颯々さっさつ)” の例文
私は首を上げて空を仰いだ。が、鬱蒼うっそうとした松の枝にさえぎられて空は少しも見えない。頭の上では例の松風の音が颯々さっさつと聞えている。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
断層をなした激流の見渡すかぎりは、白波天にみなぎり奔濤ほんとう渓潭けいたんを噛み、岸に立つや否、馬いななき衣は颯々さっさつの霧に濡れた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
再びかえって来はしないぞ、今日こそ心地こころもちだとひとり心で喜び、後向うしろむつばきして颯々さっさつ足早あしばやにかけ出したのは今でも覚えて居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
歌は残って、関の址と云う程の址はなく、松風まつかぜばかり颯々さっさつぎんじて居る。人の世の千年は実に造作ぞうさもなく過ぎて了う。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
水は漫々としてらんたたえ、まばゆき日のかげもここの森にはささで、水面をわたる風寒く、颯々さっさつとして声あり。おじはここに来てソとわれをおろしつ。
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
乳色の涼しいしぶきを蹴って、この古びた酒荷船は、颯々さっさつと風を切って走っている。月もまだうすく光っていた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
万里の海風が颯々さっさつとして、ここに立っていても怒濤どとう飛沫しぶきでからだから、しずくが滴り落ちそうな気がします。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
そして頭上には灰色の雲が颯々さっさつたる高い音をたてて、永久に西の方へと走り、ついには地平線の燃ゆる壁から瀑布となって逆巻き落ちる。しかし天には少しの風もない。
その間に農科の艇はこっちの右側を三艇身ばかりのところを「あと三十本、そら!」とか何とかけ声までして颯々さっさつと行き過ぎてしまった。皆は歯噛はがみをなしてそれを見送った。
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
そのままスルスルと力柱、宙に向かって昇って行く、遅く出でたる片割れ月は、柱の頂きに引っかかり、光芒こうぼうあお利鎌とがまの如く、夜嵐颯々さっさつと吹く中に、突っ立ち上がった五右衛門の姿は
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大風たいふう颯々さっさつたる、怒濤どとう澎湃ほうはいたる、飛瀑ひばく※々かくかくたる、あるいは洪水天にとうして邑里ゆうり蕩流とうりゅうし、あるいは両軍相接して弾丸雨注うちゅうし、艨艟もうどう相交りて水雷海をかすが如き、皆雄渾ならざるはなし。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
さあ見付けたぞとは言ったが、前にりているので、迂闊うかつに近寄る者もなく、たがいに顔をみあわせていると、俄かに棺の両角から颯々さっさつという風が吹き出して、すなを激しく吹きつけて来ました。
とはいうものの、地境じざかいになっていた大きな杉並木もなくなったばかりか、そこらの人が根まで掘ってまきにしたというのです。まして軒端のきば颯々さっさつの声を立てた老松を思い浮べますと涙ぐまれます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
絢爛けんらん。堂々。颯々さっさつ
といっても、五台山五ほうの西にはまだ影淡き残月が見え、地には颯々さっさつの松原がやっと辺りを明るみかけさせて来た頃だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
通弁つうべんにはアレキサンドル・シーボルトがあるから差支さしつかえないけれども、日本文の書翰を颯々さっさつと読む人がない、と云うので英人から同行を頼まれた。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
馬のの様な狭い山の上のやゝ平凹ひらくぼになった鞍部あんぶ八幡はちまん太郎たろう弓かけの松、鞍かけの松、など云う老大ろうだいな赤松黒松が十四五本、太平洋の風に吹かれて、みどりこずえ颯々さっさつの音を立てゝ居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
暖炉だんろ瓦斯がす颯々さっさつ霜夜しもよえて、一層殷紅いんこうに、鮮麗せんれいなるものであつた。
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
胆を冷やさせる「面部斬り」——相手の生命を取るのではなく、獅子ししが群羊を駆るように、大勢の中へ飛び込んで、柄短つかみじかの片手斬り、敵の顔ばかりをあたるに任せ、颯々さっさつと切る兵法であった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
風がこずえ颯々さっさつと鳴らして、香煙がゆらいでいた。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
颯々さっさつとしたお前の火のような情熱が
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
ければ颯々さっさつの秋風ばかりいて、所々の水辺に、寒げに啼く牛の仔と、灰色の空をかすめるこうの影を時たまに仰ぐくらいなものであった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
れまで私は部屋住へやずみだからほかに出るからと云てとどけねがいらぬ、颯々さっさつ出入でいりしたが、今度は仮初かりそめにも一家の主人であるから願書を出さなければならぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
遊び好きなる事に於て村の悪太郎あくたろう等に劣るまじい彼は、畑を流るゝ濁水だくすいの音颯々さっさつとして松風の如く心耳しんじ一爽いっそうの快を先ず感じて、しり高々とからげ、下駄ばきでざぶ/\渡って見たりして
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
で、人達は口をつぐみ、湖上を颯々さっさつと進んで来る若殿のご座船を見守った。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
星ばかり、峰ばかり、颯々さっさつたる松の嵐の声ばかり。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
固き葉の颯々さっさつと吹き荒れて
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
関上遥けき一天を望むと、錦繍きんしゅう大旆たいはいやら無数の旗幟きしが、颯々さっさつとひるがえっている所に、青羅の傘蓋さんがい揺々ようようと風に従って雲か虹のように見えた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しも妻の不幸に反して夫が癩病に罹りたらば如何せん。妻は之を見棄てゝ颯々さっさつと家を去る可きや。我輩に於ては甚だ不同意なり。否な記者先生も或は不同意ならん。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
側には、一幹の巨松が、大江の風をうけて、颯々さっさつと天声の詩をかなでていた。壺酒はたちまち空になって、また一壺、また一壺と童子に運ばせた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蹌踉そうろうと、所も知らず、歩いていたかれは、ふと、違った知覚にかれた。颯々さっさつと、氷のような冷気に頭を吹きぬかれた。
このとき、呉の奇襲艦隊の真中にあった黄蓋こうがいの船は、颯々さっさつと、水煙の中を進んで来て、はや水寨の内へ突入していた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「光武帝がわが枕元に立たれて、招くかと思えば、松籟しょうらい颯々さっさつと、神亭の嶺に、虹のごとき光をいて見えなくなった」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、颯々さっさつと、鳴りゆらぐ樹々のあいだに、山桜は散って飛雪を舞わせ、空はやがて近い夏の色を湛えかけている。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冬の梢は、青空を透かして見せ、百禽ももどりの声もよく澄みとおる。淙々そうそうとどこかに小さい滝の音がするかと思えば、颯々さっさつかなでている一幹の巨松に出会う。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するとまたまた、行く手の闇の曠野に、颯々さっさつたる旗風の声と車輪の音がしてきた。仲達は驚倒して眼をみはった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
酒匂川さかわがわを越えると、並木の風にも、北条氏三代のきびしい秩序が、颯々さっさつと、威厳をもって、旅人を襲ってくる。
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊枝さかきえで、牛若の体をはらった。颯々さっさつと、白い注連しめと緑の風にはらわれて、牛若は何かしら体がぞくとした。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鬱蒼うっそうとした峰々、岩々がんがんたる山やその尾根、地形は複雑で、容易に敵の態を見とどけることができない。しかし、たちまち一つの峰で、颯々さっさつと、紅の旗がうごいた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう間にも、颯々さっさつと、秋の夕風の冷やかに、そして次第に烈しく、人々の陣羽織をふいて来た。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
颯々さっさつと墨のような松風の中に、何やら無念をのこしているような、客間のかすかにまたたいていた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
云い捨てると、列から後れた弾正は、駒をはやらせて、川瀬へ入れた。駒の脚から白い水が颯々さっさつと立って行く——。日吉は、甘黍あまきびかすを口に入れたまま、恍惚うっとりと見送っていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かんの音のあがる時は、魂を宙天へさらわれて、雲と戯れる心地がするし——と思えば、また地の声と天の響きとが和して、颯々さっさつと世の無常をかなしむ松風のかなでと変ってゆく。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かと思うと、かんは、巻き馴れたひとの手で、颯々さっさつと鳴って、もとの短い棒に返っていた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見れば、野山いちめんに、翩翻へんぽんたる黄旗、青旗、紅旗がのぞまれ、遠い岸の蔭から、二そうの快舟はやぶねが、それぞれ四、五十人の剣戟けんげきを載せて、颯々さっさつとこなたへ向って近づいてくる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といっても、浪裏白跳の張順は、颯々さっさつと水中を馳けるが如く一人泳いで先に岸へ着き。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
颯々さっさつとふく松かぜの中に身を置いて、逃げた小鳥の行方をおもっているらしかった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
颯々さっさつと、尿いばりの霧を降らしながら、沢庵は星でも数えているように天を仰いでいる。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵のびんの毛を、たもとを、はかまのすそを、潮の香のつよい風が颯々さっさつなぐって通った。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、兄の勝頼のように、豊頬美肉ほうきょうびにくの男子でなかった。長く田舎暮らしの質素に甘んじていたので、何の贅食ぜいしょく奢侈しゃしも知らない。颯々さっさつと山野の風に育って来た若鷹わかたかのようなまなざしを備えていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)