臆病おくびょう)” の例文
「つかまったってたかが殺されるだけじゃないの。あたし、殺されることなんかこわかないから、あなたみたいに臆病おくびょうじゃないわ。」
こう云う代助は無論臆病おくびょうである。又臆病でずかしいという気はしんから起らない。ある場合には臆病をもって自任したくなる位である。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「ははあ、何かこわいことがあると、ひとりでからだがふるえるからね。お前さんも、ことによったら、臆病おくびょうのためかも知れないよ。」
気のいい火山弾 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
が、おれはいつも、承知しない。すると、あの女は、おれの事を臆病おくびょうだと言って、ばかにする。おれはよくそれで、腹を立てた。………
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かんがぶかい、また臆病おくびょうひとたちは、たとえその準備じゅんび幾年いくねんついやされても十ぶん用意よういをしてから、とお幸福こうふくしまわたることを相談そうだんしました。
明るき世界へ (新字新仮名) / 小川未明(著)
あるいは良きあるいは悪き多くの理由が、彼らの活動を妨げていた。ある人々にあっては、それは服従や臆病おくびょうや習慣の力などであった。
院をのあたり見て罪の自責に苦しんだために逆上したのであろうが、それほど臆病おくびょうな自分ではなかったはずであるがと悲しんだ。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
プリヘーリヤは甘ったるい感じがするほどではないまでも、感じやすい、臆病おくびょうな、おとなしいたちだったが、それもある程度までである。
一つは臆病おくびょうな本能からと、また一つには恋する者の注意深い本能からだった。「父親の注意」をひかない方がいい、と彼は思っていた。
蛮流幻術ばんりゅうげんじゅつにたけて、きたいな神変しんぺんをみせる呂宋兵衛も、臆病おくびょうな生まれつきはあらそえず、語韻ごいんはふるえをおびて昌仙の顔をみまもっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女は、臆病おくびょう獣物けだものが、何ものかを避けるように飛びのいて、ふたたび、その忌まわしい場所に視線を向けようとはしなかったのである。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
どうせ現在お目に懸けた臆病おくびょうです。それを弁解するんじゃないが、田圃だの、水浸しだの、と誇大に妄想もうぞうした訳ではありません。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と反問するが肝腎かんじんである。臆病おくびょうなる僕に一大興奮剤となった教訓は沙翁さおうの Be just and fear not の一言である。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しかし、神経質に人の気を兼ねて、好意を無にすまいと極度に気遣いするところは、世俗に臆病おくびょうな芸術家らしいところがあった。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
赤は顔つきからして神経的なきつねのようなところがあったが、実際臆病おくびょうかあるいは用心深くて、子供らしいところが少なかった。
子猫 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
葉子の乳母うばは、どんな大きな船でも船は船だというようにひどく臆病おくびょうそうな青い顔つきをして、サルンの入り口の戸の陰にたたずみながら
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「なにを臆病おくびょうなことをいいだすんだ。こんな素晴らしいチャンスを逃がすなんてえことが出来ると思うかい。引込んでいろ」
見えざる敵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
恋の場合には可なり臆病おくびょうであった藤十郎は、あたかも別人のように、先刻の興奮は、丸きり嘘であったかのように、冷静に
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
自分で自分の臆病おくびょうあざわらうようになるなんて、……それに、夫に内証で外の男愛したら悪いやろけど、女が女恋いするねんよってかめへん。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
安岡は、ふだん臆病おくびょうそうに見える深谷が、グウグウ眠るのに腹を立てながら、十一時にもなれば眠りに陥ることができた。
死屍を食う男 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
人は無智であるほど勇敢であり、智慧があるほど臆病おくびょうである。——そしてこの分岐点から、実にドン・キホーテとハムレットが出来るのである。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
そのままでゆけば何でもないのであったけれど……。千穂子は臆病おくびょうであったために、ふっとした肉体の誘惑ゆうわくけることが出来なかったのだ……。
河沙魚 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「いや、それは、他の諸君は……わけても隊長の近藤殿などは……土方殿などになると、近藤殿以上で。……ただ私だけが、臆病おくびょうだったので……」
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
むしろ臆病おくびょうなほうだし、君だって、レーニ、一思いにこっちのものになってくれそうにはほんとうに見えなかったからね
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
同じ商売の臆病おくびょうな連中が一週間かかってもかき集めることのできないくらいの魚を、たった一日でとったものでした。
平生へいぜいから、臆病おくびょうではあるが、早く始末をつけたほうがいいのだ。それに、今日は、なんとなく勇猛心が起こっている。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
「そうです。若様がたにかぎらず、この頃の青年はどうも臆病おくびょうでいけません。胆力養成ということが必要です。これはいかがなものでしょうかな?」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
何に対しても無鉄砲で、放胆ほうたんで、自分勝手だった私は、いつのまにか臆病おくびょうになり、小胆になり、生きることのおそろしさに身の毛がよだつようである。
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
しかし、それかと云って、どうして、自分のような少女の身で、こんなにふるえているような臆病おくびょうさで、このことを人に知らせることなぞ出来ようか?
香水紳士 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
臆病おくびょうな彼の心は、次第に恥知らずになって、どうかすると卑小な見えのようなものも混ざって、引込みのつかないところまで釣りあげられてしまった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
何という臆病おくびょうな愛の使徒だろうと思った。私は何か言いたかった。けれど伊藤はもう立ち去ろうとしているような風だったので、私も仕方なく答えた。
いつのまか自分でも妙に失態をやったような気になった。臆病おくびょう慚愧心ざんきしんが起こって、世間へ出るのがいやたまらぬ。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
一歩渦巻にまき込まれてしまえば、那落ならくまでは一息。その途中に思索や反省や低徊ていかいのひまはない。臆病おくびょうな悟浄よ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「いや、貴族は暗黒をいとうものだ、元来が臆病おくびょうなんだからね。暗いと、こわくて駄目だめなんだ。蝋燭ろうそくが無いかね。蝋燭をつけてくれたら、飲んでもいい。」
(新字新仮名) / 太宰治(著)
わが臆病おくびょうなる心は憐憫れんびんの情に打ち勝たれて、余は覚えずそばに倚り、「何故に泣きたもうか。ところに繋累けいるいなき外人よそびとは、かえりて力をやすきこともあらん」
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
神谷は蘭子の臆病おくびょうしかったが、考えてみると、彼女をこのままこの家に置くのは、いかにも危険な話であった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
大迫玄蕃、決して臆病おくびょうな男ではない。が、思わず、声をんで、白けた眼が、うしろざまに床の間をかえりみた。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
いや最初からお糸は長吉よりも強かった。長吉よりもはるか臆病おくびょうではなかった。お糸長吉と相々傘にかかれて皆なから囃された時でもお糸はびくともしなかった。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
歌手に小言こごとをいうことはおろか、その出来栄できばえを批評することさえ出来ないほど臆病おくびょうで、「早く上演が済んでくれればよい——」とそればかり念ずる有様ありさまであった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
仕事は甚しく臆病おくびょうである。人はこれを丁寧という辞に置きかえる。しかしかかる丁寧さが美を保障すると思ったら間違いである。あの支那のみんの染附を想い浮べる。
北九州の窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
お残りは、広い教場へ二人だけ残されるのだ。机を積み重ねた上を渡ったりして二人は仲よく遊んだが、臆病おくびょうだったあたしは、夕暮ぢかくなると悲しくなりだした。
診察しんさつとき患者かんじゃ臆病おくびょうわけわからぬこと、代診だいしんそばにいること、かべかかってる画像がぞう、二十ねん以上いじょう相変あいかわらずにけている質問しつもん、これらは院長いんちょうをしてすくなからず退屈たいくつせしめて
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
次男 臆病おくびょうだよ。すずめみたいだよ。さっき表で見たらね、かあさん、すずめが花火のはじけるたびにとびたって、裏山の方へ逃げてったよ。もう村には、一わもいやしない。
病む子の祭 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
私はその間も横目でこっそりと娘の方をうかがいながら、自分の臆病おくびょうな気持と闘っていた。
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
己の死ぬるまでの日数がもう四一は立っているぞ。なに。こう言って話すのが義務だなんぞというのも、やっぱりみずから欺くので、己が臆病おくびょうからこんな事をいうのかも知れないよ。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
一番目の娘も二番目の娘も、森林を探検し得なかった臆病おくびょうが露顕して真赤になった。
黄金の腕環:流星奇談 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
「むろん、あの臆病おくびょうにそんなことができるはずはありませんがね」と母は笑った。
地球儀 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
「ええ、わたしはこの通り臆病おくびょうな小娘ですのよ」——すなほに伏目ふしめを作りながら、千恵は思ふぞんぶんHさんに凱歌がいかを奏させてあげたのです。それがせめてものお礼ごころなのでした。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
自分が、臆病おくびょうな一箇の旅人にふさわしいこの姿でいることを告げたかった。
朝のヨット (新字新仮名) / 山川方夫(著)
寒さと暗さとをおそれる臆病おくびょうな花だけに、あどけなく可愛らしい花です。
季節の植物帳 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)