囚獄方の役人に囲まれて、上村良平が関屋口の畷の松林までやって来た。追放者の多いばあいは、各人べつべつに放すのが通例である。
鈴ヶ森の畷ももう半分ほど行き過ぎたと思うころに、老婆はつまずいて、よろけて、包みを抱えたままばったりと倒れた。
“畷(畦)”の解説
畦(あぜ)は、稲作農業において、水田と水田の境に水田の中の泥土を盛って、水が外に漏れないようにしたものである。畦は、水田の区画を成すと同時に、泥土のきめ細かさによって水漏れを防ぐ方法でもある。畦畔(けいはん)や泥畦とも言われ、稲作の工程には、水を張る前に毎年修理を行う「畦作り」または「畦塗り」があり、「畦塗り機」も使われる。水田を回る際の道としての役割も持っているもののことを、畦道(あぜみち)、畷(なわて、縄手とも)という。
(出典:Wikipedia)
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