の家に身を隠していました。——その同類の名前もちゃんとわかっています——。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
勘定奉行平川半治ひらかわはんじはこの議にあずからなかった。平川は後に藩士がことごとく津軽にうつるに及んで、独りながいとまを願って、深川ふかがわ米店こめみせを開いた人である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
第一に、鼠色は「深川ふかがわねずみ辰巳たつみふう」といわれるように「いき」なものである。鼠色、すなわち灰色は白から黒に推移する無色感覚の段階である。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
随って手洗いしょが一番群集するので、喜兵衛は思附いて浅草の観音を初め深川ふかがわの不動や神田かんだの明神や柳島の妙見や
深川ふかがわ、浅草、日本橋にほんばし京橋きょうばしの全部と、麹町こうじまち、神田、下谷したやのほとんど全部、本郷ほんごう小石川こいしかわ赤坂あかさかしばの一部分(つまり東京の商工業区域のほとんどすっかり)
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
本多西雲君は深川ふかがわ木場きばの人。鹿島岩蔵氏の番頭さんのせがれで、鹿島氏の援助で私のもとへ来て稽古し一家をした。
深川ふかがわ方面を描いたものは武家、町家いちめんの火で、煙につつまれた火見櫓ひのみやぐらも物すごい。目もくらむばかりだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
深川ふかがわのこの木場きばの材木に葉が繁ったら、夫婦いっしょになってるッておっしゃったのね。うしたって出来そうもないことが出来たのは、私の念が届いたんですよ。
木精(三尺角拾遺) (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
三毛の死後数日たって後のある朝、研究所を出て深川ふかがわへ向かう途中の電車で、ふいと三毛の事を考えた。そして自然にこんな童謡のようなものが口ずさまれた。
備忘録 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
女の子にかっぽれや深川ふかがわなどを踊らせていると、ホテルの外人達がよってたかって見物し、一踊り済むと、女の子が持って廻る帽子に銀貨を投げ入れてやる趣きは
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
三月十日の未明、本所ほんじょ深川ふかがわを焼いたあの帝都空襲の余波を受けて、盛岡もりおかの一部にも火災が起きた。丁度その時刻には、私は何も知らずに、連絡船の中でぐっすり寝ていた。
I駅の一夜 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
その一方は駿河台するがだいへ延びて神田かんだを焼きさ、伝馬町てんまちょうから小舟町こぶなちょう堀留ほりどめ小網町こあみちょう、またこっちのやつは大川を本所ほんじょに飛んで回向院えこういんあたりから深川ふかがわ永代橋えいたいばしまできれえにいかれちゃった
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「ええ、そうです。どうも見たこともねえ人だ。岡釣でも本所、深川ふかがわ真鍋河岸まなべがし万年まんねんのあたりでまごまごした人とも思われねえ、あれはかみの方の向島むこうじまか、もっと上の方の岡釣師ですな。」
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
江戸以来の三大祭りといえば、麹町の山王さんのう、神田の明神みょうじん深川ふかがわの八幡として、ほとんど日本国じゅうに知られていたのであるが、その祭礼はむかしの姿をとどめないほどに衰えてしまった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
えんの方へ廻れと云うたら、障子をあけてずンずン入って来たから、縁から突落して馬鹿と叱った。もと谷中村やなかむらの者で、父は今深川ふかがわ石工いしく、自身はボール箱造って、向うまかないつき六円とるそうだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
御承知かも知れませんが、日錚和尚にっそうおしょうと云う人は、もと深川ふかがわの左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気しょうきを失ったのち、急に菩提心ぼだいしんを起したとか云う、でんぼう肌の畸人きじんだったのです。
捨児 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いつものように清洲橋きよすばしをわたって深川ふかがわの町々を歩み、或時は日の暮れかかるのに驚き、いそいで電車に乗ることもある。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
貴隊は犬吠崎いぬぼうさき附近から陸上を東京に向かい、工業地帯たる向島むこうじま区、城東じょうとう区、本所ほんじょ区、深川ふかがわ区を空襲せよ。これがため一キログラムの焼夷弾約四十トンを撒布さっぷすべし!
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彫金ほりきんというのがある、魚政うおまさというのがある、屋根安やねやす大工鉄だいてつ左官金さかんきん。東京の浅草あさくさに、深川ふかがわに。周防国すおうのくに美濃みの近江おうみ加賀かが能登のと越前えちぜん肥後ひごの熊本、阿波あわの徳島。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
東京で震災前までは深川ふかがわへんで見かけたことのあるあの定斎屋じょさいやと同じようなものであったらしいが、しかし枇杷葉湯のあの朱塗りの荷箱とすがすがしい呼び声とには
物売りの声 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
六十九人もの破戒僧が珠数じゅずつなぎにされて、江戸の吉原よしわらや、深川ふかがわや、品川新宿しんじゅくのようなところへ出入ではいりするというかどで、あの日本橋でかおさらされた上に、一か寺の住職は島流しになるし
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その日深川ふかがわの町からここに至るまで、散歩の途上に、やや年を経た樹木を目にしたのはこれが始めてである。
元八まん (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私は過去十何年の間、ほとんど毎週のように金曜日には、深川ふかがわの某研究所にかよって来た。
時事雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
納戸なんどへ入って、戸棚から持出した風呂敷包ふろしきづつみが、その錦絵にしきえで、国貞くにさだの画が二百余枚、虫干むしぼしの時、雛祭ひなまつり、秋の長夜ながよのおりおりごとに、馴染なじみ姉様あねさま三千で、下谷したや伊達者だてしゃ深川ふかがわ婀娜者あだもの沢山たんといる。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
亭主ていしゅ多吉たきち深川ふかがわの米問屋へ帳付けにかよっているような人で、付近には名のある相撲すもう関取せきとりも住むような町中であった。早速さっそく平助は十一屋のあるところから両国橋を渡って、その家に半蔵をたずねて来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
深川ふかがわの湿地に生れて吉原よしわらの水に育ったので、顔の色は生れつき浅黒い。一度髪の毛がすっかり抜けた事があるそうだ。酒を飲み過ぎて血を吐いた事があるそうだ。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一、酒井雅楽頭さかいうたのかみ様、(播州ばんしゅう姫路ひめじ藩主)深川ふかがわ一円。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その大きな高い白帆のかげに折々眺望をさえぎられる深川ふかがわの岸辺には、思切って海の方へ突出つきだして建てた大新地おおしんち小新地こしんちの楼閣に早くもきらめめる燈火ともしびの光と湧起る絃歌げんかの声。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
本所ほんじょ竪川たてかわ深川ふかがわ小名木川辺おなぎがわへんの川筋には荷足船にたりぶねで人を渡す小さな渡場が幾個所もある。
隅田川はいうに及ばず神田のお茶の水本所ほんじょ竪川たてかわを始め市中しちゅうの水流は、最早もはや現代のわれわれには昔の人が船宿ふなやど桟橋さんばしから猪牙船ちょきぶねに乗って山谷さんやに通い柳島やなぎしまに遊び深川ふかがわたわむれたような風流を許さず
その深川ふかがわ吉原よしわらなるとを問わず、あるひは町風まちふうと屋敷風とを論ぜず、天保以後の浮世絵美人は島田崩しまだくずしに小紋こもん二枚重にまいがさねを着たるあり、じれつた結びに半纏はんてんひっかけたるあり、しぼり浴衣ゆかたを着たるあり
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)