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ざつし
ふりがな文庫
“
雜誌
(
ざつし
)” の例文
新字:
雑誌
その頃
雜誌
(
ざつし
)
「
青鞜
(
せいたう
)
」は
生
(
うま
)
れ、
新
(
あたら
)
しい女といふことが
大分
(
だいぶ
)
やかましくなつてまゐりました。けれど私達は初めからそれを
白眼
(
はくがん
)
でみました。
冬を迎へようとして
(旧字旧仮名)
/
水野仙子
(著)
下部
(
かぶ
)
の
貝塚
(
かひづか
)
が、
普通
(
ふつう
)
ので、
其上
(
そのうへ
)
に
彌生式
(
やよひしき
)
の
貝塚
(
かひづか
)
が
重
(
かさ
)
なつて
居
(
ゐ
)
るとか、たしかそんな
事
(
こと
)
であつた。
今
(
いま
)
雜誌
(
ざつし
)
が
手元
(
てもと
)
に
無
(
な
)
いので
委
(
くは
)
しくは
記
(
しる
)
されぬ。
探検実記 地中の秘密:06 疑問の加瀬貝塚
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
それから、くる/\と
卷
(
ま
)
いてポケツトにさし込んで來た
週
(
しう
)
刊
雜誌
(
ざつし
)
をひろげて、この春に來る外國
映
(
えい
)
畫のスチルを
眺
(
なが
)
めはじめた。
坂道
(旧字旧仮名)
/
新美南吉
(著)
が、いつだつたか、或る
雜誌
(
ざつし
)
にのつてゐたゴシツプによると、
文藝
(
ぶんげい
)
の
士
(
し
)
の
余技
(
よぎ
)
の内
玉突
(
たまつき
)
と寫
眞
(
しん
)
とでは
私
(
わたし
)
が
筆頭
(
ひつとう
)
ださうだ。
写真と思ひ出:――私の写真修行――
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
『
左樣
(
さやう
)
さ、
不幸
(
ふかう
)
な
町
(
まち
)
です。』と、イワン、デミトリチは
溜息
(
ためいき
)
して
笑
(
わら
)
ふ。『
然
(
しか
)
し一
般
(
ぱん
)
には
奈何
(
どう
)
です、
新聞
(
しんぶん
)
や、
雜誌
(
ざつし
)
は
奈何云
(
どうい
)
ふ
事
(
こと
)
が
書
(
か
)
いてありますか?』
六号室
(旧字旧仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
▼ もっと見る
宗助
(
そうすけ
)
は
大
(
おほ
)
きな
姿見
(
すがたみ
)
に
映
(
うつ
)
る
白壁
(
しらかべ
)
の
色
(
いろ
)
を
斜
(
なゝ
)
めに
見
(
み
)
て、
番
(
ばん
)
の
來
(
く
)
るのを
待
(
ま
)
つてゐたが、あまり
退屈
(
たいくつ
)
になつたので、
洋卓
(
テーブル
)
の
上
(
うへ
)
に
重
(
かさ
)
ねてあつた
雜誌
(
ざつし
)
に
眼
(
め
)
を
着
(
つ
)
けた。
門
(旧字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
時々
(
とき/″\
)
、
婦人
(
ふじん
)
の
雜誌
(
ざつし
)
の、お
料理方
(
れうりかた
)
を
覗
(
のぞ
)
くと、
然
(
しか
)
るべき
研究
(
けんきう
)
もして、その
道
(
みち
)
では、
一端
(
いつぱし
)
、
慢
(
まん
)
らしいのの
投書
(
とうしよ
)
がある。
湯どうふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
お
前達
(
まへたち
)
の
好
(
す
)
きなお
伽話
(
とぎばなし
)
の
本
(
ほん
)
や
雜誌
(
ざつし
)
の
中
(
なか
)
に
出
(
で
)
て
來
(
く
)
るやうな、
鳥
(
とり
)
や
獸
(
けもの
)
まで
幼少
(
ちひさ
)
い
時分
(
じぶん
)
の
父
(
とう
)
さんにはお
友達
(
ともだち
)
でした。
ふるさと
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
「
成效
(
せいかう
)
」と
宗助
(
そうすけ
)
は
非常
(
ひじやう
)
に
縁
(
えん
)
の
遠
(
とほ
)
いものであつた。
宗助
(
そうすけ
)
は
斯
(
か
)
ういふ
名
(
な
)
の
雜誌
(
ざつし
)
があると
云
(
い
)
ふ
事
(
こと
)
さへ、
今日迄
(
こんにちまで
)
知
(
し
)
らなかつた。
門
(旧字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
讀
(
よ
)
んで
見
(
み
)
たくも、なんにもさういふお
伽噺
(
とぎばなし
)
の
本
(
ほん
)
や
雜誌
(
ざつし
)
が
無
(
な
)
いんでせう、おまけに、
父
(
とう
)
さんの
生
(
うま
)
れたところは
山
(
やま
)
の
中
(
なか
)
の
田舍
(
ゐなか
)
でせう、そのかはり、
幼少
(
ちひさ
)
な
時分
(
じぶん
)
の
父
(
とう
)
さんには
ふるさと
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
それは
人人
(
ひと/″\
)
の胸にどんな氣持を呼び起すことであらうか? また世の
蔭
(
かげ
)
にひそんで人知れず自己の作品を書き努める無名の作家、
雜誌
(
ざつし
)
への投書を樂しむつつましき文藝愛好者
処女作の思い出
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
然
(
さう
)
して
立
(
た
)
ちながら、
外國
(
ぐわいこく
)
や、
露西亞
(
ロシヤ
)
の
新聞
(
しんぶん
)
雜誌
(
ざつし
)
に
書
(
か
)
いてある
珍
(
めづ
)
らしい
事
(
こと
)
、
現今
(
げんこん
)
は
恁云
(
かうい
)
ふ
思想
(
しさう
)
の
潮流
(
てうりう
)
が
認
(
みと
)
められるとかと
話
(
はなし
)
を
進
(
すゝ
)
めたが、イワン、デミトリチは
頗
(
すこぶ
)
る
注意
(
ちゆうい
)
して
聞
(
き
)
いてゐた。
六号室
(旧字旧仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
宗助
(
そうすけ
)
は
好奇心
(
かうきしん
)
から
此句
(
このく
)
の
前
(
まへ
)
に
付
(
つ
)
いてゐる
論文
(
ろんぶん
)
を
讀
(
よ
)
んで
見
(
み
)
た。
然
(
しか
)
し
夫
(
それ
)
は
丸
(
まる
)
で
無關係
(
むくわんけい
)
の
樣
(
やう
)
に
思
(
おも
)
はれた。
只
(
たゞ
)
此
(
この
)
二
句
(
く
)
が
雜誌
(
ざつし
)
を
置
(
お
)
いた
後
(
あと
)
でも、しきりに
彼
(
かれ
)
の
頭
(
あたま
)
の
中
(
なか
)
を
徘徊
(
はいくわい
)
した。
門
(旧字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
父
(
とう
)
さんの
幼少
(
ちひさ
)
な
時分
(
じぶん
)
には、
今
(
いま
)
のやうに
少年
(
せうねん
)
の
雜誌
(
ざつし
)
といふものも
有
(
あ
)
りませんでした。お
前達
(
まへたち
)
のやうに
面白
(
おもしろ
)
いお
伽噺
(
とぎばなし
)
の
本
(
ほん
)
や、
可愛
(
かあ
)
いらしい
繪
(
ゑ
)
のついた
雜誌
(
ざつし
)
なぞを
讀
(
よ
)
むことも
出來
(
でき
)
ませんでした。
ふるさと
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
彼
(
かれ
)
が
最
(
もつと
)
も
好
(
この
)
む
所
(
ところ
)
の
書物
(
しよもつ
)
は、
歴史
(
れきし
)
、
哲學
(
てつがく
)
で、
醫學上
(
いがくじやう
)
の
書物
(
しよもつ
)
は、
唯
(
たゞ
)
『
醫者
(
ヴラーチ
)
』と
云
(
い
)
ふ一
雜誌
(
ざつし
)
を
取
(
と
)
つてゐるのに
過
(
す
)
ぎぬ。
讀書
(
どくしよ
)
爲初
(
しはじ
)
めると
毎
(
いつ
)
も
數時間
(
すうじかん
)
は
續樣
(
つゞけさま
)
に
讀
(
よ
)
むのであるが、
少
(
すこ
)
しも
其
(
そ
)
れで
疲勞
(
つかれ
)
ぬ。
六号室
(旧字旧仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
雜
部首:⾫
18画
誌
常用漢字
小6
部首:⾔
14画
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雜誌類