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たとひ遠郷ゑんきやうむこよめにゆきて年をても鳥をしよくすれば必凶応あしきことあり、灵験れいげん煕々あきらかたる事此一を以て知るべし。されば遠郷ゑんきやう近邑きんいう信仰しんかうの人多し。
都会の西、南部、赤坂と芝とを住みる数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。
蔦の門 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
わたくしは蘭軒が慮氏孫氏等の本を取つて講じたとは信じ難いがために、推理の階級をて此断案に到著したのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
た物で鼻さきに白毛生じ、背には小木生じて花の白く咲けるよりこの名を負いしという。猪の類はすべて澗泥かんでいを以てその背を冷やす。これをニタという。
源平時代の見聞を語ること、親しくこれをた者の通りであった故に、小野はただちに海尊なることを看破し、いて兵法を学び、またうやうやしく延年益寿の術をたずねた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
十月さく。舟廻槻木ヲテ岩沼ノ駅ニ飯ス。名取川駅ノ東ヲめぐツテ海ニ入ル。晡時ほじ仙台ニ投ズ。列肆れっし卑陋ひろう。富商大估たいこヲ見ズ。独芭蕉ばしょうノ屋宇巍然ぎぜんトシテ対列スルノミ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
豊島村の方より渡りて行く事僅少わずかにして荒川堤に出づ。堤は即ち花の盛りの眺望ながめ好き向島堤の続きにして、千住駅をてこゝに至り、なほ遠く川上の北側に連なるものなり。
水の東京 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
更に日をると、皮膚は薄膜のやうに透きとおりはじめた。学校の実験室で見たまゆの透きとおりを思はせた。明子はねばねばした幼児の四肢がそこに透いて見えるのを想像した。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
余此ノ路ヲテ此ノ事ヲ見ルごといまかつこれガタメニ長大息セザルナシ矣といっている。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
驚き悲しむ人々を前に置いて、丑松は実地自分がて来た旅の出来事を語り聞かせた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
然れども一たび田口君の手をれば新しき物となりて出で来るなり。ミダスは其杖に触るゝすべての物を金にしたりき。田口君は其眼に触るゝ物を以て、たゞちに自家薬籠の中の材となす。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
北はちょうえんしんから、西は※岐ぶんきまで足を延ばした。商於しょうおて洛陽に至った。南は淮泗わいしから会稽かいけいに入り、時に魯中ろちゅうに家を持ったりした。斉や魯の間を往来した。梁宋には永く滞在した。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
昨日きのう御身に聞きたきことありといひしが、余の事ならず」ト、いひさしてかたちをあらため、「それがし幾歳いくとせ劫量こうろうて、やや神通を得てしかば、おのずから獣の相を見ることを覚えて、とおひとつあやまりなし。 ...
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
年月をるとともにただ進歩するのほかはなかったであろう。
我らの哲学 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
こうても滅びはすまい。
たとひ遠郷ゑんきやうむこよめにゆきて年をても鳥をしよくすれば必凶応あしきことあり、灵験れいげん煕々あきらかたる事此一を以て知るべし。されば遠郷ゑんきやう近邑きんいう信仰しんかうの人多し。
すべて一国民一種族の習俗や信念は人類初めて生じてより年代紀すべからざる永歳月を種々無限の遭際をて重畳千万して成った物だから、この事の原因はこれ
成はかくの如き人なり。旗を見るや、愴然そうぜんとして之をそうとし、涙下りて曰く、臣わかきより軍に従いて今老いたり、戦陣をたること多きも、いまかつかくの如きを見ざるなりと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
吏ノハク少将ハ八月十日ヲ以テ陸後ニ赴キ今盛岡ニアリト。故ヲ以テ果サズ。刈田、宮、金瀬ヲテ大河原ノ駅ニ宿ス。岡千仞おかせんじん突然謁ヲ通ズ。千仞ハ仙台藩ノ書生ニシテ文章ヲ善クス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼女のて来た苦渋な疲労感が、まだ肉体の一隅に残つてゐて、それが彼女を賢く昂奮こうふんから遠ざからせてゐるやうだつた。明子の失はれない平静のなかで情感の炎がゆるやかに燃えつづけてゐた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
○かくて産後さんご日をてのち、連日れんじつの雪も降止ふりやみ天気おだやかなる日、よめをつとにむかひ、今日けふ親里おやざとゆかんとおもふ、いかにやせんといふ。
古戦場を弔うような感想を生じてその一軒に入り、中食ちゅうじきを求め数多き一間に入って食いながら床間とこのまを見ると、鉄砂で黒く塗りいる。他の諸室をめぐるに皆同様なり。
応仁、文明、長享、延徳をて、今は明応の二年十二月の初である。此頃はかみは大将軍や管領から、しもは庶民に至るまで、哀れな鳥や獣となったものが何程どれほど有ったことだったろう。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
駅吏あらかじメ亭ヲはらツテ待ツ。すなわチ酒ヲ命ジテ飲ンデ別ル。(児精一郎ハ藩命ヲ以テ東京ニ留学ス)過午草加そうか駅ニ飯ス。越ヶ谷こしがや大沢ヲ粕壁かすかべノ駅ニ投ズ。諸僚佐皆来ツテ起居ヲうかがフ。晩間雲意黯淡あんたんタリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
右の字鏡じきやうありてのち二十年をて、源の順朝臣したがふあそんの作りたる和名類聚抄わみやうるゐじゆせうありき、是も字書じしよ也。元和の年間ころ那波道円なばだうゑん先生はじめて板本とせられたり。
広き都に置きかね漂泊ただよいあるきの渡り大工、段々と美濃路みのじ信濃しなのきたり、折しも須原すはらの長者何がしの隠居所作る手伝い柱を削れ羽目板をつけろと棟梁とうりょう差図さしずには従えど、墨縄すみなわすぐなにはならわぬ横道おうどう
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
○さて御若年より数階すかい給ひて後、寛平くわんびやう九年御年五十三権大納言右□将をかねらる。此時時平しへい大納言ににんぜられ左□将を兼、 菅神と並び立て執政しつせいたり。
十七日、朝早く起き出でたるに足いたみて立つことかなわず、心を決して車に乗じてせたり。郡山こおりやま好地こうち、花巻、黒沢尻くろさわじり、金が崎、水沢、前沢をてようやく一ノ関に着す。この日行程二十四里なり。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
余与よと京水と同行どうかう十人小千谷をはなれて西の方●新保しんほ村●薮川新田やぶかはしんでんなどいふ村々を一宮いちのみやといふ村にいたる、山間やまあひ篆畦あぜみち曲節まがり/\こゝいた行程みちのり一里半ばかりなり。