ゆづ)” の例文
旧字:
それゆゑに重荷おもになど持たるは、たとへ武家たりとも一足ひとあし踏退ふみのきて(ふみのくべきあとはあり)道をゆづるが雪国のならひ也。
った実話じつわは、まだいくらでもございますが、そのおうわさはべつ機会おりゆづり、これからごく簡単かんたん神々かみがみのお受持うけもちにつきて、わたくしぞんじてるところをもうげて
皇朝くわうてうの昔、七〇誉田ほんだの天皇、兄の皇子みこ七一大鷦鷯おほさざききみをおきて、すゑ皇子みこ七二菟道うぢきみ七三日嗣ひつぎ太子みことなし給ふ。天皇崩御かみがくれ給ひては、兄弟はらからゆづりて位にのぼり給はず。
祖父おほぢさくに、ひさしぶりのはなしがある、と美女たをやめざう受取うけとつて、老爺ぢい天守てんしゆ胡座あぐらしてあとのこつた。ときに、祖父おほぢわがまゝのわびだと言つて、麻袋あさぶくろを、烏帽子えばうしれたまゝ雪枝ゆきえゆづつた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かれはまだおしなんだとし小作米こさくまいとゞこほりもはらつてはないし、加之それのみでなく卯平うへいからゆづられた借財しやくざいのこりもちつともきまりがついていのにまた今度こんど間違まちがひからわづかながらあらた負擔ふたんくははつたのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
遠く望んで美人の如く、近く眺めて男子の如きは、そも我文学史のあかしするところの姿にあらずや。アルプスの崇厳、或は之を欠かん、然れども富嶽の優美、何ぞ大にゆづるところあらん。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
正気の自己じこの一部分を切りはなして、其儘の姿すがたとして、知らぬに夢のなかゆづり渡す方がおもむきがあると思つたからである。同時に、此作用は気狂きちがひになる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
然れどもこは真に出来のよかりしにあらず、一つには喜多床きたどこかみりに行きし時、独乙語の先生に順をゆづり、先に刈らせたる為なるべし。こは謙遜けんそんにあらず、今なほかく信じて疑はざる所なり。
その頃の赤門生活 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しかれ共眼を北方越後にそそぐに一望山脈連亘れんたんし其深奥なる又利根にゆづらざるなり、之を以てはじめてる、上越の国境不明にぞくせしは両国の山谷各深くして、人跡いまだ何れよりもいたる能はざりしにれり
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
凡てのものがお前たちにゆづられるのです。
ゆづり葉 (新字旧仮名) / 河井酔茗(著)
伊勢の相可あふかといふさとに、拝志氏はやしうぢの人、世をはやくつぎゆづり、むこともなくかしらおろして、名を夢然むぜんとあらため、従来もとより身に病さへなくて、彼此をちこちの旅寝を老のたのしみとする。
此時大臣の官なかりしゆゑ、大納言にて執政たり。此年七月三日 宇多帝うだてい御位みくらゐを太子敦仁あつひと親王へゆづり玉ひ朱雀すじやく院へ入らせ玉ひ、亭子ていじ院と申奉り、御法体ほつたいありては 寛平法皇くわんびやうほふわうとぞ申奉る。
じゆんゆづつて、子爵夫人ししやくふじんをさきに、次々つき/″\に、——そのなかでいつちあとに線香せんかう手向たむけたが、手向たむけながらほとんゆきむろかとおもふ、しかかをりたかき、花輪はなわの、白薔薇しろばら白百合しろゆり大輪おほりん花弁はなびら透間すきま
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
僕は電車の動きはじめる拍子ひやうしに、鴛鴦の一足ひとあしよろめいたのを見ると、忽ち如何いかなる紳士しんしよりも慇懃いんぎんに鴛鴦へ席をゆづつた。同時に彼等の感謝するのを待たず、さつさと其処そこから遠ざかつてしまつた。
鷺と鴛鴦 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そつくりお前たちがゆづり受けるのです。
ゆづり葉 (新字旧仮名) / 河井酔茗(著)
此時大臣の官なかりしゆゑ、大納言にて執政たり。此年七月三日 宇多帝うだてい御位みくらゐを太子敦仁あつひと親王へゆづり玉ひ朱雀すじやく院へ入らせ玉ひ、亭子ていじ院と申奉り、御法体ほつたいありては 寛平法皇くわんびやうほふわうとぞ申奉る。
みんなお前たちにゆづつてゆくために
ゆづり葉 (新字旧仮名) / 河井酔茗(著)