僻地へきち)” の例文
僕はF君のような大人しい人があんな僻地へきちでどうやら意中の人を見出したらしい様子なので、そのために一層F君を好ましく思った。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
詩人文人の家、先生学者の家より都市の旅館、僻地へきちの農家に至るまで、掛物、額、屏風、ふすまの装飾は多く画を画かずして書を書く。
病牀譫語 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
手提てさげはすぐ分った。が、この荒寺、思いのほか、陰寂な無人ぶじん僻地へきちで——頼もう——を我が耳で聞返したほどであったから。……
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もっとも、殺伐さつばつな戦場生活だの、僻地へきちから曠野こうや流浪るろうしてきた身なので、よけいに、彼方の女性が美しく見えたのかもしれない。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此美人を此僻地へきちいだすは天公てんこう事をさゞるに似たりとひとり歎息たんそくしつゝものいはんとししに、娘は去来いざとてふたゝび柴籠をせおひうちつれて立さりけり。
この谷が山間の一僻地へきちで、舟楫しゅうしゅう運輸の便があるでもなく、田野耕作の得があるでもなく、村々の大部分が高い米や塩を他の地方に仰ぎながらも
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
紀井から大和と、次第に北朝軍の手の届かない奥吉野の山間僻地へきちのがれ、一の宮を自天王とあがめ、二の宮を征夷せいい大将軍たいしょうぐんあおいで、年号を天靖てんせいと改元し
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼らは自身たちの領主がすでに明治にくだったと知ると、明治の飯を食わずと連袂れんべいして山間の僻地へきちに立てこもり、今なお一団となって共産村を造っていた。
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
山間僻地へきちに多年潜む排外思想の結果、若き女の血に燃えるのを、脅威を以て抑圧していた、その不合理を打砕うちくだかせようと、直芳は熱誠を以て説き入った。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
これはわがくににてはいかなる寒村かんそん僻地へきちにも普及ふきゆうしてゐる注意事項ちゆういじこうであるが、かような地割ぢわれの開閉かいへいかんする恐怖きようふ世界せかい地震地方ぢしんちほう共通きようつうなものだといつてよい
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
九谷という村は、加賀の山中やまなかという温泉から、六、七里ばかりも渓流に沿って上った所にある山間の僻地へきちで、今でもよほどの物好ものずきでないと行けぬ位の山奥である。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
専門の仕事の外にこの山間僻地へきちにまで伸び来った敵国の触手を、まざまざと身辺に感じながら、目に見えぬ犯人との恐るべき戦闘状態を続けなければならなかった。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それから若干の山を隔てて加賀河北郡の川上にも五箇庄がある。越前にも二箇処の五箇があるが、九頭竜くずりゅう川の支流をさかのぼって、白山はくさん西側に接した五箇山は僻地へきちである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
こういった辺鄙へんぴな、長いあいだ人が住みついていた僻地へきちでもっとも盛んになるのだが、アメリカのたいていの町や村を形づくっているのは移りあるくひとびとなので
長年の間老いた法師がお祈りいたしております神や仏があわれみを一家におかけくださいまして、それでしばらくこの僻地へきちへあなた様がおいでになったのではないかと思われます。
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
今や我が国都鄙とひいたる処として庠序しょうじょの設けあらざるはなく、寒村かんそん僻地へきちといえどもなお咿唔いごの声を聴くことをことに女子教育の如きも近来長足ちょうそくの進歩をなし、女子の品位を高め
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
されば僻地へきち盗難繁かった処々は、庚申に祈りて盗品を求め、盗もまた気味悪くなってこれを返却した例多く、庚申講を組んで順次青面金剛せいめんこんごうと三猿の絵像を祭りありく風盛んなり。
昔、越後之国魚沼の僻地へきちに、閑山寺の六袋和尚といって近隣に徳望高い老僧があった。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
あの白堊はくあ、あの石灰、あの石膏せっこう、あの荒地や休耕地のきびしい単調さ、奥深い所に突然見えてくる農園の早生わせの植物、僻地へきちと都市との混合した景色、兵営の太鼓が騒々しく合奏して
其時そのとき無論むろん新聞しんぶん號外がうぐわいによつて、市井しせい評判へうばんによつて、如何いかなる山間さんかん僻地へきち諸君しよくんいへどさらあたらしき、さらよろこことみゝにせらるゝであらうが、わたくしことのぞむ! 西にし玄海灘げんかいなだほとりより
いかなる寒村僻地へきちでも、家々でその有合わす手だけで充分に生産ができる、日本でこしらえて、異国を相手に商売のできる第一のものはあれだと、こっちは見込みをつけてしまったがどうだ
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「南方の僻地へきちには大蛇が多い。常にこの亀をそばに置いて、害を防げ」
福沢諭吉氏が「西洋事情」は、寒村僻地へきちまで行き渡りたりと聞けり。
チチコフは、飛んでもない僻地へきちへ迷いこんだものだと気がついた。
僻地へきちの人は、写真をとれば寿命を短縮すという。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「時に、なんとも思いがけないご来訪ですが、そもそも、こんな僻地へきちへのご旅行とは、何か、官命のご出張でもございますのか」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
井戸ゐどのふちに茶碗ちやわんゆゑ、けんのんなるべし。(かしや、かなざもの、しんたてまつる云々うんぬん)これは北海道ほくかいだう僻地へきち俚謠りえうなり。
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
此美人を此僻地へきちいだすは天公てんこう事をさゞるに似たりとひとり歎息たんそくしつゝものいはんとししに、娘は去来いざとてふたゝび柴籠をせおひうちつれて立さりけり。
まして田舎も田舎、行きどまりの山奥に近い吉野郡の僻地へきちであるから、たとい貧しい百姓家であってもわずか二代か三代の間にあとかたもなくなるようなことはあるまい。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
青森地方、即ち南部なんぶ津軽つがるからも、はるかに九州のこの僻地へきちまで、数名の門弟が来ている。
淡窓先生の教育 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
通行人があるところを見ると僻地へきちでもなく、人家や街路があるところを見ると田舎でもなく、田舎の街道のように通りにはわだちの跡があり、草が茂っているところを見ると町でもなく
大原という処は鬼怒きぬ水電工事の中心である。ために入込はいりこんでいる工夫こうふの数は三千人程あるという話だ。山間の僻地へきちの割には景気がいいらしい。商賈しょうこもドシドシ建つようだし、人間の往来も多い。
もっとも、この播州ばんしゅうにいて、僻地へきちの数郡を領すに過ぎない地方の一城主に、そんな達見を望むのは無理だともいえるのである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
護送されたる一列の貧民は、果報つたなくして御扶持を頂くことを得ざりき。渠等かれらは青山の僻地へきちなる権田原ごんだわらにて放鳥はなしどりとなりぬ。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
古代印度語がこの世紀に少くも行政用としては遥々この中央アジアの僻地へきちまで侵入していたのである。翌日スタインは次の収穫を期して、廃墟の南側の数房の発掘にとりかかった。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
中国の僻地へきちにいるかなしさには、黒田官兵衛もく噂は聞いていたが、およそのことを想像して、忘れるともなく忘れていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
風波の恐怖おそれといってはほとんどありません——そのかわり、山の麓の隅の隅が、山扁のぐうといった僻地へきちで……以前は、里からではようやく木樵きこりが通いますくらい
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その時はすぐ読んでみて、たいへん面白かったのであるが、それなりに忘れてしまっていた。それが二十年の後に、敗戦後の北海道の僻地へきちで、わずかな疎開荷物の中から、ひょっくり現れたのである。
僻地へきち山間の悪戦を続けたこの四十日ばかりの間に、秀吉以下、部将たちの顔も、真っ黒に陽焦ひやけしていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一体こうした僻地へきちで、これが源氏のはたけでなければ、さしずめ平家の落人おちゅうどが隠れようという処なんで、毎度あやしい事を聞きます。この道が開けません、つい以前の事ですが。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
また信長自身の胸にも、ふたたび昔日せきじつの寵遇はわが主人にないばかりか、明智家の領地までを、他の僻地へきち移封いほうさせるお心がないとも断じきれないものがある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この山間僻地へきちの勤務へ、懲戒ちょうかいという意味で、役付きを廻してよこしたのだという、厄介な男であった。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陝西せんせいの北部といえば、まだ未開の苗族びょうぞくさえ住んでいる。人文に遠い僻地へきちであることはいうまでもない。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、三成どの、主人に不足はないが、御辺ごへんと拙者とでは、身を置く地の理において相違がある。御辺は、中央の地に働き、拙者は北国の僻地へきちを出ることはない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麾下きかの越後新田党といい、僻地へきちの東国武士などは、その大半以上が、都を見るのも初めてだった。
遠い僻地へきちでありながら、常に都の風聞とか中央の政情などにも、関心を持っている者が多かった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時、宋朝の文化は、帝室や都府の中心では、はやすばらしい発達途上を示してもいたが、未開大陸の僻地へきちでは人肉嗜食ししょく蛮風ばんぷうなどがなお一方にはのこっていたらしい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こちらから上総へ出向こうではないか。こんな僻地へきちにいては、馳せ参ずる者どもも不便だ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんな僻地へきちの小城に似げなく、搦手曲輪からめてぐるわの一棟には、たくさんな火薬が貯えられてあった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……だから、貴公が、北国の僻地へきちに生れたというたんも、何もなげくにはあたらない。自分は一生、北辺の一隅から動くまいと思っても、天下がうごく、時雲は案外、はやいものです
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)