向島むこうじま)” の例文
可笑おかしかったのは、花時はなどき向島むこうじま高櫓たかやぐらを組んで、墨田の花を一目に見せようという計画でしたが、これは余り人が這入はいりませんでした。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
子供を預けて再縁をせよと云う親の勧めや又外から降るように来る縁談をしりぞけて、娘を連れたまま、向島むこうじまへ別居することになりました。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それが午後七時頃のことだ。遠い所でもないので、彼はいつもの様に、散歩旁々かたがた、吾妻橋を迂回うかいして、向島むこうじまの土手を歩いて行った。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ここは人の出入りが激しくて、とても見張ってはいられませんから、二十四日の晩からお糸は向島むこうじまの寮へやっておくつもりです。
それから更に嬉しかったことは、その次の日曜日にまた碧梧桐が家族と共に向島むこうじまの花見に行くというので、母が共に行かれたことである。
病牀苦語 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
兄鴎外と一緒に暮した幼い時の話をとのことですから、向島むこうじまの小梅村に住んでいた頃のお話でもいたしましょう。明治十年頃のことです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
私はまだその子供と指したことがないから棋力の程は知らないが、向島むこうじまにバタ屋の倅で、滅法将棋が強くッて柄の悪いのが一人いるそうだ。
町内の二天才 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
岩瀬肥後も今は向島むこうじま蟄居ちっきょして、客にも会わず、号を鴎所おうしょと改めてわずかに好きな書画なぞに日々のさを慰めていると聞く。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この記事からひるがえっ向島むこうじまと江戸文学との関係を見ると、江戸の人は時代からいえば巴里人よりももっと早くから郊外の佳景に心附いていたのだ。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
電車の便利のない時分、向島むこうじまへ遊びに行って、夕飯を喰いにわざわざ日本橋まで俥を飛ばして行くというむずかし屋であった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
漆の如きやみうちに貫一の書斎の枕時計は十時を打ちぬ。彼は午後四時より向島むこうじま八百松やおまつに新年会ありとていまかへらざるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ここは、向島むこうじまを行きつくした、客人大権現まろうどだいごんげんの森蔭、お蓮さまの寮です。こんなところに、司馬家の別荘があろうとは、源三郎、知らなかった。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
当惑しながら日を送り、三月になるとお花見、向島むこうじまへお花見に行ったところ、そのお侍さんが花の下で、うたいをうたって合力を乞うていたそうで。
猿ヶ京片耳伝説 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おなじ向島むこうじまのうちだったが、こっちはずっと土地が高まっていたので、それほど水害のわざわいも受けずにすんだらしかった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
旧藩の殿様のお邸が向島むこうじまにある。お父様はそこのお長屋のあいているのにはいって、婆あさんを一人雇って、御飯をかせて暮らしてお出になる。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「いえ、上野や向島むこうじまは駄目だが荒川あらかわは今がさかりだよ。荒川から萱野かやのへ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
震災直後私達が向島むこうじまの隅田町に一時仮りの住居を見つけて移り住んでいたとき、一、二度母と一緒に訪ねてきたが、それきり私はイエを見なかった。
前途なお (新字新仮名) / 小山清(著)
向島むこうじまのうらがれさえ見にく人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、ものずきとして差措さしおいても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
出発の朝、ぼくは向島むこうじまの古本屋で、啄木たくぼく歌集『悲しき玩具がんぐ』を買い、その扉紙とびらがみに、『はろばろと海をわたりて、亜米利加アメリカへ、ゆく朝。墨田すみだあたりにて求む』
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
東京では向島むこうじま吾妻あずま神社の脇にある相生あいおいの楠もその一つで、根本から四尺ほどの所が二股ふたまたに分れていますが、始めは二本の木であったものと思われます。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ま! だんなさまとしたことが、向島むこうじまへお越しになって闇男屋敷のおうわさ、ご存じないとは笑われまするよ。
右門捕物帖:30 闇男 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
貴隊は犬吠崎いぬぼうさき附近から陸上を東京に向かい、工業地帯たる向島むこうじま区、城東じょうとう区、本所ほんじょ区、深川ふかがわ区を空襲せよ。これがため一キログラムの焼夷弾約四十トンを撒布さっぷすべし!
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ある年向島むこうじまに水の出た時、貧民たちの窮状と、救護の現場を見せるつもりで、息のつまりそうな炎熱のなかを、暑苦しい洋服に制帽をかぶった七八つの彼を引っ張って
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
向島むこうじまから川船に乗って大川を下った。両岸にはくろずんだ古い家々が音もなく立ちならんでいた。千年も前からその通りに屋並をつらねていたような静かさであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
午後の三時頃になってから私はそのリヤーカーを曳いて向島むこうじまの方へ出掛けたのであった。
二十四年の二月、私は叔父と一緒に向島むこうじまの梅屋敷へ行った。風のない暖い日であった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
大門おおもんを出てから、ある安料埋店で朝酒を飲み、それから向島むこうじまの百花園へ行こうということに定まったが、僕は千束町へ寄って見たくなったので、まず、その方へまわることにした。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
向島むこうじまへ預けて置いたが、預かり主が風のよくない人で、預けた材木が段々減って行くような有様なので、師匠は空地あきちを見附け、右の三枝家から買い取った家の材木で家作を立てました。
二階のテスリから繻子しゅすの帯をおろし、それをつたって表の広小路に出ると、辻車つじぐるまにのって一晩じゅう当てもなく向島むこうじま辺をき歩かせた揚句あげく本所ほんじょの知合いの家へころがり込んで、二日二晩
「ええ、そうです。どうも見たこともねえ人だ。岡釣でも本所、深川ふかがわ真鍋河岸まなべがし万年まんねんのあたりでまごまごした人とも思われねえ、あれはかみの方の向島むこうじまか、もっと上の方の岡釣師ですな。」
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ト言ったその声が未だ中有ちゅうう徘徊さまよッている内に、フト今年の春向島むこうじま観桜さくらみに往った時のお勢の姿を憶出し、どういう心計つもり蹶然むっくと起上り、キョロキョロと四辺あたり環視みまわして火入ひいれに眼をけたが
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
「……向島むこうじまは夕立の名所だというが、こりゃア、悪いときに降りだした」
顎十郎捕物帳:14 蕃拉布 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
めえのめえだがの。おめえのとこのおはねさんがの。例の後家の内へきやアがって。今きている山中というやツをさそい出して。向島むこうじままでおしのびという寸法で。一しょに出かけたと思いねえ。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
数年前すねんぜん、さる家を訪ねて、昼飯ちゅうはんの馳走にあずかって、やがてその家を辞して、ぶらぶら向島むこうじま寺島村てらじまむらつつみにかかったのが、四時頃のことだ、秋の頃で戸外おもて中々なかなかあかるい、私が昼の膳に出してくれた
狸問答 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
「そうですなア向島むこうじまが一番ひどいそうです。綾瀬川あやせがわの土手がきれたというんですからたまりませんや。今夜はまた少し増して来ましょう。明朝みょうあさの引き潮にゃいよいよ水もほんとに引き始めるでしょう」
水籠 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
そうするとお村はなんにも言わずに友之助のひざに取付き、声を揚げて泣きますから、友之助は一向何事とも分らぬから、兎も角も早く様子が聞きたいと云うので、向島むこうじま牛屋うしや雁木がんぎから上り、船を帰して
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一月二十三日 青邨せいそん送別を兼ね在京同人会。向島むこうじま弘福寺。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
向島むこうじまの小梅村。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
車はやがて隅田川すみだがわを渡り、川沿いに向島むこうじまへと向った。吾妻橋を通り過ぎる時には、紋三は今朝の不愉快な一条を思い出していた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
正月八日書家中沢雪城が枕山毅堂磐渓九皐の四友を招ぎ、を携え舟行して向島むこうじまの百花園に梅花を賞した後、今戸の有明楼に登って歓を尽した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
隅田川すみだがわも見えはすまいかと、昔住んだ土地がなつかしくて見廻しました。綾瀬を越して行くと向島むこうじまの土手になって、梅若うめわか白髭しらひげの辺に出るのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
時々ドッとあがる笑い声、それも次第に納まって、乱舞も大方いだ頃、船は向島むこうじまの土手の下、三間ほどのところへズブズブと沈んでしまいました。
根岸ねぎし向島むこうじまあたりにでもありそうな、寮ふうの構えで、うすへいごしの松の影を、往来のぬかるみに落としていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまっておしまれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月あわしまかんげつ向島むこうじまの旧庵の如きその一つである。
競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
隣の普請ふしんにかしましき大工左官の声もいつしかに聞えず、茄子なすの漬物に舌を打ち鳴らしたる夕餉ゆうげの膳おしやりあへぬほどに、向島むこうじまより一鉢の草花持ち来ぬ。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
多吉の俳諧三昧はいかいざんまいと、その放心さと来たら、かつて注文して置いた道具の催促に日ごろ自分の家へ出入りする道具屋源兵衛げんべえを訪ねるため向島むこうじままで出向いた時
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私の今住んでいる向島むこうじま一帯の土地は、昔は石が少かったそうである。それと反対に向河岸むこうがしの橋場から今戸いまど辺には、石浜という名が残っている位に石が多かった。
梵雲庵漫録 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
女が急にオフェリヤになって、柳の枝へのぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿さおを持って、向島むこうじま追懸おっかけて行く。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
向島むこうじまの土手下に私とおばあさんだけと暮らしていた時分、小さな煙草屋をやっていたと云う話を、私が誰からきくともなしに知り出していたのも、丁度その頃だった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)