ひそ)” の例文
ええそういうわけなら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、ひそかに掛念けねんいだいたくらいである。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
啓太郎は今日まで、ひそかに中村と鈴木とを尊敬して居たけれど、沼倉が来てから後は、二人はちっともえらくないような気がし出した。
小さな王国 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
〔評〕官軍江戸をつ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩びはん宗家そうけたすけんと欲する者ありて、ひそかに聲息せいそくを江戸につうず。
ひそかにおもうに、此歌はやはり行幸に供奉して三河の現地で詠んだ歌であろう。そして少くも其年は萩がいまだ咲いていたのであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
即ち彼はひそかに密告状をしたゝめて、彼の家の隣人谷田義三が保険金詐取の目的で放火を企てたものであると錦町署へ訴えたのである。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
何故、不徳はある人に取ってむしひそかなる誇りであって、自分に取ってこんな苦悩の種であるのだろう、と嘆いたことさえあった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一説には、この不気味な評判が一層高くなることを懼れて、エドワルド氏がひそかに当局に握らせて手離して貰ったのだとも言われている。
海妖 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
誰れか大いにこれをあつめ楽むという人が出そうなものだがと実はこの東洋に著名な花木のためにひそかに希望して止まないのです。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
句の意味は、夏の夜少数の兵士、もしくは本陣に使するものなどが、ひそかに敵の陣営の後ろを覚られぬように通り抜けたというのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
さうして生活古典たる宮廷の行事に、何分かの神聖感と、懐しみとを加へることが、出来さうにひそかに考へてゐる次第である。
貴種誕生と産湯の信仰と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
私は恥しいことだけれど、かくも奇妙な事情のもとに、昔の競争相手と再会したことを、こころひそかに喜ばないではいられなかった。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「馬鹿!」渠はひそかに應じて立ちあがつた。そして肉眼の力をふさいでゐたいやうな豫期をしながら、障子のすき間から下をのぞいて見た。
何となく知ろうと努め、一方用心しているように感ぜられ、自分のひそかな期待を裏切って、初対面らしい圧苦しさが漂った。
思い出すこと (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
關守る兵卒は手形に疑はしきかどなしと言渡しつ。この宣告の早かりしにはフエデリゴのひそかに贈りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。
かくて今宵図らずも、殿たち二匹の物語を、鴨居の上にてれ聞きつ。さても嬉しや今宵こそ、御恩に報ゆる時来れと、心ひそかに喜ぶものから。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
彼はそれ以来すべてをこの未知の答えに懸けて、二度と苦しい思いをしないために、当分はあの噴き井の近くへも立ち寄るまいとひそかに決心した。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「あら、わたくしなんにも考えてなんぞいはしませんわ」と、意味の無い笑顔をして見せて、ひそかに胸をどき附かせた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
さうした光景を見ただけで、瑠璃子の胸が一杯になつた。父が、此上兄をはづかしめないやうに、兄が大人しく出て呉れるやうにと、心ひそかに祈つてゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
我能く人に福を分てば、人も亦我に福を與ふべく、たとひ人能く我に福を與へざるまでも、人皆心ひそかに我をして福あらしめんことを祷るものである。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
或る日、その出来上がった鼠をば、昼食を終ったわずかの休みの暇に、ひそかに店頭のたなに乗せてながめていました。
それに今や先生がおられぬのであるから、二人の荷物を一人で背負うが如き思いで心ひそかに安からぬものがある。
わたしは青べかをいで河をくだり、ふたつ瀬から関門をぬけて細い水路へはいっていった。そこにはわたしがひそかにみつけておいたふなの釣場があるのだ。
お繁 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
前にも申上げた通りいわゆる琉球王国は慶長十四年以後は日本の一諸侯島津氏が殊更ことさらに名に於ては支那にれいせしめ実に於ては日本に属せしめてひそかに支那貿易を
琉球史の趨勢 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
あのように嫌いぬかれて、なおもこころひそかに男を思うなどということは、お藤のさがでも、またそんなしおらしい年齢でもなく、頭からできない芸当であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
創造の能力がそこに見られるからである。鶴見の少年期はそんな時代の波をくぐって来た。その一事を生涯のよろこびとすることを、彼はひそかに誇りとしている。
特に撰抜せられて『十八史略』や、『日本外史』の講義をなし、これを無上の光栄と喜びつつ、世に妾ほど怜悧なる者はあるまじなど、心ひそかに郷党きょうとうに誇りたりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
いや、時には、もつともつと身体を汚してみないかと、ひそかに自分にけしかけて、じつと蘚苔こけのやうなものが、皮膚に厚くたまるのを楽しんでゐるかに見えたりする。
大凶の籤 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
義友を失ふの悲しみは胸に余りしかども、ひそかに我が去就を紛々たる政界のほかに置かんとは定めぬ。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
この鐘に径五寸ばかりの円ききずあり、土俗いわく、この鐘を鋳る時、一女鏡を寄附して鋳物師に与う、しかれども、心ひそかに惜しんだので、その鏡の形に瑕生じたと。
私はせめて、彼等の喧嘩が、何等かの甘さを以て終ることをひそかに期待するものであつたが、その事は全く無くて、妻君は常に殴られ、笛六は常に殴つて一日を終つた。
床は気温の変化に伴って、パリンパリンといい、時に地震があると屋根がきしむ。そして夜中には、誰でも、確かに歩廊をひそかに歩く足音が聞えたと誓言するであろう。
間もなく劇評家は彼と解ると、側へ寄つて来てひそかに、親しげに、鷹揚に黙つて肩を叩いた。
(新字旧仮名) / 久米正雄(著)
他の国にゆかしめば、必ずも後のわざはひとなるべしと、ねんごろに教へて、又商鞅をひそかにまねき、吾汝を一三四すすむれども王ゆるさざる色あれば、用ゐずばかへりて汝を害し給へと教ふ。
彼等はひそかな戦術をもって、一本の「住宅地分割貸地」の棒杭に合同したのだった。
都会地図の膨脹 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
呉羽之介は、まっ白な、細い手をひざの上にのせてひそかにしらべるようにみつめました。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
しかるに彼らはヨブの哀哭の語に接してその言辞にとらえられてその心裡しんりを解するあたわず、ますます彼らの推測の正当なりしを悟り、ここにヨブを責めてそのひそかなる罪を懺悔せしめ
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
相沢活夫君の論は、此号の論客中尤も文に老練なる者と可申まうすべく、君の感慨には小生亦ひそかに同情に堪へざる者に有之候。既にこの気概あり、他日の行動嘱目しよくもくの至りに御座候。(以下次号)
渋民村より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ひそかにみずから量らず、同志を糾合きゅうごうし、神速に上京し、間部の首を獲て、これを竿頭に貫き、上は以て吾が公勤王の衷を表わし、かつ江家名門の声を振い、下は以て天下士民の公憤を発し
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
後には大久保おおくぼの苗字を賜わり、大久保石見守長安いわみのかみながやすとまで出世したのじゃが、それ程の才物ゆえ、邪智にもけていて、ひそかに佐渡吹きの黄金を隠し置き、御役御免になっても老後の栄華
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
聞説きくならく、若林玵蔵子某席における圓朝が人情噺をひそかに速記し、のちこれを本人に示したとき、声の写真とはこれかと瞠目せしめたのが、実に本邦講談落語速記の嚆矢こうしではあるとされている。
良人の機嫌を取るという事も、現在の程度では狭斜きょうしゃの女の嬌態きょうたいを学ぼうとして及ばざる位のものである。男子が教育ある婦人をもくして心ひそかに高等下女の観をなすのは甚しく不当の評価でない。
婦人と思想 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
ゆくゆくは奏覧にも供え、また二条摂政さま(良基よしもと)の莵玖波つくば集の後をけて勅撰ちょくせん御沙汰ごさたも拝したいものとひそかに思定おもいさだめておいでの模様で、いたくこの集のことをお心に掛けてございました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
今帰りかけて居る孫生を呼び戻してひそかに余の意中を明してしまふた。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
『あゝ、ベラドンナ(西洋はしりどころ)だ。もう遅すぎるな。』と医者はひそかに思ひながら、もう毒が大ぶめぐつてゐるので、とても効き目はあるまいと思ひましたが、とにかく薬をくれました。
時ありて梁山泊の豪傑連が額をあつめてひそかに勢力拡張策を講ずるなど随分変梃来へんてこな事ありてその都度提調先生ひそかに自ら当代の蕭何しょうかを以てるといふ、こんな学堂が世間にまたとあるべくも覚えず候
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
キテ今リ庶政ヲル/小儒ひそカニ擬ス昇平ヲたたヘント〕
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
配達夫等がひそかに水液を混入せざるや等の万一を防げり。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
提灯を持ちたる男 (ひそかに)此処は南蛮寺ぢや。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
昇はその光景ようすを見てひそかに冷笑した。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
内蔵助のひそかなる壮行を祝して
軽女 (新字新仮名) / 上村松園(著)