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前髮
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まへがみ
裾野の
煙長く
靡き、
小松原の
靄廣く
流れて、
夕暮の
幕更に
富士山に
開く
時、
其の
白妙を
仰ぐなる
前髮清き
夫人あり。
肘を
輕く
窓に
凭る。
前髮を
切り
下て
可愛く
之も
人形のやうに
順しくして
居る
廣庭では六十
以上の
而も
何れも
達者らしい
婆さんが三
人立て
居て
其一人の
赤兒を
脊負て
腰を
曲げ
居るのが
何事か
婆さん
聲を
齒かけの、
嫌やな
奴め、
這入つて
來たら
散々と
窘めてやる
物を、
歸つたは
惜しい
事をした、どれ
下駄をお
貸し、
一寸見てやる、とて
正太に
代つて
顏を
出せば
軒の
雨だれ
前髮に
落ちて
顏を
入違ひに、
肩に
前髮を
伏せた
方は、
此方向きに、やゝ
俯向くやうに
紫の
袖で
蔽ふ、がつくりとしたれば、
陰に
成つて、
髮の
形は
認められず。
あれ
彼の
聲を
此町には
聞かせぬが
憎くしと
筆やの
女房舌うちして
言へば、
店先に
腰をかけて
往來を
眺めし
湯がへりの
美登利、はらりと
下る
前髮の
毛を
黄楊の
鬂櫛にちやつと
掻きあげて
高島田の
前髮に
冷き
刃あり、
窓を
貫くは
簾なす
氷柱にこそ。カチリと
音して
折つて
透かしぬ。
人のもし
窺はば、いと
切めて
血を
迸らす
匕首とや
驚かん。
新婦は
唇に
含みて
微笑みぬ。
美登利は
更に
答へも
無く
押ゆる
袖にしのび
音の
涙、まだ
結ひこめぬ
前髮の
毛の
濡れて
見ゆるも
子細ありとはしるけれど、
子供心に
正太は
何と
慰めの
言葉も
出ず
唯ひたすらに
困り
入るばかり
引添つて、
手拭を
吉原かぶりで、
艷な
蹴出しの
褄端折をした、
前髮のかゝり、
鬢のおくれ
毛、
明眸皓齒の
婦人がある。しつかりした、さかり
場の
女中らしいのが、もう
一人後についてゐる。