なじ)” の例文
西行が、再び瓢然として、その寒そうな姿を神護寺の門外に運び去った時、弟子たちは、かねての豪語にも似ぬ文覚の態度をなじった。
西行の眼 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
千登世は仕上の縫物に火熨斗ひのしをかける手を休めて、目顏を嶮しくして圭一郎をなじつたが、直ぐ心細さうにしをれた語氣で言葉を繼いだ。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
人々のゐる面前であるといふのに思はず色をなしてなじつたりする、さういふ告白的な飾らざる態度が特別深い人生のわけもないだらう。
枯淡の風格を排す (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
「雪ちやんは今何處にゐるの。居所ぐらゐ私に通知してゐたつていゝでせうに。」となじると、雪子は只笑つてばかりゐて答へなかつた。
孫だち (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
うごめかして世話人は御者のそびらを指もてきぬ。渠は一言いちごんを発せず、世話人はすこぶる得意なりき。美人は戯るるがごとくになじれり。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「君は何故なぜ、最後の一歩というところで追求をゆるめたのだ?」と熊城はさっそくになじり掛ったが、意外にも、法水は爆笑を上げて
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
舞台から下りて控えの座へ戻ると、師匠はすっかり取乱した様子でなじった。「……あんなにうまく行ったのに、なぜやめたのです」
鼓くらべ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
必定予の留守に不貞を行うたのだとなじり懸ると、妻夫に向い短かくとまであって、上述ごとく一度潰し使われた本故、下文が欠けて居る。
攻めなじってようよう訊いた事の仔細。それから山科の御坊に駈けつけて、お上人さまにお訴え申し、お上人さまともども急いで駈けつけたが
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
古作品はこの真理を如実に示してくれる。ある者はこうなじるかも知れぬ。民衆を指導する個人があって大衆の工藝が成り立つのであると。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
かかる中にも葉石は、時々看守の目をぬすみて、紙盤しばんにその意思を書き付け、これを妾に送り来りて妾に冷淡の挙動あるをなじるを例とせり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
彼はベッドのそばったり来たりしながら、葉子をなじった。葉子はそれについては、弁解がましいただの一言も口にしなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
老人は呼吸いきを止めた。かれはすっかり知った。人々はかれが党類を作って、組んで手帳をかえしたものとかれをなじるのであった。
糸くず (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
彼の後に生まれたクリストの一人は遠いロオマの道の上に再生したクリストに「どこへ行く?」となじられたことを伝へてゐる。
西方の人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
私は悪鬼につかれたようになって、先生を診察台の上へねじ伏せると、かの私の生れついた美しい両脚を珠子づれに譲渡したことをなじった。
大脳手術 (新字新仮名) / 海野十三(著)
漢代かんだい五物ごぶつを蔵して六漢道人ろっかんどうじんと号したので、人が一物いちぶつ足らぬではないかとなじった時、今一つは漢学だと答えたという話がある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
余事はともあれ、重病の主人を殆ど投げやりにして置くのは何事であるかと、吉次郎もおどろいて養母をなじると、彼女の返事はかうであつた。
魚妖 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
阿賀妻はなじるようにそう云った。うっかりしていると、ぬッと頭をもたげる昔の切り口上であった。厳然とにらみつけていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
東京で酒屋の小僧をしている息子が、ひょっこり行商からかえった母親をなじると、彼女は吐き出したということであった。
沼畔小話集 (新字新仮名) / 犬田卯(著)
「緑屋」で、お京から責め立てられ、「それでも男か」となじられて、右腕に降り龍を彫ることだけは、約束したのである。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
それなのに、五十銭銀貨ひとつとは、なんだというふうになじった。女というものはそういったらば、まけずに五円だすとでも思っている様子なので
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
如何にも他人の不都合をなじるような口調くちょうで、原田と私をめつけながら、自分の企てた計畫を堂々と攻撃した揚句、とうとう滅茶苦茶にして了った。
The Affair of Two Watches (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
閣下は、奇妙な一夜の出来事を逐一妻に語り聞かせて率直に返事を聞き取り、疑いを晴らそうとしなかった私の不注意をなじられる事で有りましょう。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
いなしからず神の知力は無限なり、ゆえに拷問を用いずして人に罪あるかなきかを知る、しかるに我れにのみ拷問を用うるは何ぞ」となじったのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ここに至りて人その言の応を知りぬ。燕王今はていたり、宮人内侍ないじなじりて、建文帝の所在を問いたもうに、皆皇后の死したまえるところを指してこたう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
敵も味方もふなばたをたたいて賞賛したこのいさおしを聞き、泣くとはその意を得ぬとなじったとき、某は暗然として答えて言った。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
少しつかりしてゐるものなら、たとへ口へ出して詰責しないまでも、態度でなじれば大抵逃げて行くものなのです。
内気な娘とお転婆娘 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
そして、「首領キャプテン」の資格で止れと命じた自分の仲間の商人に正体を見破られてなじられると、勇ましくその男の頭を射貫いぬいて馬を飛ばして逃げ去った。
それを問題にしないのはオランダの中立侵犯の証拠であるとなじり、フェルスター課長に聞いて来るように要求した。
戦争史大観 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
如何いかに答へんとさへ惑へるに、かたはらには貫一の益なじらんと待つよと思へば、身はしぼらるるやうに迫来せまりくる息のひまを、得もはれずひややかなる汗の流れ流れぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「うむ。志! 借金の証書を買ひ蒐めるのに、志があるのか。ハヽヽヽヽヽヽ。」父は、頭から嘲るやうになじつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
姿は見えないがひどくなじられながら、頬桁ほおげたでも二つ三つ張り飛ばされているらしい。間もなく許されて出るや、彼は息せき切って飛んで来ながら叫んだ。
親方コブセ (新字新仮名) / 金史良(著)
私は顔一杯に弱々しい微笑をたたへて、なじられでもしたやうな、兄の強い口調をはぐらかしてしまはうと思つてゐた。
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
母は、いつもこう云って、凱旋してからこのかた、まえよりかえって、頭脳あたまがボンヤリしたような父になじりかけた。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
また、いつぞやのように夜半よなかまでかかるのか。家臣は誰をつれて行くのか。——際限もなく訊きなじるのであった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わざわざ慎九郎のうしろへきて、そのそでをひいてなじった、その顔つきはあおさが先ほどよりはよほど濃くなっていた。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
いささか事志と違ったと見えて、勿論、真槍は同じ構えにつけたままだったが、老神官少々たじたじとなりながら鋭く言いなじったのを、落付いたものです。
先づ目に觸れたものから、溯つて朝日の記事一讀の後は、それにも一文を草して送りなじらうと思つたのである。
監督に対してあらゆる質問を発しながら、帳簿の不備をなじって、自分で紙を取りあげて計算しなおしたりした。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
事は五雑組ござつそしるして枯骸こがい確論かくろんあれども、釈氏しやくしなじるにたるせつなればこゝにぜいせず。(○高僧伝に義存が㕝ありしかと覚しが、さのみはとて詳究せず。)
... くに及ばぬじゃないか」となじりますと「あなたはよく御承知ですな。実はこういう間道があってそこを通って来ました。その道はあまり人の通らない所です」
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
さて大寺は、道子が心を友田に移したのをかねて怒っていたが、それをなじったのに対して素気なくはねつけられたために殺意を生じたのだという事になって居ります。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
なじったとて聞き入れるような彼ではなかったし、私としても説法するほどの自信を持っていなかった。
物を大切にする心 (新字新仮名) / 種田山頭火(著)
さる頃も或人のたわむれにわれを捉へてなじりたまひけるは今の世に小説家といふものほど仕合しあわせなるはなし。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そこで十余人の川中島の百姓たちは、周章者を小突き廻して、こもごも百姓のいわれをなじりはじめる。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かの男は膝の上で拳骨を堅め、少し前へのしかかるようにして、なじるような口吻で後をつづけた。
誤診 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
するとラケルがリエーに息子のマンドレークをれといふ。リエーは、「私の夫を奪つた上にまた息子をも奪ふ気か」となじると、「その代り今夜は夫を帰さう」といふ。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
その者共に、こうした違法の断罪手続きをなじり、それから、わしらの心事を、知らせたいのだ。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
お政はじろりとその様子をみて、何を思ッてか、高く笑ッたばかりで、再び娘をなじらなかッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
五、六日ったのち、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私をなじるのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)