“唐(たう)” の例文
八景といふ字面(じめん)は唐(たう)あたりからある、イヤ景色に八ツを取立てゝいつたのは南齊(なんせい)の沈約(しんやく)の八詠樓など、或はもつと古いところにあるか知らぬが
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
それにしても私たちが聞きかじつてゐる明治以前の文明は、みんな、唐(たう)や明(みん)を通してきてゐるものだけに、私たちにはわからないから、ただ、ボヤツと驚いた。
日本橋あたり (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
唐(たう)の秦韜玉(しんたうぎよく)が村女(そんぢよ)の詩(し)に、最(もつとも)恨(うら)むは年々(ねん/\)金線(きんせん)を圧(つくらふ)て他人(たにん)の為(ため)に嫁(よめいり)の衣装(いしやう)を作(つく)るといひしは宜(むべ)なる哉々々(かな/\/\)。
唐(たう)の開元年中(かいげんねんちう)の事(こと)とぞ。戸部郡(こぶぐん)の令史(れいし)が妻室(さいしつ)、美(び)にして才(さい)あり。たま/\鬼魅(きみ)の憑(よ)る處(ところ)となりて、疾病(やまひ)狂(きやう)せるが如(ごと)く、醫療(いれう)手(て)を盡(つく)すといへども此(これ)を如何(いかん)ともすべからず。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
唐(たう)の貞觀(ぢやうくわん)の頃(ころ)だと云(い)ふから、西洋(せいやう)は七世紀(せいき)の初(はじめ)日本(にほん)は年號(ねんがう)と云(い)ふもののやつと出來掛(できか)かつた時(とき)である。閭丘胤(りよきういん)と云(い)ふ官吏(くわんり)がゐたさうである。尤(もつと)もそんな人(ひと)はゐなかつたらしいと云(い)ふ人(ひと)もある。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
お鈴は小豆(あづき)縮緬の羽織に黄八丈の小袖を着てゐる上に、からだも元のお鳥の樣に肉づいて、無病息災らしいのを見ると、葡萄色の唐(たう)縮緬羽織りのお鳥は、見すぼらしくもあり、また病人らしくもある。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
沙漠より掘りつる唐(たう)の人形も細く痩せしは詩人なるべし
唐(たう)の任翻(じんはん)天台巾子峯(てんだいきんしほう)に遊び、詩を寺壁に題して云ふ。
左伝に(隠公八年)平地(へいち)尺(しやく)に盈(みつる)を大雪と為(す)と見(み)えたるは其国(そのくに)暖地(だんち)なれば也。唐(たう)の韓愈(かんゆ)が雪を豊年(ほうねん)の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国(だんこく)の論(ろん)也。されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑組(ござつそ)に見えたり。
唐(たう)の開元年中(かいげんねんちう)、呉(ご)楚(そ)齊(せい)魯(ろ)の間(あひだ)、劫賊(こふぞく)あり。近頃(ちかごろ)は不景氣(ふけいき)だ、と徒黨(とたう)十餘輩(じふよはい)を語(かた)らうて盛唐縣(せいたうけん)の塚原(つかはら)に至(いた)り、數十(すうじふ)の塚(つか)を發(あば)きて金銀寶玉(きんぎんはうぎよく)を掠取(かすめと)る。塚(つか)の中(なか)に、時(とき)の人(ひと)の白茅冢(はくばうちよう)と呼(よ)ぶものあり。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
この朝顏(あさがほ)、夕顏(ゆふがほ)に續(つゞ)いて、藤豆(ふぢまめ)、隱元(いんげん)、なす、さゝげ、唐(たう)もろこしの苗(なへ)、また胡瓜(きうり)、糸瓜(へちま)——令孃方(れいぢやうがた)へ愛相(あいさう)に(お)の字(じ)をつけて——お南瓜(たうなす)の苗(なへ)、……と、砂村(すなむら)で勢(せい)ぞろひに及(およ)んだ、一騎當千(いつきたうせん)
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
唐(たう)の玄宗(げんそう)、南(みなみ)の方(かた)に狩(かり)す。百官(ひやくくわん)司職(ししよく)皆(みな)これに從(したが)ふ中(なか)に、王積薪(わうせきしん)と云(い)ふもの當時(たうじ)碁(ご)の名手(めいしゆ)なり。同(おな)じく扈從(こじう)して行(ゆ)いて蜀道(しよくだう)に至(いた)り、深谿(しんけい)幽谷(いうこく)の間(あひだ)にして一軒家(いつけんや)に宿(やど)借(か)る。其(そ)の家(いへ)、姑(しうと)と婦(よめ)と二人(ふたり)のみ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)