ひじ)” の例文
右手のひじを、顔と顔のあいだへあげたのは、いうまでもなく、居合の身がまえで、手練の一さつを見せようかという意思の表示である。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山口はひじをつきながら、甲谷のうろうろしつづける視線の方を自分も追った。外人たちがぼつりぼつりとホールの中へ這入って来た。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
娘が聞いてるのを認めたフォーゲルにひじでつっ突かれたので、彼はかなり遠くまで聞えるように大声で「へむ! へむ!」と言って
机を置いてこれに対し、浴衣に縮緬ちりめん扱帯しごきめて、ひじをつき、けざまの目をねむるがごとくなるは、謂うまでもなく鴨川であった。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひじをしっかり鉄の棒の上に支え、前腕がしびれても気がつかず、指の先までむずがゆくなっていても、それはいっこう平気なのである。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
二十日の後、いっぱいに水をたたえたさかずきを右ひじの上にせて剛弓ごうきゅうを引くに、ねらいにくるいの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
襖のあく音を聞くなり、彼女はそれを逆手に持って胸を刺そうとした、然し主馬はそのひじつかみ、烈しくじ上げながら懐剣を奪った。
山椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
コルクを抜く音はポンポンと響く、そこでたまりかねたのであろう。お互いにひじで前へ押し出し合いながら部屋の中へ入って来た。
脇息にひじを持たせている主膳の姿が、急に大女の自分をさえ圧迫するほどの大きさになったから、慄え上って飛び出したものです。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
マリユスは長椅子ながいすの上にひじをついて身を起こし、コゼットはそのそばに立って、互いに声低く語り合った。コゼットはささやいた。
婆さんは、飯を済ました後と見えて、下女部屋で御櫃おはちの上にひじを突いて居眠りをしていた。門野は何処へ行ったか影さえ見えなかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今日も昼からつづけさまに書いて居るので大分くたびれたから、筆を投げやって、右のひじを蒲団の外へ突いて、頬杖ほおづえをして、暫く休んだ。
ランプの影 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
そういう風に言ってきてふとしばらく黙った。そして私をじっと見た。私は彼女の足許にひじをついて横たわりながら彼女の顔を見上げた。
フランセスの顔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
今まで着物の袖で隠れていた手首の根元の方は、ひじの所から無慙むざんに切落されて、切口には、赤黒い血のりが、ベットリとくっついていた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それがマドロス煙管パイプを横一文字にギューとくわえたまま、船橋ブリッジ欄干てすりに両ひじたせて、青い青い空の下を凝視しているんだ。
難船小僧 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
一人の青年はビールの酔いを肩先にあらわしながら、コップの尻でよごれた卓子テーブルにかまわずひじを立てて、先ほどからほとんど一人でしゃべっていた。
ある崖上の感情 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
青草を枕に寝転んでいた露西亜ロシア人が、俺の肩をひじで小突いて指で円い形をこしらえて、中指を動かしてみせた。そしてへ、へえ、へえと笑った。
苦力頭の表情 (新字新仮名) / 里村欣三(著)
その時、突然のように、えた金属性の響きが、微かながら私の耳朶じだをとらえた。私が空を振り仰ごうとしたとき、男の手が私のひじをとらえた。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
前半身を三重四重に折り曲げ強直させて立ち上がった姿は、肩をそびやかしひじを張ったボクサーの身構えそっくりである。
映画雑感(Ⅲ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
黒以外の色を忘れてしまったと言ったような洋服、華奢きゃしゃな脚を重ねると、身体からだが不安定になって、柔かいひじがゆらりゆらりと、足の勇に触れます。
流行作家の死 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
袖をかかげ右手を累蛇の中に入れたるにひじを没せしが、やや探りて篆文てんぶんの元祐通宝銭一文を得、蛇は散じて行方知れずと。
小便にでも行くとひじの処から水をかけて手を洗うてえ大変なものでえへゝゝどうせついででげすから遠慮するにア及びやせんよ
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
魚釣りに行った村の若者が笭箵びくを下げて帰る時には、足を二本とも縁台の上に曲げて、ひじを枕にして高いいびきをかいていた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
筋ばしるように、の人のからだに、血のけ廻るに似たものが、過ぎた。ひじを支えて、上半身が闇の中に起き上った。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
「セント・ジョン! そのお行儀は何ですか。ひじをお直しなさい。口からリボンをお出しなさい。すぐお立ちなさい!」
美しい手つきをして扇を持ちながらそのひじまくらにしていた。横にたまった髪はそれほど長くも、多くもないが、端のほうが感じよく美しく見えた。
源氏物語:26 常夏 (新字新仮名) / 紫式部(著)
たもとをまくって見せましたが、落ちる拍子にくぎか何かに触ったのでしょう、ちょうど右腕のひじのところの皮が破れて、血がにじみ出ているのでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
朱塗の台にひじをついて腰を下すと、奥の方にある卓をとりかこんだ五人連を見やったが、凡その見当をつけて来た彦太郎のかんは見事に的中した。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
鎌倉の宿を立った朝、彼は自分の指間しかんや腕首やひじに、小さいイボのようなぶつぶつがいくつもできているのを知った。
船医の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
東向きのひじかけ窓は硝子戸ガラスどになっているので、居ながらにして往来の電車路の一部が見える。窓にむかって読書、ときどきに往来の雪げしきを眺める。
雪の一日 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
わたくしは返事をせず、静に風呂敷の結目むすびめを直して立上ると、それさえ待どしいと云わぬばかり、巡査は後からわたくしのひじを突き、「其方そっちへ行け。」
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
先生は黒板を向いて、両手や鼻や口やひじやカラアや髪の毛やなにかで一ぺんに三百ばかり黄という字を書きました。
動かすがごとしという遍昭へんじょうが歌の生れ変りひじを落書きの墨のあと淋漓りんりたる十露盤そろばんに突いて湯銭を貸本にかすり春水翁しゅんすいおう
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
船長はその時はしきいの上に腰を掛けて、膝の上にひじをつき、両手で頭を支えながら、砂の中の古い鉄の釜からぶくぶくと湧いている水をじっと見ていた。
そこが応接室につかわれていて、もう数人の先客が、いくらかせた淡紅色のカーペットの上に自由にばらばらおかれているひじかけ椅子の上にかけていた。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そう云われても、女房たちは受付の手すりにひじをかけたきり、だまっていた。帰ることを忘れていた…………。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
その右に立っている法輪寺虚空蔵は、百済観音と同じく左手に澡瓶を把り、右のひじを曲げ、たなごころを上に向けて開いている。これも観音の範疇はんちゅうに入りそうである。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
部屋のまん中にある大きなかしのテーブルの上に両方のひじをつっぱり、頬杖ほおづえをつきながら、腰をかけていた。
私はこのいいようのない静な不思議な様子をよく見ようと思って、寝台にかたひじをつきながら刻刻弱ってゆく彼女を仔細しさいに観察して要所要所を手帳にかきとめた。
妹の死 (新字新仮名) / 中勘助(著)
むっちりしたひじを見せながら、たすきがけで働いているお島の姿が、長いあいだ彼の心を苦しめて来た、彼女に対する淡い嫉妬しっとをさえ、吸取るようにぬぐってしまった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼のとがったひじはばったの足のように突きだし、鞭はその手に真直まっすぐに立て、笏をもつような恰好かっこうだった。
暗緑色のスカートに縁紐バンドで縁取りされた胸衣ボディスをつけ、それにひじまで拡がっている白いリンネルの襟布カラー、頭にアウグスチン尼僧が被るような純白の頭布カーチーフを頂いている。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「そうです、願ってるんです。ですから、はっきり言いますがね」ラスコーリニコフの手をひじの少し上のところで、さも親しげに軽く握って、彼はことばを続けた。
「玄米飯を冷水でかきこみ、ひじを枕にして寝るような貧しい境涯でも、その中に楽みはあるものだ。不義によって得た富や位は、私にとっては浮雲のようなものだ。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
ひじが脚の下までしか来ないで、手首は寂としてびくともうごかなかった。「手足が冷える冷えると思っていたが、やはりいけなかったんだ。」と私はふるえながら思った。
童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
そう云ってにゅッと伸ばして来た腕を、松岡はひじではらった。はずみをくらって棟梁はよろけるのである。けれどもそれは、棟梁にとって煮えくりかえる結果になった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
寝台にシーツはなく、三つの敷蒲団と二つの枕がならべてあるばかりで、その一つには今まで誰かがそこに寝ていたように、頭やひじの痕がありありと深く残っていました。
その燃えさかりのほのおの中に、暗を縦横に引っ掻き廻し、入り乱れて手を突き、ひじを張っている。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
膝小僧や二の腕やひじや手の指にホータイしており、困りきった顔付であるが、この人は美人の天性というのか、どんな時でも一応どこかユトリがこもっているという感じ
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
においのあるような女の呼吸使いきづかいがすぐ近くにあった。彼はちょっとした誘惑を感じたが己のへやで机にひじをもたせて、己の帰りを待っている女の顔がすぐその誘惑をき乱した。
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)