揺曳ようえい)” の例文
旧字:搖曳
色の複雑な隈取くまどりがあって、少し離れて見ると何色ともはっきり分らないで色彩の揺曳ようえいとでも云ったようなものを感じる花とがある。
雑記帳より(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
視線の向う所は黒部川の上流を取り巻いて、天半に揺曳ようえいする青嵐の中にさっと頭をもたげた、今にも動き出すかと想われる大山岳である。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
霧のふかい朝で、岩根山の斜面は濃い乳色の幕に掩われていたが、揺曳ようえいする霧のあいだからときおり燃えるような紅葉が鮮かに見えた。
契りきぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
埠頭ふとうにもやった四五はいの船も足をたかく見せていた。荷をおろして一呼吸いれている姿であった。荷役の掛声も揺曳ようえいしていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
彼はその刹那せつな、女の長い睫毛まつげうしろに、彼の経験を超越した、得体の知れない一種の感情が揺曳ようえいしているような心もちがした。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
……彼は本を一冊、膝に載せているが、しかし一行も読んではいなかった。深い忘却、時空を超えた無碍むげ揺曳ようえいを、享楽しているのであった。
にぎやかに入って来た客は印度インド婦人服独特の優雅で繚乱りょうらんな衣裳を頭からかぶり、裳裾もすそを長く揺曳ようえいした一団の印度婦人だった。
ガルスワーシーの家 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
白雲の揺曳ようえいする青空に何か一点の黒いものを認めて、それを凝視している間に、みるみるその一点が拡大されて、それは鵬翼ほうよくをひろげた大きな鳥
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その揺曳ようえいを鏡ノ夫人は姉の目ざとさで素早くとらへ、その後も注意をおこたらずに自分の観察の正しさを折にふれて確かめ確かめて来はしたものの
鸚鵡:『白鳳』第二部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
今一つは、これは想像であるが、長尾夫人の御主人が、現職の判事であったことも、この事件のかげに揺曳ようえいしているある種の雰囲気を思わすのである。
千里眼その他 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
そこには西行の思いあまる詠歎は影をひそめ、なにか優雅なきぬずれの音を思い、洗煉をかさねた気品の揺曳ようえいに身をつつむ宮廷の女性を思うのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
………それが今迄見えなかったのは、草が丈高く伸びていたのと、その間から飛び立つ蛍が、上の方へ舞い上らずに、水を慕って低く揺曳ようえいするせいであった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そして、ゆらゆらと揺曳ようえいする、とさらにまた一団が湧いて出る……まったくそれに、ちがいはなかった。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
以前にうるさいと感じたあの線条的な背光も、今日は薄明はくめいのうちに揺曳ようえいする神秘の光のように感ぜられ、言い現わし難い微妙な調和をもって本尊を生かしていた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
人間を見損みそくなったのは、自分でなくて、かえってお延なのだという断定が、時機を待って外部に揺曳ようえいするために、彼の心に下層にいつも沈澱ちんでんしているらしかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして、腕白小僧がじだんだを踏む恰好で、二本の足が中有ちゅううにもがき、やがて、白い足の裏丈けが、頭上遙かに揺曳ようえいして、遂に裸女の姿は眼界を去って了ったのです。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
見遍みわたせば両行の門飾かどかざりは一様に枝葉の末広く寿山じゆざんみどりかはし、十町じつちよう軒端のきばに続く注連繩しめなはは、福海ふくかいかすみ揺曳ようえいして、繁華を添ふる春待つ景色は、うたり行くとしこんおどろかす。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
すると、娘が竿を水に突き出してから僅かに二、三分をへたとき、目印の揺曳ようえいに異状を認めた。
(新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
ただ、しらじらとして残光を海ぜんたいに反映する空の下を、コング・ホウコン号の吐く煙りがながく揺曳ようえいして、水を裂いたあとが一本、雪道のようにはるかに光っている。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
時に、露、時雨、霜と乾いて、日は晴れながらひさしの影、自然おのずからなる冬がまえ。朝虹の色寒かりしより以来このかた、狂いと、乱れと咲きかさなり、黄白の輪揺曳ようえいして、小路の空は菊の薄雲。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
庭の砂の上にすれすれに、雲は揺曳ようえいして、そこにありありと半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂いやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
美くしい月光の揺曳ようえいのうちにも、光輝燦然たる太陽のうち、または木や草や、一本の苔にまでも宿っている彼女の守霊は、あらゆる時と場所との規則を超脱して、泣いて行く彼女を愛撫し
地は饒なり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
何時いつかの都の女をたすけてから、都の町のようすが知りたかったし、夜にまぎれて大路を歩いて見たかった。この岩上から見える都の煙らしいものは、きょうもあいたいとしてたのしく揺曳ようえいしていた。
とわかって、正面の話合いはそれで打ち切りになったが、大膳亮の胸に燃える慾炎は、おさまるどころか新たに油を得たも同様で、妄念は七十六里を飛んで雲となり、一図に曙の里の空に揺曳ようえいした。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
みづりうごく揺曳ようえい黄金おうごん、真珠、青玉せいぎよくの色。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
楽しさがまだ消えやらず揺曳ようえいしているのを
死の淵より (新字新仮名) / 高見順(著)
明るい枇杷びわ色が潮に映じて揺曳ようえいする。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
秋空や玉の如くに揺曳ようえい
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
自分の子供の時分、郷里ではそういう場合に「おらのおととのかむ——ん」という呪文じゅもんを唱えて頭上に揺曳ようえいする蚊柱かばしらを呼びおろしたものである。
試験管 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それらを埋めて活溌な足取りで流れとなり幅となって動いている行人の群は、ソルボンヌの典雅な学風を背景にして国際的な空気を揺曳ようえいしている。
食魔に贈る (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
気に入ったお馴染なじみの題目のいくつかは、その紙面からずっと浮き出して見えた。そしてその活字のかげに、古い城だの、あおい湖だのの姿が揺曳ようえいしていた。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
ここは峡中こうちゅうの平原、遠く白根の山の雪をかぶって雪に揺曳ようえいするところ。亭々たる松の木の下に立って杖をとどめて、悵然ちょうぜんとして行く末とこし方をながめて立ち
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
地上には濃いもや揺曳ようえいし、空には白く月がかかっていた。坂を登りつめる少し手前で、孝也は馬からおり、馬を繋いだ。そして、そこでゆっくりと身支度をした。
月の松山 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
人類の精神は算盤そろばんはじけず、三味線に乗らず、三ページにも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴ほうふつとして揺曳ようえいしている。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あわれ、その胸にかけたる繃帯は、ほぐれて靉靆たなびいて、一朶いちだの細き霞の布、暁方あけがたの雨上りに、きずはいえていたお夏と放れて、眠れるごとき姿を残して、揺曳ようえいして、空に消えた。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これらの川で探る鮎の餌釣りは暖国四国の餌釣りと共に、微妙な感覚を糸の揺曳ようえいに見る。
香魚の讃 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
すでに高度は千メートル以上。百メートルの速力。これから千乃至五千の高さを揺曳ようえいして飛ぶ。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
夢魔にうなされている大統領、その身辺に揺曳ようえいして陰々と耳朶をうつ声なき声、朦朧もうろうとして視界を横ぎる姿なき姿、鋼鉄のごとき神経の持主オブライエンも、この神秘なる霊的現象には
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そうした揺曳ようえいに気のつく事も、批評家でなくては出来ぬ事が多い。更にその雲気が胸をおさえるのは、どう言う暗示を受けたからであるかを洞察する事になると、作家及び読者の為事でない。
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
母に比べれば大作りであることをまぬかれないが、そう云っても彼女が誰よりも、母の性質と姿の中にあったよいものを伝えているに違いなく、母の身の周りに揺曳ようえいしていたかおりのようなものが
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
とにかく、この山男の身辺にはなんとなく一種神秘の雰囲気ふんいき揺曳ようえいしているように思われて、当時の悪太郎どもも容易には接近し得なかったようである。
物売りの声 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ぜんたいがぼうと光暈こううんに包まれた、この世のものでないような白さと、なめらかに重たげなまるみが、眼に止めがたい幻の揺曳ようえいのようにみえ、ついで、なまなましくあざやかに
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
寒烈、指の先が落ちさるような正月のある日、茨城県稲藪郡平田の新利根川へ寒鮒釣りに伴ったが、それでも海釣りよりも淡水で、糸と浮木うき揺曳ようえいをながめる方が楽しめるという。
(新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
色々に変りはするものの急ぐ景色けしきもなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳ようえいして遊んでいるように思われる。閑静である。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ちかく水陸をかぎれる一帯の連山中に崛起くっきせる、御神楽嶽飯豊山おかぐらがたけいいとよさんの腰を十重二十重とえはたえめぐれる灰汁あくのごときもやは、揺曳ようえいしていただきのぼり、る見る天上にはびこりて、怪物などの今や時を得んずるにはあらざるかと
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳ようえいしていることは事実である。
天災と国防 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
霧はいよいよ濃くなり、条をなし、渦を巻いて川しものほうへと揺曳ようえいしている、微風が立ちはじめたのだ。澄んだ声で鳴きながら、一羽の鶺鴒せきれいが葦の上をかすめ、淀みのかなたへ飛び去った。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
道糸を流れの落ち込みや、瀬脇へ振り込んで下流へ流してくる途中、山女魚が餌をくわえれば、水鳥の白羽の目印が微かに揺曳ようえいする。そこで、すかさず鈎合わせをすれば魚の口にガッチリと掛かる。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
廊下に長く揺曳ようえいせる婦人の影は朦朧もうろうとして描ける幽霊に髣髴さもにたり。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その「煙のビスケット」が生物のように緩やかに揺曳ようえいしていると思うと真中の処が慈姑くわいの芽のような形に持上がってやがてきりきりと竜巻のように巻き上がる。
喫煙四十年 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)