空洞うつろ)” の例文
空洞うつろな部屋々々に立ち籠めた重い澱みは人の生気とそぐはない廃墟のやうな過去の死臭に満ちてゐて、睡むる気持にはなれなかつた。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
そのまぼろしの影がだんだんに薄れてゆくと共に、かれの魂もだんだんに消えて、自分のからだが空洞うつろになってゆくかとも思われた。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私は茫然として少時の間は無意識状態に陥ってしまって悲しくもなく、恐怖もなく、まるで空洞うつろの心で目の前の死体を眺めていました。
消えた霊媒女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
そこにうや/\しくかしてある死体の、品のよい、肌理きめの細かい、のっぺりした顔を想像し、さてその顔の空洞うつろになった中央部を想像すると
ハタハタハタハタと羽搏はばたきしながら森の隙間を翔け廻わっていたが、またスーッと帰って来たかと思うと空洞うつろの中へ隠れ去った。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
が、その鐘は今や深い、鈍い、空洞うつろな、陰鬱な一時を打った。たちまち室中に光が閃き渡って、寝床の帷幄カーテンが引き捲くられた。
と涙も忘れて、胸も、空洞うつろに、ぽかんとして、首を真直まっすぐえながら潟のふなわんさまして、はしをきちんと、膝に手を置いたさま可哀あわれである。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かくてそこより力をこめて引きたれば、扉は破れ、割れ、微塵みじんに砕けて、乾きたる空洞うつろに響く音は、森もとどろにこだませり
爺さんは空洞うつろのやうな眼をして、じつと考へ込んでゐたが、ふといゝ事を思ひついたので急に顔ぢゆうが明るくなつた。
この日光を受けた緑の森がところどころで両方へ分れて、その間から日もささない空洞うつろが、まるで暗い落し穴のように、ぽっかり口をあけている。
空洞うつろで苔が生えた林檎の木に兎の噛み痕が見られ、どんな種類の隣人をわたしがもつことになるかを示していること。
葉子は今起きたばかりの庸三の傍へ来て、空洞うつろな笑い声を立てたが、悄然しょんぼり卓子テイブル頬肱ほおひじをついている姿も哀れにみえた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
『かしこまりました』と椋鳥は、二人の姉妹に白い布で目隠しをして、おほきな椋の木の空洞うつろの前へつれてゆきました。
仲のわるい姉妹 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
彼は自分の耳が空洞うつろになつたのをぼんやり感じながら、何物かを待ち続けた。だがつひに明子の巧みに包まれた心は皮膚面にあらはれては来なかつた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
がそれよりも私が驚いたことには、彼の眼は急に曇りが晴れたようになって、底深い空洞うつろを示してきた。そして薄い唇にはなおしまりがなくなってきた。
林檎 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
もたれも肘掛けも、非常に部厚に出来ていて、その内部には、人間一人が隠れていても、決して外から分らない程の、共通した、大きな空洞うつろがあるのです。
人間椅子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
わらに火をけて蜂の巣を燒かうとすると、火はたちま空洞うつろの枯れ果てた部分に移つて、ゴウ/\と盛んに燃え出し、村人が大勢で、火消し道具を持つたり
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞うつろな最後の日に。
田舎の時計他十二篇 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
皆はびっくりして、近づいて行くと、くだんの喚声は、何という事だろう! 退却する負傷兵の泣き声であった。空洞うつろのような大の男たちの泣き声であった。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
竹の稈には節がある上に中が空洞うつろで筒になっています。それゆえ風に抵抗してもとても強く容易に折れません。アノ雪の竹を見てもそれが分りましょう。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
隣近所でおろす槌の響は、狭い空洞うつろの中に籠り切って、丁度鳴りはためいて居る大鐘に頭を突っ込んだ通りだ。
かんかん虫 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
涙に薫蒸くんじやうして、青い顏が頬のあたりだけポーツと赤くなり、大きい眼が、空洞うつろに平次を見上げるのも哀れです。
ただ土掘どほの中がぽかんと少しばかり空洞うつろになっているばかりで、そこから地上に向って直径一寸ばかりの穴がひょろひょろと抜け通っているきりだったのです。
(新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
金製の紡錘つむでつついて怒らせ噛ましたといひ、第三の説によると空洞うつろになつたかんざしの中に毒を入れて常に髪に挿して居て、其の毒を仰いで死んだといふのである。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
しまいには畠山はたけやま城址しろあとからあけびと云うものを取って来てへいはさんだ。それは色のめた茄子なすの色をしていた。そうしてその一つを鳥がつついて空洞うつろにしていた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
空洞うつろのような橋廊下——、口を開くと一緒にその奥から、ムーッとするばかりな熱風がおもてってきた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、忽然頬肉ほおが落ちて、眼窩は空洞うつろとなって、——薄い霧のようなものがふんわりとその顔を押し包んだ……と思うと、それはやはり一個の骸骨に過ぎないのであった。
誰? (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
「いや、何うも気の毒なこってしてね、SとMと二人のいもとを連れて上京したんですが、Sの方は左右の肺とも、空洞うつろになっていたそうで、コロリと死でしまいましたよ……」
友人一家の死 (新字新仮名) / 松崎天民(著)
……胸の空洞うつろの中へ潮がさしてくるような。……闇が魂を包み込んでしまうような、この、淋しい不安な感じ。……子供のときから、いくど悩まされたことだったでしょう。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「タルチュフと紛失した薬物室の鍵か……」法水は空洞うつろな声でつぶやいたが、熊城をかえりみて、「このさらふだの意味はどうでも、だいたい犯人の芝居気たっぷりなところはどうだ?」
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
魂消たまげなさるな西洋日本で。天の際涯はてから地のドン底まで。調べ抜いたる科学者連中が。寄ってたかって研究しても。カンジンカナメの一番大切だいじな。オノレが頭蓋あたま空洞うつろの中に。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
組み合せた二本の痩せた手が前額を支へて、顏の下部に黒い面紗ヴエイルをかけ、骨のやうに白く、全く血の氣のない額と、絶望に曇つた無表情な眼、空洞うつろな動かない片眼のみが見える。
ゆめかな‥‥とおもふと、空洞うつろたたくやうな兵士達へいしたちにぶ靴音くつおとみみいた。——あるいてるんだな‥‥とおもふと、何時いつにからないをんなわらがほまへにはつきりえたりした。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
赤い羽二重の寛衣シャツをつけた人形は、わざとらしい桃色の唇に永劫変らない微笑を泛べ、両手をさし延して何かをき迎えようとしながら、凝っと暗い空洞うつろの眼を前方に瞠っているのだ。
或る日 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
夜の冷気とともに身にみて感じながら、重ねてくわしいことを訊こうとする気力も抜けてしまい、胸の中が空洞うつろになったような心持で、足の踏み度も覚えず、そのまま喪然そうぜんとして電車に乗り
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
その張りきった焦躁しょうそうで、舞台の方に向けている眼は空洞うつろになろうとする。
間諜座事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「もうよし給え」と云った小川の声は、小さく、異様に空洞うつろに響いた。
鼠坂 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
最後の、悪い、空洞うつろな刹那を取り留めて置こうと思った。11590
ふえなかは、ただ一ぽん空洞うつろたけにしかすぎませんでした。
赤い船のお客 (新字新仮名) / 小川未明(著)
天地あめつちを鳴らせど風のおほいなる空洞うつろなる声淋しからずや
かろきねたみ (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
星の砂もて満されたるひろき空洞うつろの空をうごきゆく
魚と蠅の祝日 (新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
わが世は空洞うつろの実なし小貝
『二十五絃』を読む (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
周囲一丈もありましょうか、そんなにも太い杉の木があり、その根が空洞うつろになっていましたが、それが集会所の入口なのです。
たとえば「大きく空洞うつろになっているへそは美しいものとされているばかりでなく、幼児にあってはすこやかに生い立つしるしであると思われている」
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
大蛇だいじゃあぎといたような、真紅まっかな土の空洞うつろの中に、づほらとした黒いかたまりが見えたのを、くわの先で掻出かきだして見ると——かめで。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と二人の姉妹に、また白い布の目隠しをして、元来た暗い空洞うつろの一本道を山の神様のところへつれて戻りました。
仲のわるい姉妹 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
忽ちグッタリ仰向けに寝倒れたまま空洞うつろまなこを閉ぢもしないで、次から次、次から次へと取り止めもない物のすがたを額へ運んだ、全く何等の意識もなしに。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信ぜしめよ。私の空洞うつろな最後の日に。
宿命 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
樹の空洞うつろはどんなものだろうか。それから朝の訪問や晩餐会! キツツキがたたくばかりだ。ほんとにかれらは群がりすぎる。太陽はあそこでは暑すぎる。
何遍か危ない目にも逢わせた女房ですが、急にいなくなると妙に身辺が空洞うつろになったような心持です。