しょ)” の例文
相当そうとう修行しゅぎょうんだら、一しょむとか、まないとかもうすことは、さして苦労くろうにならないようになってしまうのではないでしょうか。
先棒さきぼううしろとのこえは、まさに一しょであった。駕籠かご地上ちじょうにおろされると同時どうじに、いけめんした右手みぎてたれは、さっとばかりにはねげられた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
そしてほぼ成功のしょについたところを、彼の横死で一切は闇に葬られてしまった——という語り継ぎが、足利家にはあるそうだ。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だれでもいい。お前をためしにきた者だ。……わしがお前を高いところへつれて行ってやろう。わしと一しょにくるがいい」
強い賢い王様の話 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
去年の暮れに一しょになって、築土つくどまんに家を持ってやれよかったと思う間もなく、ついに自分が我慢がまんし切れずに、あんな出来事が起ったのである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「あなたはこれから手術の日まで照彦にお力をおつけください。それから一しょに藤岡先生の病院へあがって、あなたから先に切っていただきます」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
友は大喜びでわたしむかえてくれた。その晩は何年ぶりかで一しょに酒をみかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
俗に「くそ味噌みそも一しょにする」というが、味噌みそを見てくそのようだというのと、糞を見て味噌のようだというのとは、その人の態度たいどに大差あるを証明する。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
さらに太平洋の向岸を眺れば、北米合衆国の内政ようやしょき、その文化は中部よりして西南に波及し、弘化二年においては、米船浦賀に至り、同三年米国軍艦浦賀に入りて互市ごしを請う。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
そのやや実行のしょに就いたのは当り作が出来てからで、それからは原稿料の手にる度に多少の送金はしていたけれど、夫とても残らず負債の方へ入れて了うので、少しも家計の足しにはならなかった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
……こえと一しょひこ七も霜の大地へころがった。
赤格子九郎右衛門の娘 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それぞれ御用ごようちがうので、平生へいぜい別々べつべつになっておはたらきになり、たまにしかしょになって、おくつろあそばすことがないともうします……。
年号の「康永こうえい元年」は、尊氏が九州から北上して、湊川に勝ち、室町幕府のしょを開いた——それから七年目の年で、また、あて名にみえる
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あさからばんまで、いいえ、それよりも、一生涯しょうがい、あたしゃ太夫たゆうと一しょにいとうござんすが、なんといっても、おまえいまときめく、江戸えどばん女形おやま
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
それから卒業すればご一しょにアメリカへ留学させていただける。正三のためには出世の糸口が開けるわけじゃないか?
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「うむ、どんな高いところへでもれていってやる。そのかわり、また下へおりようといっても、それはわしは知らない。それでよかったらわしと一しょにくるがいい」
強い賢い王様の話 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
わたしたちはだんだん心配になって、第四番目の餌肉えにくのところへきてみると、おどろいたことには、肉に手をつけてないばかりでなく、そこへ、前の三か所の餌肉も一しょならべてあるではないか。
えらいお医者とばっかり思いこんでいる長庵が一しょだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しばらくうまと一しょあそんで、わたくしたいへんかる気持きもちになってもどってましたが、そのってにもなれませんでした。
これで国費の財源も見通しが立ち、急場しのぎの紙幣も円滑におこなわれ、ひいては大内裏だいだいり造営の記念事業もしょにつくことができようか。
「いいや、それはなりません。おかみさんは、たしかっておいでなされたはず。もう一手前てまえと一しょに、白壁町しろかべちょうのおたくへ、おもどりなすってくださりませ」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
主従蜂にさされて顔がはれたものだから、高谷君と細井君がを見にきた。その日夕方までうちくつろいだのが始まりで、以来学校では始終一しょだ。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しかし中国経略の業はなおしょについたばかりである。いまこの小事につまずいていては、根本の方針に大修正を加えなければならなくなろう。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、咲耶子を道のきるところまでいこんで、ここぞと、気合きあいをあわせて、二そうしょに彼女の胸板むないたいていった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歌い終るのと一しょであった。彼方かなたの頼朝夫妻の席で、って落したように、ばらりッと、れんが落ちた。——その簾中れんちゅうから洩れる怒りの声だった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、きのう、おとといの南都行幸も事なくすみ、つづいて、叡山行幸の御予定なども終れば、まず一応、事はしょについたものと見てよかろう。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして何かと事件の処理は遷延せんえんさせ、その間に、宋江にとって有利なしょを見つけようとするのが、知事の腹らしかった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府は成りその功業を約してしょについたばかりではないか。みんな帰って来い! 尊氏を信じて元の列へ戻って来い!
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわんやそのしょにもつかないうちに、足手まといな女子供——ともいっていいものなどにかかずらっていられようか。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安土の経営は今なおしょについたばかりである。信長は、彼らの言をれて、自身出征することは見あわせた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武の大業はほんのしょについたものにすぎず、諸民一般は、目前の利害のみ追って、復古王政の実体に理解がなく、それに協力しようともしなかったためである。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武新政のしょも根本からくつがえるものと、さまざま古例の吉凶なども案じて、治承四年、頼朝追罰ついばつのさいに、三位惟盛これもりをつかわされたさいのきたりは不吉であった
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとの二倍三倍、長寿ながいきしても、やりきれない程な、大きな理想をもっていたのに、まだその望みの中道どころか、しょにもつかないうちに……。死にたくなかったろう……。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、秀吉が、かくも沁々しみじみ、真面目に心事を語るのは、めずらしいことだった。それは彼が、いまや天下にさん抱懐ほうかいしょぶるに当って、この年の初めを、まさに重大な岐機ききと見
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
短くはあったが、かの信長の一生には、そのしょも見られなかった文治文化面の施策しさくを秀吉は経綸けいりんの一歩として、この忙しい天正十三年のまっただ中で、すでに着手していたのであった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、彼がおそれているのは、その大誓願もまだようやくしょについたか否かにある今日、早くも自己の眷族けんぞくや家臣のうちには、いまの小成をもってもう誇りおごるの風が絶無ではないことだった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恋慕が身のうちをがし、ひさしく触れない白い肌を空想するだに苦しくなる。とはいえ、彼は今を、この千載一遇の日を、大望のしょと思わずにいられない。生涯の大きなかけはこれからなのだ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いかにこのさい、立身のしょをつかむか」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『どうですか、御一しょにそこら迄』
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)