くち)” の例文
きらきらと光る眼で、富岡のくちもとを睨みつけながら。——富岡は静かに蒲団を片寄せて、ゆき子の膝に両手をかけてうめくやうに
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
炎に似た夢は、袈裟の睫毛まつげをふさがせ、閉じたるくちを、舌もてあけ、うちぎのみだれから白いはぎや、あらわなのふくらみを見たりする。
かなりひと目をく顔だちで、むしろ美男といってもいいくらいであるが、眼つきやくちもとになんとなく人をさげすむような色がある。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
父は子供をあやすように母のくちに茶碗を押しつけ無理にも飲まそうとしたが、母はかぶりを振って固くこばんで飲まなかったそうである。
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
男も一息に、しかし幾らかゆっくり加減にり、不味まずそうに手の甲でくちを拭いて、何か考え事でもするように、洋酒コップの底をいじくりながら
〽圓遊すててこ、談志の釜掘り、遊三ゆうざのよかちょろ、市馬いちばの牡丹餅——今もこういう寄席の竹枝こうたが、時おり、児童こどもくちにのぼる。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
ガラリと格子こうしが開きました。銭形平次が帰って来たのです。さかずきを膳へ置くかと思った八五郎の手は、意地汚くそのままくちへ——。
そうすれば、鼻がどうの、くちがどうのと附けたす世話は更にいらぬ。一遍に頭の天辺から足の爪先まですっかりそれと分ってしまうのだ!
こう云いながら彼は女の顔から体の恰好かっこうに注意した。すこし受けくちになった整った顔で、細かな髪の毛の多い頭を心持ち左にかしげていた。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「不味いかも知れん。」老人はくちはたに心持微笑を浮べた。「だが、わしは愛国心で酒を飲むといふ事を知つとるからな。」
きっとくちを結んで、いっしょう懸命なときにするまじめな顔をつくると、前かがみになって、熱くなって歩きはじめた。
キャラコさん:04 女の手 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
夫人は真っ黄と見えるような顔をして、締まりのないくちをもぐもぐさせながら、体をあちらこちらへ揺すぶっていた。
彼女はバグリオーニの解毒剤をそのくちにあてると、その瞬間にラッパチーニの姿が入り口から現われて、大理石の噴水の方へそろそろと歩いて来た。
それに、この浪人のくちから漏れた、河原者という一言がぐっと胸にこたえたので、平謝ひらあやまりに謝るのもいまいましかったが、虫を押えて、一歩進み出た。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
その言葉を、あの可愛いい紅いくちから、幾月聞かなかったことだろう。何十年も聞かなかったような気がする……。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
そしてその女の癖であざやかな色したくちを少しゆがめたようにしてまぶしそうにひとみをあげて微笑みかけながら黙っていた。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
……うむ、お前の眼付きがいい。姦婦の眼付きそっくりだ。うむ、お前のくち付きもいい。姦婦の唇付きそっくりだ
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのとき、やはり、心持ちくちをあけてみていた、あなたの小さい黄色い顔が、ちらっとぼくの網膜もうまくかすめました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
私は心安だてにこう言いながら、彼女のグラスにシャンパンを一杯に注いでやると、彼女はちょっとそれにくちをつけて、わたしのほうに感謝の眼を向けた。
私でさへくちを引ツ裂いてあげたい程に思ひましたもの、貴嬢あなたさま能く御辛抱なされました——其れがマア、不審では御座いませぬか、一週間つや経たずに
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
つまらない恨みはみな消えてしまった。彼も同じく喜び勇んでその手を握りしめ、それにくちづけをした。
そして、幽かにくちを歪めて微笑ほほゑんで見た。其処にも此処にも、幽かに微笑んだ生徒の顔が見えた。
足跡 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「まあ、ひどい風だことねえ。」といって、泣いているかねちゃんを自分の傍に引き寄せて、あたしの身体は濡れていてよ、と温かいくちをかねちゃんの薔薇色の頬辺ほっぺたにあてて
嵐の夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
彼が五六年前に別れたうけくちの女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、しばしば彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等ははなはだ性質たちの悪い悪戯いたづらさへする。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
最初、くち周囲ぐるりがムズ痒いような気持で、サテはちっと中毒ったかナ……と思ううちに指の尖端さきから不自由になって来ます。立とうにも腰が抜けているし、物云おうにも声が出ん。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
二日二晩酒に浸っていた松川との結婚の夜の名残なごりらしかったが、彼女は多分草葉を連れて来た時もしたように、彼をその部屋に見るのが面羞おもはゆそうに、そっと寄ってくちづけをすると
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
泥水の色は毒薬を服した死人のくちよりも、なお青黒く、気味悪い。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
くちうつしにいひ食む文鳥のはしあかく与ふる都度つどに啼き乞ひてかな
遺愛集:02 遺愛集 (新字新仮名) / 島秋人(著)
みちのべにさゝ紅梅こうばいもいとし子が夢にほゝゑむくちかとぞ見る
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
手真似につれては、くちも動かしてゐるのでしたが
すると貴君のくちの、単純旋律カヷチナやがて霧散する。
睦言を耳に聞く力も失せつ、くちさし寄せて
まこと」のくちはかしこみて「のぞみ」のまなこそらあふ
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
兄は眞青まつさをの葱のさきしんと眺めて、くちあてて
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
なにの愁ひをくれなゐのくちもきよらに
故郷の花 (旧字旧仮名) / 三好達治(著)
かえでちょっとくちをつけて下に置く。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
土器かわらけくちかえし、なぞの言葉で——
ルバイヤート (新字新仮名) / オマル・ハイヤーム(著)
ばく/″\くちを動かした。
殴る (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
くさぶえを やさしきくち
秋の瞳 (新字旧仮名) / 八木重吉(著)
くちには京のしも町の
枯草 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
如何いかがあらんと、事の成行きを、息つまらせて見ていた側臣たちの眼は、期せずして、信長の顔いろとそのくちもとにあつめられていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ゆき子は怒りでくちもきけなかつた。伊庭のたけだけ々しい態度に吐き気が来た。なる事ならば、このまゝ消えてしまひたい気持ちだつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
やがて、とある四つ角へさしかかると、彼女は怪訝そうに立ちどまって、指を一本あげてくちを半開きにしたまま、じっと聞き耳をてた。
小さきもの (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
お藤は大したやつれもなく、母親に何かと口説くどかれておりますが、美しい顔を俯向うつむけて田螺たにしのごとくくちを閉じている様子です。
眉宇びうくちもとには不屈な性格があらわれている、……しずかに座った通胤は、そのするどい眼をあげてきっと父を見あげた。
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのくちや手の動き具合よりみれば、彼女たちは確かに何か活気のある話をしているようであった。
お宮は五円札を一枚やるとうれしさを押し包むようにくちをきゅっと引き締めて入口まで送って出た私の方を格子戸こうしどを閉めながらさも思いを残してゆくような嬌態しなを見せて
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
憂色、おもてに現然たる議長が何やらんくちを開かんずる刹那せつなノーツ」と一声、巨鐘の如く席の中央より響きたり、よ、菱川硬二郎は夜叉やしやの如く口頭よりほのほを吐きつゝ突ツ起ちてあり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
と、言って、今は、まるで放心したように、目をみはり、くちを開けて、うっとりと突ッ立ってしまった相手を眺めたが、急に、ぐっと編笠におおわれた顔を突き出して、ささやくように——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
小さいくちをとがらせ、「うち、つまらんわア、もう男のひとと、遊んではいけない言うて、監督かんとくさんから説教されたわ。おんなじ船に乗ってて、口いてもいかん、なんて、阿呆あほらしいわ」
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)