矢庭やにわ)” の例文
礼子が立ちあがって頬をしかめそうになると、啓吉は、矢庭やにわにその五銭白銅を拾って、がらがらと格子を開けて戸外へ出て行った。
泣虫小僧 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
はッと驚くと同時に、彼は幸いに這っていたので、矢庭やにわに敵の片足を取って引いて、倒れる所を乗掛のりかかっての胸の上に片膝突いた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
果然かぜん、列車が興安駅にくか著かないうちに、早くも警備軍の一隊がドヤドヤと車内に乱入すると、矢庭やにわに全員の自由を拘束こうそくしてしまった。
キド効果 (新字新仮名) / 海野十三(著)
直視するとこちらが石に化してしまふから、盾の鏡に映る像を目標として近づき、矢庭やにわに剣を抜いて切り附くるとメヂューサの首は宙に飛んだ。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
身体は全然隙だらけだし、足を踏まれると矢庭やにわに牙をむいたやうな顔をして怒つたりするけれども、あれは心ある人間の為すべき顔付ではない。
総理大臣が貰つた手紙の話 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
すると、島吉は矢庭やにわに鋭い眼をして女の子をにらみ込んだ。その眼は孤独で専制的な酋長しゅうちょうの眼のように淋しく光っていた。
酋長 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ふらふら立ち上って、雨戸に近寄り、矢庭やにわにその手を、私の両手でひたと包み、しかも、心をこめて握りしめちゃった。
春の盗賊 (新字新仮名) / 太宰治(著)
誰もいない日中を狙って、そっと忍び込んで談判と見せかけ、矢庭やにわに沢屋を突き殺し、血だらけの匕首を拭いた手拭を日本橋の川の中へ捨てたのだ。
矢庭やにわにその席を立った米友は、また屏風のところへ行って覗いて見ました。さきには右枕になっていた竜之助が、今度は左枕になって寝ていました。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
町角を曲った所に、待ち構えていた一台の自動車、怪物の姿がその中へ消えたかと思うと、車は矢庭やにわに走り出した。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
井桁格子いげたごうしの浴衣に鬱金木綿うこんもめんの手拭で頬冠ほおかむり。片袖で顔を蔽って象のそばから走り出そうとすると、人気ひとけのないはずの松の根方ねかたから矢庭やにわに駈け出した一人。
「ちょっとちょっと。」とあいだを頭を下げて、手を戴くように、前の車へ切符拝見と出かけそうに、行きかける、それをタゴールさんが、矢庭やにわに引っ捉えると
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
彼は不思議そうに大きな眼をあいて、しばらく部屋の中をじろじろ見回していましたが、やがて、金庫が眼にとまると、矢庭やにわにその方へ手をのばそうとしました。
祭の夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
矢庭やにわに、穴の入口に顔を出した。大物です。四十貫もある巨熊です。私は、熊の額へ銃口を押しつけるようにして、引金を引いた。ところが、不運にも不発なのです。
熊狩名人 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
ぐいっと向き直ったが、おせきのぎらぎらする両眼につかると、浩平は矢庭やにわにそっぽを向いた。
(新字新仮名) / 犬田卯(著)
「まだ雑言ぞうごんをやめ居らぬか。」と、恐ろしい権幕けんまくで罵りながら、矢庭やにわ沙門しゃもんへとびかかりました。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
武村兵曹たけむらへいそう、おまへ鬼神きじんゆうがあればとて、あの澤山たくさん猛獸まうじうたゝかつてなにになる。』と矢庭やにわかれ肩先かたさきつかんでうしろ引戻ひきもどした。此時このとき猛犬稻妻まうけんいなづまは、一聲いつせいするどうなつて立上たちあがつた。
私は、彼に、その人形によって、自分の手の不器用さを徹底的に知らせようとしたのであったが、彼は意識を取戻すと、矢庭やにわにその人形の首をさらって逃出したのであった。
青年技師は、冷酷無情にも、そう命じると、数名の男は、矢庭やにわに僕の肩や、手をとった。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
翅音はおとをたてて舞っている眼の先のあぶを眺めていたが、不図其奴が鼻の先に止まろうとすると、この永遠の木馬は、矢庭やにわに怖ろしい胴震いを挙げて後の二脚をもって激しく地面を蹴り
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
慶三は矢庭やにわに掛蒲団を剥ぎのけた後、眼を皿のようにして白い敷布シイツの上から何物かを捜し出そうとするらしくやや暫く瞳子ひとみを据えた後、しきりに鼻を摺付すりつけて物のにおいでもかぐような挙動をした。
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二階をにらめあげて、苛々いらいらと目をながら、思いかえし、思い直しては、また、歯を喰いしばっていたが、矢庭やにわに腰の小刀しょうとうを抜いて、平七の手に押しつけると、うめくような声で新兵衛が言った。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
乗物町のりものちょうの師匠として聞えている笛の名人豊住又七とよずみまたしちが、用達しの帰り、自宅の近くまで差しかかった時、手拭いで顔を包んだ屈強な男が一人矢庭やにわに陰から飛び出して来て、物をもいわずに又七を
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
古島さんが呆然ぼうぜんとしてその姿を見守つてゐると、とつぜん足もとまでふやうに寄つて来てゐた姉さまが、矢庭やにわに片手で古島さんの二の腕をつかみ、のこる手を背の低い古島さんのあごへかけて
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
矢庭やにわに何らの理由も必然性もなくくっつけ、変化と色彩とで読者を釣り歩いて行く感傷を用いるのであるが、しかし、何といっても、ここには自己身辺の経験事実をのみ書きつらねることはなく
純粋小説論 (新字新仮名) / 横光利一(著)
とある汚い酒店さかみせで流れの女を相手にして飲み酔っている一人の荒くれ男がいたが、丁度その時その店先を通りかかった呉羽之介をゆびさして傍の女が何やらささやくやいなや、矢庭やにわに血相変えて、店を飛出し
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
蝙蝠かわほりのような怪しい鳥が飛んで来て、蝋燭の火をあやうく消そうとしたのを、重太郎は矢庭やにわ引握ひっつかんで足下あしもとの岩に叩き付けた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そうして、えへへ、と実に卑しいお追従ついしょう笑いをしたようです。本当に、仕事の邪魔どころか、私は目がくらんで矢庭やにわ倒立さかだちでもしたい気持でした。
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。
盗まれた手紙の話 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
池上はこれ等を言い終ると、矢庭やにわにわたくしの手を取り、肘からの震えをわたくしの手首に伝えながら言いました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
するとお花、いきなりワッと泣き伏しでもするかと思いきや、どうしてどうして、宗三があっけに取られた事には矢庭やにわにクツクツと笑い出したのである。
接吻 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
矢庭やにわに平次の身体を横抱きにしたガラッ八、有無を言わせず、真っ裸のまま、猛然と焔の中に突進したのです。
旦那様が目に入れても痛くないはずのギンヤまで、矢庭やにわに退場を命ぜられるとは、このとき旦那様の胸に往来するよほどの不安があったものらしい。その不安とは?
什器破壊業事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
セーニャが今度は後ろから、姉さんの首ったまにかじりつくと、矢庭やにわにその左の頬を持って行った。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
見物人は蜘蛛の子を散らすように逃げだして、このまま捨て置けば幾人人間があやめられるか分からぬ危急の状景を示してきたので、小文吾は矢庭やにわに闘牛場へ飛び下りた。
越後の闘牛 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
神尾主膳の眼にキラキラと黄色い色が見えたかと思うと、矢庭やにわにその突いていた槍を取り直し
こう思うと巡査は、こいつ怪しい曲者とばかり、矢庭やにわに、その男におどりかかりました。
新案探偵法 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
文彦は矢庭やにわにライフル銃を取り上げて、装填しつつ立ち上り、東助をさし招いた。
月世界競争探検 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
盗人たちはそれには目もくれる気色けしきもなく、矢庭やにわに一人が牛のはづなを取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白刃しらはの垣を造って、犇々ひしひしとそのまわりを取り囲みますと
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
きくや矢庭やにわに立ち上ると、敢然として言った。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
「生意気言うな!」末席の小柄こがらの俳優、伊勢良一いせりょういちらしい人が、矢庭やにわに怒鳴った。「君は僕たちを軽蔑けいべつしに来たのか?」
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「アア」娘は本当にびっくりしたらしく、サッと青ざめて、矢庭やにわに服のうしろの方から、小型のピストルを取出したかと思うと、震える手に彼を狙った。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
キクが庭内を逍遥の折、矢庭やにわに躍りかかった甚吉に首をしめられ手ゴメにされて身ごもったのでございます。
熱いのと痛いのとで眼がくらんだ重蔵は、衣兜かくしから把出とりだした洋刃ないふを閃かして、矢庭やにわに敵の咽喉のど一抉ひとえぐりにした。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
このときの男乞食の周章あわてて方はありませんでした。矢庭やにわに女乞食をしょぴいて一目散に遁げ出しました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
春松を放り出したガラッ八は、矢庭やにわに馬吉に組付くと、その胸倉を取ってねじ倒しました。
愕くどころか、博士は、矢庭やにわに手をのばして、その大蜘蛛の胴中どうなかをつかんだものである。
そのとき大原は矢庭やにわに立ち上って、いやなにおいのするものをがせました。
謎の咬傷 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ものかずにもらぬ海獸かいじうなれど、あれを敵國てきこく艦隊かんたいたとふれば如何いかにと、電光艇でんくわうてい矢庭やにわ三尖衝角さんせんしようかく運轉うんてんして、疾風しつぷう電雷でんらいごと突進とつしんすれば、あはれ、うみわうなる巨鯨きよげい五頭ごとう七頭しちとう微塵みぢんとなつて
宇治山田の米友が、矢庭やにわに飛び上ったのもそれと同時刻。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)